健康マインド(心に残る言葉❗) 寺山修司 「書を捨てよ、町へ出よう」
フランスのアンドレ・ジッドは1869年パリ6区で産まれました。日本の文壇にも多大な影響を与えた小説家
当時の堀口大學・石川淳・横光利一らの後で1967年青森県産まれの演劇青年(寺山修司)によって、アンドレ・ジッドの紀行文「地の糧」にあったフレーズ「書を捨てよ町に出よう」を題した評論・戯曲が発表され、若者の心をつかみました。
以後寺山修司の語る言葉として「書を捨てよ、町へ出よう」が心に残っています。
私は 角川文庫版を書店で見るたびに、寺山修司の口籠る話し方を思い出す世代です。
角川書店・角川文庫
収録
第1章 書を捨てよ、町へ出よう
第2章 きみもヤクザになれる
第3章 ハイティーン詩集
第4章 不良少年入門
過保護気味で育っていた私達に1935年(昭和10年)産まれの歌人は「町へ出ろ❗」と喝を入れました。
これは(みんなで一緒に町へ出よう)と呼びかけたのではありません。
あくまで自意識の中で冒険に出ることを示唆した言葉ですが、実際にこの言葉で家出する少年もでてきました。
1971年には映画版「書を捨てよ、町へ出よう」も製作されました。
寺山修司の47年の生涯の中では既に円熟期に入っていた、この天才の仕事を半分は理解できずに居ました。
私はこの言葉を「書を捨てよ、町に出よう!」と覚えていました。
「町に出よう」と「町へ出よう」の違いは❓
この町とは東京を意味するのか❓
「私の墓は、私のことばであれば十分」と言い遺した寺山は「寺山修司」ワールドに生きていました。
まだまだ、私の中の寺山修司ワールドは消化できていません。
てすからこの言葉「書を捨てよ、町へ出よう!」は未だに過去の物にならずに私の頭の中でもやもや漂っています。
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