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健康マインド(心に残る言葉❗)夏目雅子「なめたら、いかんぜよ!」

この夭折の女優には、この言葉の反骨心がありました。
1957年 東京渋谷で産まれた小達雅子。実家は雑貨店でしたが、東京オリンピックの道路拡張で、店をビルにして貸しビル業で成功!
高輪、横浜に住み、千葉には別荘もあった。

雅子は17歳の時に映画「ひまわり」のソフィア・ローレンに憧れ、女優をめざします。

1970年公開「ひまわり」

1976年から短大を辞めて芸能活動に、日本テレビ「愛のサスペンス劇場」のオーディションで選ばれ女優デビュー❗
57連続NGを出し(お嬢さん芸)と言われてしまう。

翌年はカネボウ化粧品キャンペーンガールとなり、CM出演❗

芸名を小達雅子→夏目雅子に改名します。

このCMのデレクターが「伊集院静」で、運命の出会いでしたね。
同時にこのCMが仕事を呼びます。
映画「トラック野郎・男一匹桃次郎」のマドンナに抜擢されます。
鈴木則文監督によると雅子は(カチンコ)の事も知らない「全くの素人だった」との事。

1977年11月撮影 菅原文太と愛川欽也にはさまれた雅子

私もこの映画は観ましたが、この女優さんが伝説になるとは思いませんでした。
翌年のテレビドラマを観た時は別の印象でしたが。

1978年 夏目雅子を開花させるドラマ「西遊記」が始まります。
「三蔵法師」役が何故雅子に決まったのか知りませんが、ドラマは高視聴率で大ヒット❗夏目雅子も一躍人気女優になりました。
「丸坊主姿の三蔵法師」雅子の毅然とした美しさはお茶の間で評判になり、キャンペーンガールのイメージを変えます。

三蔵法師を女にして夏目雅子が演じたこともヒットの一因です。

このドラマがヒットして、続編も続いた事で夏目雅子の演技力があがりました。
後の雅子の芝居に、三蔵法師の影を見る事があります。

(お嬢さん芸)と言われたり(キャンペーンガールで際どいポーズ)をして、映画で(こんな事も知らないのかっ!)と言われた雅子の決意が三蔵法師に乗り移ったと思います。

その後女優としての役に恵まれます。
「悪魔の手毬唄」「虹子の冒険」「ザ・商社」「二百三高地」

初主演「虹子の冒険」は久世光彦に推されました。

「ザ・商社」はNHKの和田勉演出でしたが、このドラマの山崎努とのからみ場面は女優夏目雅子を一段レベルアップしました。
是非見てください❗

23歳の夏目雅子「昭和の微笑」と呼ばれます

24歳の時に(バセドウ病)の手術を行い、翌1982年「鬼龍院花子の生涯」の撮影が始まります。
雅子25歳の時ですが、演技のレベルは高く25歳の女優とは思えません。

有名なこのセリフを言う場面は、鬼龍院家の養女として育った松恵が家を捨てて一緒になった男が死に、男の実家の葬儀で妻として認めない扱いに我慢できず、男の遺骨を持ち帰るシーンです。
土佐弁で、土佐の侠客の娘である事を言いタンカを切ります。

「なめたら、いかんぜよ!」

私にはこのセリフに、夏目雅子の女優としての27年の生涯が込められていると思われて心に残ります。

「短い生涯だから輝いた!」と言う人も居るかも知れませんが、私は1年でも2年でも長生きして夏目雅子の作品を観たかった。
できれば今年67歳になる夏目雅子の艷やかな笑顔を見たかった❗

私より1歳年下だと思うと涙が止まりません。

永遠の夏目雅子の笑顔



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