俳句を読む 69 秋元不死男 終戦日妻子入れむと風呂洗ふ

終戦日妻子入れむと風呂洗ふ 秋元不死男

わたしが生まれたのは1950年8月。終戦から5年後になります。それでも小さなころから、自分の誕生日の近くになにか特別な記念日があるのだなと意識をしていました。「いつまでもいつも八月十五日」(綾部仁喜)という句にもあるように、いまだに毎年のようにテレビでは、終戦の日になれば、胸の痛くなるような記憶を蘇らせる映像が流れます。終戦の年に生まれた人もすでに79歳、となれば戦争をじかに経験した記憶のある人は、すでに85歳を超えていることになります。しかし、そんな年齢の計算はどうでも、国としての記憶が、たしかにわたしの中にもしっかりと根付いています。今日の句が詠んでいるのは、終戦日に風呂を洗っている日常のありきたりな図ですが、「妻子をいれむ」の心の向け方が、生きることのかけがえのなさを表現しています。だれかのために何かをしてあげられることの幸福は、だれも奪ってはいけないと、あらためて思うわけです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)

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