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金色の暴君、仁川から世界へ

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト書評家 として、
自らを定義しています。


☔️この記事はクロサキナオさんの企画参加記事です☔️
#クロサキナオの2024JuneJaunt

https://note.com/kurosakina0/n/nc219c459e047


若い頃の感覚では
6月の梅雨を越えると
「いよいよ夏本番!」
というかんじだったが、
最近は4月や5月でもメッキリ暑くて、
暦と体感する季節がリンクしなくなってきた。

おそらく梅雨の存在がなかったら、
もう5月あたりから「夏」という風に
感じてしまうことだろう。

だが、競馬観戦を趣味とする者としては
やはり毎週の開催レースで
季節を感じることも多い。

1月から2月は まだまだ冬の時期、
2月末の GI
フェブラリーステークスを終えると、
「いよいよ春だな…」と
季節シーズンの移ろいを実感する。

3月、春の3歳クラシックや
古馬GI戦線への前哨戦が動き出す。

4月から5月が 春競馬の本番。
毎週のようにGIレースが開催される。

そして6月も安田記念を終えると、
季節は 春 から 夏 へ動き出す。
毎週連続のGIもひと段落し、
北海道開催が始まり出す。

そんな6月の下旬に行われるのが、
仁川にがわの頂上決戦・春の総決算
GI・宝塚記念 である。

転勤や結婚を機に
すっかり現地観戦からは
遠ざかってしまったが、
一時期は 楽しみなレースを見に
遠路はるばる赴いたものである。

そんな私が これまで生きてきた中で
もっとも多く現地観戦をし、
そのいずれのレースも勝利した
相性抜群のスターホースがいる。

ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、
今回は ” 彼 ” と私の思い出話である。


震災の年の三冠馬

震災と春の二冠

あれは2011年。
3月11日、私の故郷も含めて
東北地方を激震が襲った。

幸い私は関西に赴任しており、
故郷の親類も みな命は助かった。

あのときは4月の下旬から
海外出張の予定があり、
故郷が被災したとはいえ
親類の無事が確認できたことで
私は海を渡った。
(約2か月の出張)

春競馬のGIは、インターネット経由で見た。

春のクラシック初戦・皐月賞は
中山競馬場(千葉県)が
開催中止となった影響で
東京競馬場での代替開催となった。
そんな影響や4番人気もなんのその、
彼は 後続に3馬身差をつけて圧勝。

そう、彼の名は「オルフェーヴル」。
美しい栗毛の見た目と、その荒々しさから
「金色の暴君」の異名を持つ。

つづくクラシック2戦目、東京優駿日本ダービー
台風の影響により
不良馬場となった東京競馬場で、
彼は泥だらけになりながらも
二冠目を手中に収めた。

三冠馬の誕生をその目で

そして夏を越えて秋。

初戦の神戸新聞杯を
こともなげに勝利して、
いよいよ 三冠目となる 菊花賞。

私は 史上7頭目の三冠馬 誕生の瞬間を
この目で見るべく、京都競馬場に向かった。

ちなみに このとき
私にとっての京都競馬場は、
前年にアパパネの
史上3頭目の牝馬三冠達成を
観戦して以来、2度目の来場である。

第4コーナーを
抜群の手ごたえで回ってきた彼は、
他馬を寄せ付けず
後続に2馬身半も差をつけて
三冠目を勝ち取った。

前年のアパパネと この年のオルフェーヴル、
牝牡続けて 三冠馬誕生の瞬間を
現地で目撃することができたのは、
競馬ファンとして密かな自慢である。

特に牝馬三冠については、
牡馬三冠以上に
貴重な記録である…はずだった。
後に13年間で4頭も誕生するとは
このときは微塵も想像していなかったが(笑)

そして暮れの有馬記念。
この年は12月25日のクリスマス開催。

当時 独り身で
その日を共に過ごす相手もいなかった私は、
競馬界のお祭りに参加すべく
中山競馬場に足を運んだ。

この年は 出走13頭中 GI馬9頭、
合計19冠という豪華メンバーで行われた。

ここでも歴戦の古馬たちを相手に
抜群の瞬発力を発揮して
見事先頭でゴール。

あの無敗の三冠馬
ディープインパクトですら叶わなかった、
ナリタブライアン以来となる
「3歳4冠」を達成したのだ。

昔は 有馬記念といえば
一年の総決算として
有力馬が挙って出走したものだったが、
近年は 天皇賞(秋)や
ジャパンカップを最大目標として
有馬記念を回避する場合も多い。

