俳句を読む 42 佐藤鬼房 糸電話ほどの小さな春を待つ

糸電話ほどの小さな春を待つ 佐藤鬼房

てのひらで囲いたくなるような句です。どこか、夏目漱石の「菫程な小さき人に生れたし」という句を思い出させます。どちらも「小さい」という、か弱くも守りたくなるような形容詞に、「ほど」という語をつけています。この「ほど」が、その本来の意味を越えて、「小さい」ことをやさしく強調する役目をしています。さて、今年の冬はいろいろなことがありましたが、早いもので本日は立春になります。そして昨日は節分でした。節分には、子供が小さな頃は、わたしはたいてい鬼の役割をしてきました。それにしても「節」といい「分」といい、昔の人はよほど寒さに区切りをつけたかったものと思われます。掲句、「糸電話」を「小さい」ことの喩えに使うことに、異議をとなえる人もいるかもしれません。しかし、感覚としてわからないでもありません。糸のほそさ、たよりなさ、そこに発せられる声の小ささ、あるいは会話のなかみのけなげさ、そのようなものがない交ぜになって、こういった発想がでてきたのでしょう。「春を待つ」人が、冷たい手で糸電話を持つ。その糸の先は、おそらくもう春なのです。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)

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