健康マインド(心に残る言葉❗)山本周五郎「歓びも悲しみも、みんな我々に、よく生きることを教えてくれる」
作家 山本周五郎の座右の銘は、ストリンドベリの「この世は巡礼である」でした。
1903年 山梨県で産まれました。
1907年 山梨県に大洪水が発生、祖父、祖母、叔父叔母を亡くしました。
周五郎一家は東京の北区に転居する。しかし転居先でも荒川の氾濫で被害を被る。
小学6年生の頃には学校新聞や回覧雑誌を作ります。
卒業後は東京木挽町の質屋に住み込む。
その質屋が「山本周五郎商店」でした。
1923年の関東大震災では商店が被災して、一旦解散。
その後、神戸の編集記者や帝国興信所の文書部で働きます。
1926年 「文藝春秋」の懸賞小説に応募した事で、文壇デビューする。デビューはしたが仕事がなく、失恋もして、精神的にも参ってしまう❗
1928年 夏頃から東京湾北岸の漁村(浦安)で暮らす事になった。
この時の経験が30年以上経過して「青べか物語」に結実する事になります。
この小説では、現在の浦安が「裏粕」と表記されて、「うらぶれた裏粕という漁師町をふと訪れた「私」は、“沖の百万坪”と呼ばれる風景が気にいり、ぶっくれ船“青べか”をテもなくかわされてそのままこの町に住み着いてしまう。
朴訥な中に利己主張もする漁民を生き生きと描いた作品です。
山本周五郎の作品には「力強く生きる庶民」が登場します。
作者と小説の登場人物との距離感が絶妙で、この作者の才能がそこにあると感じます。
戦争中に空襲が激化すると、周五郎は隣組班長として住人の避難を指揮する事があったとの事、あくまで庶民感情の中に身を置きます❗
「歓びも悲しみも、みんな我々に、よく生きることを教えてくれる」
幼児の頃から災害や震災、戦火に見舞われた中で、必死で生きるみんなの姿を尊いと伝えたい周五郎の意志が表れた言葉だと感じて心に残ります。