健康マインド(心に残る言葉❗)阿南惟幾「損な役回りになったもんだ。」
1887年産まれ 阿南惟幾(あなみこれちか)
昭和天皇は「あなん!」と呼ばれたとの事。
1929年には侍従武官として昭和天皇に仕えました。
当時の侍従長であった鈴木貫太郎内閣での陸軍大臣として、終戦に尽力した人物。
日本の教育では、阿南の名前があまり出てこないのは残念です。
鈴木貫太郎と阿南惟幾の二人は日本の近代史では欠かせない登場人物です。
阿南惟幾の言葉は沢山残っています。
「ドンドン、ドンドン行けー!」
中国戦長沙作戦での進撃を語った言葉も残っています。
豪胆な面もあるが、軍人としては家族想いの温和な人柄だったと伝わります。
1945年 4月 何度か辞退を願ったが昭和天皇直々の指名で就任した鈴木貫太郎首相。
難局で陸軍大臣の任を全うできるのは、上下に人望の厚い阿南しか居ないと阿南惟幾を指名しました。
指名された阿南は特攻作戦を命じた司令官として「空中で討死する❗」意向が強かったが、説得に応じて就任した。
そして終戦にむかっての舵取りが始まった。
まず、米内海軍大臣との衝突がありました。
阿南は最後に一撃を加えて講話する案、米内は即時講話論で平行線になっていた。
軍部内部の徹底抗戦派を押さえながら、講話に持ち込むのは至難の技で、現在から見ても(薄氷を踏む)仕事でした。
そんな中で阿南惟幾は「損な役回りになったもんだ」と嘆いたと言われています。
阿南の言葉通り「損な役回り」でした。
陛下の御聖断を受けてポツダム宣言受諾に向けての話し合いの中で、陸軍交戦派の意志をくみ取った発言を続けて、状況を見ながら、陛下の意思通り終戦するために、全閣僚のサインが必要な書類を完成させる必要があった。
それまで、阿南は殺される訳にはいかなかった❗
終戦の詔書の文面に関して阿南はぎりぎりの主張を続ける。
「まだ最後の勝負はついていないので、ここはやはり“戦局必スシモ好転セズ”の方が相応しいと思う」と主張❗
粘り強い交渉を続けた、それは最後の陸軍大臣としての誇りと使命に殉ずる阿南の叫びだった。
署名後、阿南は鈴木首相に交渉間の迷惑を詫びている。
「総理をお助けするつもりが、かえって対立を来して、閣僚としてはなはだ至りませんでした。自分の真意は国体の護持のみです。」と頭を下げる。
鈴木首相は阿南の肩に手を置き、「あなたの気持ちは私が一番知っているつもりです。敗戦はしますが、日本の前途に対しては悲観していません」と力強く言います。
阿南は「わたくしもそう信じます。」
そして阿南は自決して陸軍の終焉を告げました。
こんな大役を「損な役回りになったもんだ。」と言える豪胆で繊細な阿南惟幾の様な人物が日本に居たからこそ、今の日本があります。
8月15日の玉音放送後、臨時閣議で鈴木首相から「阿南陸軍大臣は今朝5時に自決されました。反対論を吐露しつつ最後の場面までついて来て、立派に終戦の詔勅に副署してのち、自刃して逝かれた。このことは立派な態度であったと思います」「実に武人の最期らしく、淡々たるものであります……謹んで、弔意を表する次第であります。」と報告した。
ぜひ、この話を語りつないで欲しいと思います。