水瓶座のひとりごと♒️

雑記。 自分の頭で処理しきれないことをつらつらと。

水瓶座のひとりごと♒️

雑記。 自分の頭で処理しきれないことをつらつらと。

最近の記事

【誰かと生きる人生と、お金という概念】

26年間生きてきてこんなことも理解していなかったのかと、不意に頭を殴られたような感覚だった。 誰かに言われた訳ではない、収支の見直しや納税をする中でふと省みたのだ。 何を言ってるのかと思うかもしれないが、私はあまりに無知で愚かであった、それと同時に知覚せずに生きてこられた幸福と家族の愛情を改めて痛感した。 誰かと生きる人生。 それは自分の稼ぎやお金の使い道が、自分ごとだけではないことを言うと思う。 結婚している訳ではないのに責任感が強すぎるかもしれないが、これから共に生

    • 【私に前を向かせてくれた本たち】

      noteを始めて、ふと自らを振り返る事が多くなった。 昔から読書が好き、というタイプでは全くなかった私だが、学校の朝読書で渋々読めそうな本を持ってきていたあの頃とは違い、今ではお気に入りが幾つか出来たものだ。 その中で誰かと比べられた時に、"じゃない方"として扱われてきた気持ちや、"どうせ自分は"と決めつけてしまう悪い癖を見直すキッカケをくれた著書がある。 "お前じゃない" と、何度も誰かに言われているような、そんな気持ちになった事があった。 著者も同じくであった。

      • 大切だったはずの人と、どうして衝突が絶えないのか

        以下は完全に一個人の考えである。 一昔前は当たり前ではなかったであろう、恋愛結婚。 昨今、出会い方に違いはあれど、性別や国籍を超えて自分の大切な人と生涯を遂げたい、もしくは添い遂げるという感覚ではなく、とりあえず一緒にいたい、と思って誰かと共に生きる人生を望む方が多いだろう。 しかし一方で熟年離婚が増えていたり、自分の周りでも早々にお別れしていたり、男女だけではないかもしれないが性別の違い故、もしくは人間という個体が違うが故の価値観の差によって離れる選択をする方も多いと聞

        • 自分の思い通りに事が進まないと他人へ八つ当たりする人間たち

          面食らってしまった。 これ以上失望させないでくれと何度も思った。 今日も私はどうしようもないイライラの捌け口として働く。 26歳。正社員。 その仕事内容は半分はもはやストレスの捌け口と、聞いてほしい話だけ聞いてくれる都合の良い人間であることだ。 書いてて悲しくなって来た。 私がやった訳じゃ無いのに責められる。 何も関与してなくても責められる。 都合の良い時にだけ話しかけられて 、都度気前の良い返事が求められている。 どうしようもなくお人好しで何も意見を強く言え

        【誰かと生きる人生と、お金という概念】

          "じゃない方"の私

          私は昔から誰かと2人でいるケースが多かった。 先生に大層可愛がられるやんちゃな女の子。 ユニークで周りからも一目置かれている女の子。 そんな友達がそばにいる事が何の取り柄もない私にとっての幸福だった。 しかし当時はそれだけであった。 成績も悪くなく、真面目で大人しい、自己主張のない私に成長して、自分らしさというものがないことに気がついた。 その何かを、持っている人が心底羨ましかった。 何かを持っている友達は、いつも先生や先輩から目を向けられている。 それが故に私は

          新しい場所ではいじめられる可能性が高い

          こんばんは。 圧倒的INFJな私です。 前回の続き。 人生を送る中で、自分の身によく起きたこと、それが新しい場所に足を踏み入れた時に起きる"イジメ"、それに近しいものであった。 人生で初めてそんな経験をしたのは幼稚園の時だった。 当時のことは朧げで、辛いと言う記憶と父母を心配させたくないという必死の気持ちと、幼稚園に行きたくないと言う考えただけでお腹が痛くなるような。 そんな記憶ばかり。 私は早生まれで当時本人は自覚していなかったが、周りから見れば鈍臭くて、例えば運動会

          新しい場所ではいじめられる可能性が高い

          私は許されない側の人間である

          今の私のベースになっている考えが幾つかある。 ①許されない側の人間である ②新しい環境では先ず最初にいじめられる(可能性が高い) ③自分は"じゃない方"である ④自分がされて嫌なことは相手にしない 以上のそれぞれについて記していこうと思う。 まず【許される側】と【許されない側】、 この人種とも言える差である。 世の中には同じことをしても笑って許される側と、厳しく叱られて許されない側の人間に分かれると思っている。 例えば日常の中の些細な話ではあるが、食卓を家族で

          私は許されない側の人間である

          どうして人は誰かに怯え遠慮しながら生きることを強いられるのか

          上と下を見比べて、いつも上司にはペコペコと謙虚に見せ、部下や同僚には大変横柄な態度を取ってしまうような人が、何故か高確率で現れる。 また出会ってしまった。 現職場に採用された理由も私個人への期待ではなくら以前の就職先のネームバリューでしかなかった。 働き始めならまだしも、めったにない雑談は、いつだって前の仕事のことしか聞かれず、そこに居たから、そこで働いていた、という事にしか関心を持たれない。 ただ、同じようなことは昔からずっとあったように思う。 出会ってきた人達には

          どうして人は誰かに怯え遠慮しながら生きることを強いられるのか