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健康マインド(僕らの女流歌人❗)「中島みゆき」①
今も(僕らの歌人)のふたり❗
「中島みゆき」「松任谷由実」です。
では「中島みゆき」ワールドから。
1952(昭和27年)北海道札幌市産まれ。
1975年 キャニオンでデビュー(アザミ嬢のララバイ)。
(時代)でグランプリ受賞❗
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デビュー前から当時住んでた帯広のジャズ喫茶で歌って、ファンが居ました。
当時のファンはメジャーデビューを喜んだのか❓
私なら(僕だけの中島みゆき)で居てくれ! と思ったでしょうね。
翌1976年 ファーストアルバム(私の声が聞こえますか)を発表❗
あぶな坂
あたしのやさしい人
信じられない頃に
ボギーボビーの赤いバラ
海よ
アザミ嬢のララバイ
踊り明かそう
ひとり遊び
悲しいことはいつもある
歌をあなたに
渚便り
時代
それぞれに想い出深い曲です。
研ナオコに提供した(あばよ)(LA-LA-LA)で一気にメジャーになります。
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研ナオコが年末紅白歌合戦で(LA-LA-LA)を歌った時から、その曲の作詞作曲者(中島みゆき)の名前が広まり、翌1977年自身が歌う(わかれうた)で鮮烈な印象を与えます❗
(LA-LA-LA)
♫明日 朝目覚めたら あたしはもう消えてるわ 呼んでみても無駄なこと その頃夜汽車は となり町 遠い昔は こんなあたしでも あいつの話 ...
(あばよ)
♫何もあの人だけが世界中でいちばん やさしい人だとかぎるわけじゃあるまいし たとえば隣の町ならば隣りなりに やさしい男は いくらでもいるもんさ
明日も今日も留守なんて 見えすく手口使われるほど 嫌われたならしょうがない 笑ってあばよと気取ってみるさ 泣かないで泣かないで 私の恋心 あの人はあの人はお前に似合わない
当時私は(中島みゆきの歌)で女心が判ったつもりになっていました。
しかし❗毎年リリースされるアルバムを聴いてると、判らなくなって来ました、今でも。
続く