そんな中で、豪華メンバー相手に
三冠馬の強さを
生で観ることができたことは
非常に嬉しい体験だ。

ちなみにこの日は、
レース後から雪が降り始めた。

きっと映像や写真を撮る側としては
える」シチュエーションだったろうが、
当時の私は
「なんだ雪かよ、傘持ってきてないんだけど!」
と恨めしく思ったことを覚えている。

情緒もへったくれもないが、
今となっては良い思い出である。

2012年の巡り合わせ

彼が4歳、いわゆる古馬となった
2012年は初戦から衝撃の連続だった。

始動となった第60回 阪神大賞典、
「すわ、 故障発生か!?」と
誰もが思った逸走から
常識外れの追い込みを見せたレースは、
未だに伝説として語り継がれている。

そして次走の天皇賞(春)
ゴールデンウイークの時期に
開催ということもあり、
京都競馬場へ観戦しに
行く気マンマンでいた。

前走のパフォーマンスを見れば、
まず 彼が負ける訳がない。
そう確信したのは、
決して私だけではなかったはずである。

だが、非情にも その日に
休日出勤の指示が下ってしまった。

15時過ぎの休憩の際には、
コーヒーを飲みながら
「そろそろレースが始まる頃だな…」
「きっと強い勝ち方を見せるんだろうな」
京都競馬場淀のターフ
思いを馳せていたのを覚えている。

だが、仕事を終えて帰宅早々に
結果を確認して驚いた。

強い勝ち方どころか、
なんと11着の惨敗…

何が起きたのか、まったく分からなかった。
頭がどうにかなりそうだった。

そもそも このレースの前に、
陣営は 秋にフランス遠征を見据えていた。
そう、日本競馬界の悲願
「凱旋門賞 制覇」のためである。

世界の頂点を目指す彼が
なぜ このような惨敗を喫してしまったのか。

私やファンはもちろん、陣営も意気消沈。
「この着順では 凱旋門賞を目指すとは
 大きな声では言えない」

世界を目指すべきなのか否か、
その判断は次走・宝塚記念の
結果次第となった。

暴君、仁川に蘇る

2012年6月24日、
私は どうしても彼の雄姿を見たくて
阪神競馬場に赴いた。

前走大敗の原因もハッキリせず
不安はぬぐい切れなかったものの、
私は ただ彼だけを応援していた。

そしてレース本番、
彼は「これぞ 三冠馬」と
思わせる力強い走りで
香港GIを制したルーラーシップ以下を
2馬身差をつけて制し、
私の目の前で1着でゴールを駆け抜けた。

三冠馬誕生を見届けた菊花賞、
古馬相手にも強さをみせた有馬記念、
世界への挑戦を再度意識させた宝塚記念

奇しくも切望していた天皇賞を
見に行けなかったことで、
私の現地観戦では3戦3勝となった。

競馬ファンというものは
とりわけ自分に都合の良いデータしか
見えぬ生き物ではあるが、
こうしてみると 彼と私には
なにか不思議な縁があったように思う。
(少なくとも 私は そう信じている)

世界の壁には阻まれたが…

その秋 フランスに渡り
前哨戦のフォア賞を勝利した彼は、
1番人気で凱旋門賞に出走した。

最後の直線、いったんは先頭に立って
「ついに日本の悲願達成か!?」
と思った瞬間そのとき
12番人気の伏兵・ソレミアが差し返し
クビ差で敗れてしまった。

かつて凱旋門賞を
三連覇したこともある名手
オリビエ・ペリエ騎手の
会心の騎乗であった。

あのとき、夜中にTVの生中継を見ていて
期待と興奮から落胆に至るまで、
あのとき以上の感情の揺れ動きは
リアルタイムで見た中では
今のところ最たるものである。

他にも好きなサラブレッドは多いし、
好きなレースや名勝負といったときには
彼以外の名が浮かぶことも多い。

ただ、東日本大震災の年に三冠を戦い、
私の目の前で
圧巻の強さを見せてくれたオルフェーヴル
私の中では燦然と輝く
「No.1 サラブレッド」である。

お読みいただき、ありがとうございました。

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