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健康マインド(心に残る言葉❗)山下清「自然に行くのがいいんだな。

街中の山下清画伯

「東京の人もいなかの人も同じ人間だから、どこへ行ってもはくじょうな人としんせつな人がいる。」

3歳の時に大病で命は取り留めますが、軽い言語障害と知的障害の後遺症が残りました。
父親が亡くなり、母親が再婚。
養父の暴力で母子で福祉施設に入ります。
清は市川市の施設「八幡学園」で、(ちぎり絵)に出会いました。

1934年の作品 山下清12歳の時

「八幡学園」の顧問医(式場隆三郎)が清の才能に気づき、指導を始めると一気に才能が開花します。

1937年「八幡学園」の貼り絵の展示会が小規模ですが、開催されます。

復刻版「八幡学園」貼り絵展示会

その後は様々な展示会に清の作品が出品されます。

梅原龍三郎は高く評価して「作品だけからいうとその美の表現の烈しさ、純粋さはゴッホやアンリ・ルソーの水準に達していると思う」と賛辞を贈りました。

1938年「ともだち」・清16歳の時

1940年に清は突然「八幡学園」から逃げ出します。
これから15年間の放浪生活が始まります。
ドラマでもお馴染みの場面が繰り広げられます。
ドラマの主役は塚地武雅さん、がいい味だしてますが、初代の芦屋雁之助さんのイメージが強いです❗

1964年の舞台「裸の大将放浪記」 1980年ドラマ開始

清の非凡さは(映像記憶力)だと言われています。
花火が好きで、各地の花火大会に出かけていますが、ドラマと違い、その場でスケッチするのではなく、戻ってから記憶を呼び起こして制作したとの事てす。

有名な「長岡花火」も、そうして作られたのでしょうね。

清28歳の時の作品「長岡花火」

思い出しながら作品を制作する時の清の嬉しそうな顔が見える様です❗

制作中の清

作品や逸話を並べるときりがありません。


「自然に行くのがいいんだな。」

この言葉が私には一番山下清らしいと心に残りました。












「清の見た夢」

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