健康マインド(心に残る言葉❗)村上龍「絶望した時に発狂から救ってくれるのはプライドである。」
1952年 長崎県佐世保市産まれ 24歳の時に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞・芥川賞を受賞します。
この本が100万部売れて、映画化、一躍時代の寵児になりました。
父親は中学の美術教師、母親は数学教師。
高校時代は学生運動に参加、「想像力が権力を奪う」を掲げてバリケード封鎖し、停学。
ロックバンドを結成して8ミリ映画を撮り、上京。
1970〜1972年 横田基地横の福生に住んだ。
その頃の同年代のやるせなさを描いたのが「限りなく透明に近いブルー」でした。
1976年の発表です。
私は前年に上京してましたから、御茶ノ水の本屋で、芥川賞受賞のこの小説が掲載されていた文藝春秋を立ち読みで読了しました。
当時の私には実感がわかない感覚でしたが、同年代で芥川賞作家が出現した事に高揚していました。
この時、文学部の学生だった私は、横田基地界隈の若者文化を羨ましく感じて、村上龍の作家としての才能に気づけませんでした。
受賞後の一作目「海の向こうで戦争が始まる」で村上氏の才能が素直に「すごい」と感じる事ができました。
その村上龍の言葉の中で「絶望した時に発狂から救ってくれるのはプライドである。」は、発狂する程の絶望を感じる感受性に恵まれなかった私の、小さな不安も解消してくれました。
40年ぶりに再読しましたが、その豊潤なイメージの炸裂は、凡庸な生活を過した私をさえ、「生きてきたプライドを持て❗」と励ましてくれました。
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