手順前後にご用心
みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・書評家・エッセイスト として、
自らを定義しています。
プロや上級者、あるいは身近な先輩でもいいが
何かが自分より上手い人というのは
なぜ あんなにカッコイイのだろうか。
私は生来 熱しやすく
冷めやすい性格ではあるのだが、
自分が興味のあるものでカッコイイ技をみると
「すぐに」真似をしたくなってしまう。
この「すぐに」が曲者。
今回はそんな話。
守破離
日本の芸事でよく言われるのが「守破離」
師匠の教え、基本の型を徹底的に「守る」
それが出来て初めて応用を模索する、
すなわち「破る」
そうしていくうちに
いつしか師匠から教わった型から「離れ」て
自分独自のスタイルに行き着く
今や様々な場面でも引用されているから、
ご存じの方も多いだろう。
芸事に限らず、勉強でも仕事でも趣味でも
何かを習得しようとするなら
万物に当てはまるといっても差し支えがない、
いわば「原則」と言ってもいい。
せっかち
私も「守破離」の言わんとすることは、
じゅうぶんに理解しているのだ。
…少なくとも頭では。
だが これも生来の性格なのか、
私は非常に「せっかち」である。
何かを始めたら、すぐに「結果」が欲しくなる。
結果が出ないと、
すぐに つまらないと思ってしまう。
だから、上級者の芸を見ると
さっそく自分も真似をしてみたくなるのだ。
定跡や手筋の習得も疎かなのに
名人の自在の指しまわしを真似したくなったり、
SNS を始めたばかりで手探り状態なのに
インフルエンサーの如く
たくさんの反応をもらいたいと思ってしまう。
(…で、散々たる結果にショックを受ける)
これはいわば、「守破離」でいう
「守」をすっとばした状態である。
じゃあ「守」でなければ
「破」や「離」なのかというと そうでもない。
そもそも「型」を知らないのであるから、
型を破っているのではなく
ただの「形無し」である。
…と、芸事の世界でいうと
一般的には そういう表現になるのだが、
個人的には「形無し」というより
「手順前後」という方がしっくり来る。
私は かつて将棋を齧っていたことがあるから
(将棋の駒を齧っていたのは別の人)
将棋用語として認識しているのだが、
ある指し手と その次に指す手があるときに
その順序を逆に指してしまうことである。
自分の指し手① → 相手の指し手 → 自分の指し手②
…とすべきところを、
自分の指し手② → 相手の指し手 → 自分の指し手①
…としてしまうようなイメージ。
大差がついている局面では
「どちらでも違いはない」こともあるが、
一手を争う局面では この手順前後が
勝敗を分けることも多い。
将棋史上最も有名な手順前後
手順前後で一番有名なのは、
1975年の第34期名人戦。
両者3勝3敗で迎えた第7局、
挑戦者の 大内延介 八段が
終盤の五手一組の手順を誤り、
勝利を逃してしまう。
千日手指し直しの末、
最終的に 中原誠 名人が防衛を果たす結果となった。
何を言わんとするかというと、
昨日 中原名人についての つぶやき を投稿して、
このエピソードを思い出したから
書いてみただけのことである。
特にオチも着地点も見据えてはいなかったのだが、
「何事にも踏むべき手順が存在する」ということを
念頭に置いておくべきなのだろう。
次に文章を書く時には しっかりと詰めの局面、
すなわち「落としどころ」を決めておこう。
落としどころを決めずに書く、
これも ある意味「手順前後」なのかもしれない。
お読みいただき、ありがとうございました。
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