「他人の目」を気にして、人生を選択してきた30年間
結論:自分の人生の選択をするとき、心が「ときめく」か、「ワクワク」するか、一旦立ち止まって考えてみてほしい。
今年で31歳になる私ですが、今までの約30年間それなりに真面目に、問題が起きたら努力して自分の成長に繋げたりしながら、前を向いて生きてきた方だと思う。
自分の人生にだって、たくさん夢があって、20代前半は、「海外を1周旅したい。」「留学したい。」「ワーホリしたい。」「海外のいろんな人種の人と出会って、交流して、いろんな価値観に触れたい。」「たくさん成長したい。」と思って、英語の勉強や短期留学を経験したりした。
そして、時が立ち、、、20代後半になり、、
「海外に行く夢は大きすぎるから、今ある環境で幸せをみつけよう、造っていこう。」と思い、今働いている看護師として、「キャリアを積んでいきたい。」と思い、メンタルを勉強したく、メンタルクリニックへ転職。メンタル系の資格も、勉強してたくさん取得した。
メンタルクリニックも、「たくさん経験を積みたい」から、週6で働いたり、たくさん自分の時間を費やしてきた。
そして、30代に近づいていき、周りが結婚している人も増えて焦っていたこともあり、婚活もスタートさせた。(ことごとくうまくいかなかったけど、またその内容はおいおい書きます。)
ここまで読んだら、その時その時で「自分のやりたい」ことを見つけて、自分で選択して、それに向かって努力してかっこよく生きてきたように見えるし、人生充実してるんじゃないか。って思われがちだけど、
でも、どんだけ努力しても、自分の心は、全然満たされなかった。「充実感」や「楽しさ」もなかった。むしろ、ずっと苦しんでた。なんでかって言ったら、これら全部、自分が心から望んでいたことではなかったから。
海外留学やワーホリ体験も、自分が本当に「やりたい。」よりかは、周りからそんな経験をしている私はすごい!って思ってほしい、という欲求があったり、
仕事でキャリアを積むことも、「何かを極めて生きてる私はかっこいい。」と周りから羨ましがられたかったり、
結婚も本当は自分が「したい」というよりかは、将来の自分の不安を消すために始めたことだった。
今、ようやく自分の「ときめき」や「ワクワク」を少しずつ選択できるようになって思う。他人が望む(幻想)人生を生きてきて、自分の人生を生きてこなかったんだな。と、
今、自分の「やりたいこと」をやっているはずなのに、充実感や楽しさを感じれない人は、その選択は、自分が本当に「ときめく」か、「ワクワク」するか、感じてみてほしい。