わんだふるぷりきゅあ!中間評価
初めに
早い物で「わんだふるぷりきゅあ!」(以下『わんぷり』)もこの間で2クール目が終わって後半戦に突入した。
折角なので、個人的にここまでの感想と評価を書いていこうと思う。
良い所
王道且つ基本に立ち返った世界観
ここ最近のプリキュアは、妖精ではない異世界人が変身者の女の子達と一緒に日常を過ごしていたり、そもそも現実世界の核家族とはかけ離れた家族構成になっていたり、そもそも登校したり学校で過ごすシーンが激減したりと、戦いだけでなく日常パートにおいても色々と変則的な要素が多かったが、わんぷりはペットが喋って人間になるという特異な部分こそあれど、犬飼家も猫屋敷家も家族構成はごく一般的であり、尚且つ学校で過ごすシーンも一定以上確保されている等、全体的な雰囲気や世界観は原点に立ち返った物になっている。
おかげでイベントごとやその話のテーマの発生といった導入が自然な物になって超展開や過度な「そうはならんやろ」と言いたくなるようなガバのような部分が減ったのは感情移入しやすくなって良かったと感じている。
プリキュアは確かにバトルアニメとしてバトルパートや縦軸設定に力を入れる必要があるが、それと同じぐらい日常パートにも力を入れてこそ成立するテーマ性の強いシリーズであるので、現実世界で暮らしている我々の視点に近づけて登場人物とリンクし合えるようにすることは、やはり必要不可欠だと改めて思えた。
豊富な準レギュラー・ゲストキャラ達
ゲストキャラが多いも個人的に評価したい。
今作では学校描写が復活したことで大熊や蟹江という準レギュラーメンバー以外にも、猪狩や猿渡、烏丸といったその他のクラスメイト、ドッグトレーナーの犬束といったゲストキャラクター達が多く登場しているが、それによってわんぷりの世界観の掘り下げや深堀がしっかり行われているように感じる。
やはりレギュラーメンバー以外のキャラと言うのは、物語の導入や雰囲気の転換を自然に行うにあたってはこれ以上ない程に適任であるし、その作品の舞台が、見世物の為だけにあるのではなく、その世界にはちゃんと実在していると感じさせてくれる良いスパイスである。
特に今作は全員苗字に動物の漢字が入っているという法則もあるので、彼女らの名前が少しでも出るだけでも、それについて自ずと考えてしまうので、それだけでも独自の楽しさをいつも感じている。
個人的に前作の家族描写があまりに少なかったことで、今作で犬飼家の両親がいろはにペットを飼う腕の大切なことを教えたり、鏡石伝説について話て物語の核心に迫ったのは、この人達も世界観を構成する必要な要素なのだと実感できたし、同時に大きく愛着を持てた。
改善が欲しい所
やはりちゃんと戦って欲しい
プリキュアは言ってもバトルアニメであるのだから、小難しい理屈を垂れて変に平和的解決に執着するのではなく、しっかり体を張って戦って欲しい。
その上浄化シーンについても、段々初期の頃にやっていたような追いかけっこすらしなくなり、敵の攻撃を適当に捌いて接近できたらハイ終了…というのがここ数話の間で増えてきているように思う。正直、製作陣も自分達の課した一種の縛りを持て余し始めたのではなかろうか。
その相手であるガルガルも、一種の豆知識タイムの意味合いもあってかキラリンアニマルベースの個体以外は基本的に元の動物にもできるようなアクションや攻撃しかしてこないので、いまひとつ緊張感を削いでしまっているようにも見えている。
恐らく別に高尚な目的や理想があってこのような制約を設けたのではなかろう。きっと今までとの差別化や新鮮さの為なのだろうが、そもそもプリキュアの醍醐味は超作画のバトルシーンなのだから、そこを捨ててしまうのは愚行である。
それに、何だかんだ動物への理解について作中で度々言及しているように、メインテーマにはそれなりに真剣であるようだが、その割にはガルガルにされているのが全員ニコアニマルという殆ど妖精のような現実離れした存在ばかりなのも気になる所。「元は暴れたりしない優しくていい子達」にして戦わないことや手を伸ばすことに説得力を持たせる為だと思うが、そのせいで現実の獣害問題や動物との付き合い方について思いっきり無視しているように見えて仕方がない。
ここは流石に詰めが甘いと言わざるを得ない。
過度に平和的解決に執着しすぎ
他のファンの人も言っていたが、この作品、キャラ同士の衝突について余りにも及び腰な気がしてしまう。
「こむぎといろはの喧嘩がったじゃないか」という意見も出そうだが、逆に言えば現状それしかない。
