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健康マインド(心に残る言葉❗)アインシュタイン「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。」

ドイツ産まれの天才物理学者「アルベルト・アインシュタイン」
1879年産まれ 幼少の頃から数学が得意な少年でした。

妹のマリアとアルベルト

9歳で、(ピタゴラスの定理)を知り証明。
12歳では、微分積分を独学で習得、天文学や物理学に興味を広げます❗

1905年 26歳の時に超人的な論文を3つ発表して「奇跡の年」と呼ばれます。
「光量子仮説」「ブラウン運動」「特殊相対性理論」です。

「奇跡の年」の頃のアインシュタイン

天才アインシュタインにも、俗世の苦労はあります。
大学教授になり、結婚、子供ができる。
ベルリンで親戚の女性と恋に落ち、奥さんは子供二人を連れて別居。
別居5年後離婚となるが、手持ちの金がなく、妻には「将来ノーベル賞を取って、賞金を渡す」と約束して、なんとか離婚を成立させました。
その後再婚、2年後にめでたくノーベル賞を受賞して、元妻への約束が果たせました。

その後戦火に見舞われ、自身は肝臓病、黄疸に罹患するも研究は続けます。
アインシュタインの「相対性理論」は物理学理論として定着し、世界中に名前が広まりました。
アインシュタインはイギリス・フランスから1922年に日本にも来て「大正天皇」に謁見しています。
ドイツではヒットラー政権でアインシュタインは迫害される立場だったのでアメリカに移住します。
アメリカ国籍を取得して、海軍省兵器局顧問に就任。
魚雷の起爆装置等の兵器開発に尽力するが、1945年の原爆投下には衝撃を受け「我々は戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」と演説しました。
翌年「原子科学者緊急委員会議長」を引き受けます。

1947年のアインシュタイン

再婚した妻に先立たれ、腹部大動脈瘤の存在を知り、「人間は肉食動物ではない」と主張してベジタリアンの生活を実践しました。
76歳で亡くなるまで、研究を続け、平和を訴えました。

「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。」

この言葉は、アインシュタインの生涯をかけた研究と、研究の平和利用を訴え続けた真摯な言葉です。

日本で有名な写真の、天才奇人とは違った面です。

「笑ってください」とカメラマンに言われ、照れて舌を出すアインシュタイン







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