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選挙という祭りを冷めた目で見る

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・書評家・エッセイスト として、
自らを定義しています。

第50回衆議院議員総選挙が始まり、
私も期日前投票に行ってきた。

選挙の報道になると、私の場合は
やれ 投票率が低いだの
シルバー民主主義だのと
選挙制度そのものに対する話題の方が
どちらかと言えば興味がある。

私も私なりの政治観は持っているし
自分なりに考えた上で投票もするが、
基本的に日本における政治家とは
カネと地盤ありきの世襲者か
減税だ社会保障だと
耳触りの良い夢物語を
無責任に語る者しかいないと思っている。

公約を果たせず潔く責任を取った者など
私は目にしたことがないし、
それをやいのやいの言いつつも
国民は結局 当選させてしまうのだから
まったく呆れるほかない。

…とまぁ選挙結果そのものに
興味がない理由は さておき、
期日前投票に行った最中で
思い浮かんだことがあった。

今回はそんな話。


投票日過ぎれば熱さ忘れる

だいたい「選挙活動」というのは
投票日当日までの数週間が
報道も候補者演説も盛り上がる。

その日の夜に結果の速報が流れ、
翌日にはニュースの話題の中心を占める。

だが、そもそも政治とは
特定の1日のためにあるものではなくて、
日々の国家運営や国民生活に
「常に」考えられていなければ
ならないはずのものである。

ところが現職の政治家や
当選を狙う候補者は
往々にして投票日を過ぎると
ぐっとクールダウンする。

もちろん解散などの
イレギュラーがなければ
次の選挙は数年後になるわけだし、
「毎日」選挙直前の熱量で
活動すべきとは 私も思っていない。

むしろ 興味のない選挙演説は
耳障りな騒音と差がないし、
本気で年中演説合戦が
繰り広げられたら
それこそ継続するだけの
資金力が必要になる。

今以上に
「カネがモノを言う政治」
になってしまうから、
それは私も望むものではない。

東京など都市部では
選挙がない時期でも
街頭演説をしている人もいるわけで、
主義主張はどうあれ
ああいう人の方が 個人的には
政治に対する真摯さや真剣さが
感じ取れて好印象である。

だが 少なくとも
私の住んでいる周囲では、
(田舎や地方都市に住んできたが)
そういった真剣な人は
ほとんど見かけたことがない。

年に数回、たまたま
目にすることがある程度である。

期日前投票が普通になって

話は少々変わるが、
期日前投票も
だいぶ一般的になってきた。

今の感覚で見れば、
「この1日」しか投票できないとは
国民のライフスタイルが
急速に多様化してきた時代に
なんと不便な制度だったことだろうか。

そりゃ投票率も下がる一方だから、
期日前投票を認めたのは
実に賢明な判断だったと思う。

実際、私も もう何年も
投票日当日に出向いたことはない。

ところで、期日前投票をしてみて
考えることがある。

今回の選挙も私は
既に投票を済ませたわけで、
今更 候補者が何を演説しようが
私の投じた結果が変わることはない。

つまり これから
(本来の)投票日までの期間、
私にとって選挙演説や選挙報道は
「雑音」以外の
何物でもなくなるわけである。

私は冒頭に述べたように、
政治に対する自分の意見というものも
四六時中ではないにしても考えているから、
次回の選挙まで
全くの無関心が続くわけではない。

だが、近所に鳴り響く選挙演説や
いつもよりもニュース番組に
占める割合が増える選挙報道は
「当面の」私にとっては
不要な「雑音」であることに違いはない。

どうせ皆、あと1週間だけ
熱く語るのだ。
どうせ2週間後には
興味は冷めきっているのだ。
次に熱を帯びるのは、
どうせ選挙が近づいてからなのだ。

これでは真摯で真剣な政治など
期待できるはずもない。

政治家や それを志す者の
熱量の低さが先なのか、
国民の参政意識の低さが先なのか…

どちらにしても民主主義が
当たり前になり過ぎた弊害が
表れているのだと思う。

日常的に演説しては?

そこで思ったのだが、
本当に真剣に政治を考えるならば
選挙が近かろうが遠かろうが、
もっと日常的に演説なり
広報活動なりを
するべきではないのだろうか。

もちろん前述したように
本気で選挙レベルの
演説合戦を繰り広げ続けたら、
間違いなく資金力のある方が有利になる。

これでは ますます格差は広がる一方だし、
一見「悪手」のようにも考えられる。

だが そこはもう一段
深く読みを入れるべきで、
バカ真面目に
年中(=365日)演説をしたら
市民からは
「うるさい、いい加減にしろ」と
負の感情を抱かれるだろうから、
実際にはどこかで
バランスが取れた活動量に
収斂するはずである。

国民が無意識レベルで
「政治が身近なものである」と
考えるようにならなければ、
いつまで経っても政治は良くならない。

政治家のルールは
政治家が作るのだから、
国民が厳しい視線と態度で
睨みを利かさなければ
どれだけ口で立派なことを言おうが
自分たちの都合を優先した
「ぬるま湯体質」は変わりようがない。
(それは自民党に限ったことではない)

今まで何気なく行っていた期日前投票で、
ふと そんなことを考えた。

別に このアイデアを本気で広めて
世直ししようとは微塵も考えていないが、
目にした誰かの政治への意識が
ほんの少しでも高まれば
書いた甲斐もあったというものである。

お読みいただき、ありがとうございました。

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