これは特にユキとまゆの猫組で顕著であった。ユキはまゆを戦いから何度も遠ざけようとしてきたが、それはまゆに傷ついて欲しくなかったからである。前作ひろプリのソラは、初めての友達であるましろがキュアプリズムになって戦えるようになっても彼女の参戦を頑なに拒んでいたが、ユキにもそれぐらいの気概を見せて欲しかったし、その上でずっと自分に甘えるばかりで目が離せなかったまゆが自立していくのを認めて見届けるシーンを描いてこその「仲良し」ではなかろうか。あれだけまゆが安全圏に居ることに執着していたユキだが、彼女がキュアリリアンになって自分を助けると途端にそこに触れなくなったのは消化不良である。「守られる側から守る側になったことを自分で一目見て実感したんだんからそれでいいだろ」という反論も出てきそうだが、それでは逆にユキは「力を持ちさえすればもう大丈夫」と思っているという余りにも薄ペラなキャラになってしまう。いくらまゆが力を得たとしても根本的な部分はほぼ変わっていないに等しい。確かに自分から他人と仲良くなろうと動き出したのは成長と言えるかもしれないが、その殆どはいろはが大らかな性格でまゆを引っ張っているからというのが大部分を占めている。そこまで決定的な変化を知った訳ではないのに、定番のイベントごとを円滑に進めたり、ストレスフリーを心掛け過ぎて折角の転換点をあっさり済ませてしまうのは、キャラクターの人物像を浅くしてしまっているように思える。
他にも、こむぎやユキの正体バレに関してもさらりと流し過ぎである。特にこむぎは持ち前の耐え性の無さで人前で喋ってしまい、いろはも嘘やごまかしができない性分なせいで仕方なくざっくりとした事情を話すが、皆驚きこそすれど直後にガルガルが出てきて有耶無耶になったり、そもそも皆大らかな性格なので特に疑問を持つことなく簡単に受け入れてしまってそれで終わり……流石に芸が無さ過ぎではなかろうか。
何も彼女らを迫害しろと言っているのではない。戸惑いや一種の抵抗を持つのは人として当然なのだから、それを如何に乗り越えるのかを描くことはテーマ上必要不可欠のはずだし、これでは彼女らをすぐに受け入れないことが悪いこととして言われているようにも感じてしまう。
犬組にとって都合の良過ぎる設定
この作品、兎に角犬組に対して都合が良過ぎる設定が余りにも多い。
その最たる例が、先程も少し話したガルガルについてである。彼らが元は平和を愛する友好的な存在なことは誘致の事実だが、それにしたってそこばかりに焦点を当て過ぎである。不可抗力とは言え彼らは人間世界で暴走し、人に危害を加えようとしたのは紛れもない事実であるし、「可哀想」という言葉を使い出したら、それこそ一方敵に平和を乱される一般市民たちも十分に可哀想ではなかろうか。「大切な物を守るためなら時に手を汚す」というスタンスだった初期のユキ/キュアニャミーの方がプリキュア…ひいては何かを守ろうとする人物としては余程完成されているし、これでは同じテーマで似たようなスタンスでも、戦うことには躊躇が無かった『ウルトラマンコスモス』を思いっきり否定しているようでならない。
しかも、そんなガルガル達を全肯定して救うべき被害者とする為に、無差別に暴れている割には、決定的な被害を出す目に浄化されたり、彼らの暴走で人々が直接傷つけられるシーンが全くない、せいぜい狙われかけたり、崩れ落ちる瓦礫から逃げるかのどちらかしかないというのは、所謂ダブスタではなかろうか。犬組を「相手を見た目や種族で差別せず、分け隔てなく手を差し伸べる聖母のように優しい存在」に仕立て上げたいがために、碌な説明も設定も無しに条件を付けたしまくるのは、果たしてテーマを忠実に実行していると言えるのだろうか。
また、猫組完全参戦に当たっての数話でもそれが完全に弊害になっていた。博識な悟は兎も角としても、当時何の力も無かったまゆを平然と巻き込んでいくのは、ユキでなくても事の重大さを理解してい無さ過ぎに思えてしまった。恐らくは、「被害を出す前に自分達が止めればいい、自分達にはそれができる」という自信があるのだろうが、単なる苦労知らずでそんなことを思っているのなら、それはただの油断と傲慢である。一度絶体絶命の危機を乗り越えてはじめて持っていい感情だろう。加えて、そんな猫組がシリアスな雰囲気になっていても、こむぎが知ったこっちゃないと言わんばかりにアホ面を晒して空気を読まずに振る舞うのは、いくら元が人間では無いとは言え無神経過ぎるように思った。
まとめ
敢えて現段階で点数を付けるなら、100点満点中75点と言った所か。
全体的な雰囲気や各話ごとの起承転結はしっかりと纏まっていて見応えはあるのだが、何分ストレスフリーに拘り過ぎて肝心な所や必要な所がポロポロ抜け落ちているように思う。
黒幕の正体も少しづつ分かってきてここからシリアスな雰囲気になっていくと思うが、是非ともテーマに真剣だからこそ、綺麗事や理想だけで片づけない堅実な残りの話運びを期待したい。