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健康マインド(心に残る言葉❗)池部良「ご一緒、願います」

1918年(大正7年)産まれの男性としては、異例のカッコ良さである❗
著名な風刺漫画家を父親に持ち、7歳上の従兄は芸術家「岡本太郎」、叔父は岡本一平と恵まれた文化的な環境に育ちます。

自身は長身でハンサム、立教大学英文科を卒業して東宝入社。
入社時は監督志望でしたが、戦時下で映画制作も激減して助監督らスタッフがあぶれていました。
たまたま出演した作品が好評で俳優として注目されますが、すぐに徴兵、1942年(24歳)中国に派遣されます。
大学卒なので「幹部候補生」に無理やりされて厳しい訓練の日々を過ごし、南方戦線に陸軍少尉として赴任します。
激しい戦火を戦い抜き中尉で終戦を迎えました。

戦後、俳優復帰を迷っていたところ、東宝や高峰秀子に請われて復帰❗
戦後の日本映画の主役を数多く勤めます。
1949年「青い山脈」では(青春スター)・1950年「暁の脱走」1952年松竹作品「現代人」を皮切りに、文芸作品「坊ちゃん」「雪国」「暗夜行路」など二枚目スターとしての地位を確立します。

1953年「坊ちゃん」岡田茉莉子と池部良

その後、新たな役柄にチャレンジ❗

1964年 篠田正浩監督「乾いた花」に出演。
加賀まりこを相手にヤクザ男を演じました。

「乾いた花」の池部良(46歳)・加賀まりこ(21歳)

この役をきっかけに任侠映画にも出演。
東映「昭和残侠伝」で高倉健と共演。
1970年には 名作「昭和残侠伝 死んで貰います」の名シーンを演じます。

高倉健(39歳)・池部良(52歳)
「男同士の道行き」東映任侠映画の至宝シーンです❗

親交のあった三島由紀夫は任侠映画好きで、この映画を観た感想で「何よりも、池部良がよかった。ラストの道行きは日本文化の伝統を伝える❗」と絶賛しています。

名場面は、殴り込みをかけようとする、ヤクザ秀次郎(高倉健)。
恩がある板前の風間(池部良)が待っている。
互の気持は重々わかっている二人の会話。

秀次郎「重さん、このケリは俺に付けさせておくんなさい。堅気のオメェさんを行かせるわけにゃいかねエ」

風間「秀次郎さん あれから十五年。見ておくんなさい。ご恩返しの花道なんです」

そして、間をおいて、
風間「ご一緒ねがいます」と二人で歩き出す。

残侠とは残っていた侠客の意味です。
侠客とは義侠心を持ち、「弱きを助け、強きをくじく男伊達」です。
そんなロマンにひたれる言葉です。

「ご一緒、願います!」



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