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健康マインド(心に残る言葉❗)阿部定「そうね、人間一生にひとりじゃないかしら」

「そうね、人間一生にひとりじゃないかしら、好きになるのは。ちょっと浮気とか、ちょっといいなあと思うのはあるでしょうね、いっぱい。それは人間ですからね。けどね、好きだからと言うのはひとり」

1936年 5月18日 東京都荒川区尾久の待合で事件は起こりました。

事件当時の新聞記事


阿部定に会った坂口安吾の感想。出所後1947年の会見です。

「阿部定さんに会つた感じは、一ばん平凡な下町育ちの女といふ感じであつた。東京下町に生れ、水商売もやつてきたお定さんであるから、山の手の人や田舎育ちの人とは違つてゐるのが当然だが、東京の下町では最もあたりまへな奇も変もない女のひとで、むしろ、あんまり平凡すぎる、さういふ感じである。すこしもスレたところがない。つまり天性、人みしりせず、気立のよい、明るい人だつたのだらうと思ふ。」

「僕がお定さんに、なんべん恋をしましたか、と云つたら、たつた一度なんです、それがあの人なんです、三十二で恋なんて、をかしいかも知れないけど、でも一度も恋をしないで死ぬ人だつてタクサンゐるんでせう、と訴へるやうに僕を見た。」

「然し、この恋といふ言葉は、お定さんの自分流の解釈で、お定さんは男が好きだつたことは少女のころから有つたのである。けれども、いつも騙された。相手がいつもダマすつもりで近づいてくる男ばかり、いかにも女らしい、そして人のよい、かういふタイプの人々は、だいたい男にダマされやすいタイプぢやないかと私は思ふ。

 つまり好きな男に好かれた、それをお定さんは恋と云つてゐるので、それがあの人一人であつたといふ。」

逮捕時の写真で私の気に入ってる物❗

被害者の石田吉蔵は東京 中野にある鰻料理屋「吉田屋」の主人で、定は「田中加代」の偽名で住み込み女中になりました。それが事件の3ヶ月前。
住み込んだのが2月1日、10日程で関係ができ、奥様にも気付かれ、4月22日に出奔❗
渋谷・玉川の待合を転々として荒川区尾久の「満左喜」に滞在、ここで事件が起きました。

事件が起きた「満左喜」(まさき)

5月18日の事件の翌日 定は買い物をして映画を観て、品川駅前の「品川館」に宿泊。
大阪に逃げるつもりだったが、新聞に大々的に報道されてるのを知り、マッサージを受け、ビール3本飲んで別れの手紙を書いた。
20日の午後四時、高輪署の刑事が部屋に来ると「あたしがお探しの阿部定です。」と言い放った❗
懲役6年の判決が決まり、1941年5月17日に出所して一般人として暮らしました。

63歳になった定の言葉がこれです。
「そうね、人間一生にひとりじゃないかしら、好きになるのは。ちょっと浮気とか、ちょっといいなあと思うのはあるでしょうね、いっぱい。それは人間ですからね。けどね、好きだからと言うのはひとり」

65歳で、当時働いていた千葉県鋸南町のホテルを出奔❗行方知れずになりました。
定さんの、生涯は色恋沙汰で埋もれていました。
けれど「一生にひとり」と思っていたのか❓
そう、言いたかったのか❓
凡庸な私には判りません。



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