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健康マインド(心に残る言葉❗)高峰秀子「人はあんたが思うほど、あんたのことなんか考えちゃいませんよ。」

1924年 函館産まれの秀子は、母親を四歳で亡くし父の妹(志げ)の養女になり東京に来ました。
(志げ)は活動弁士と駆け落ち結婚して、自分も女活弁士として「高峰秀子」の名前で活動していました。

(志げ)の一家は東京下谷の鶯谷にあり、夫は旅回り一座の興行師で家に居ませんでした。
たまたま帰って来た時に蒲田撮影所に行きますが、この時に秀子の手を引いて行ったのが秀子の運命を決めます。

この時に飛び入りで子役審査に参加した秀子はヒロインの妹に選ばれます。
秀子5歳の時です。

1929年 松竹蒲田に入社。養母の弁士時代の芸名「高峰秀子」を名乗る事になりました。

子役時代のプロマイド

その後「高峰秀子」は日本映画に欠かせない女優として成長します。
皆は映画の中で成長する秀子を温かく見守ります。

1941年「秀子の車掌さん」

1937年 東宝に移籍
1946年 新東宝に移籍
1950年 フリーになる
1955年 松山善三監督と結婚

松山善三・高峰秀子の結婚式

1979年 映画「衝動殺人 息子よ」出演。八千草薫降板による代役でした。
この時、秀子は「とっくに引退したつもりだったんですけどねぇ」とこの出演で女優引退を表明。

その後は、エッセイストとして活躍、2010年 86歳まで充実した生涯を過ごしました。

華々しい女優としての道を歩んだ秀子の言葉ですから、いっそう心に残ります。

「人はあんたが思うほど、あんたのことなんか考えちゃいませんよ。」

こう思って居れば秀子の様な生涯を送れるのでしょうね❗

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