潰瘍性大腸炎でも日本の大学から編入してアメリカの大学をGPA4.0で卒業できたよって話(2)
皆さんこんにちは、金木犀です。
前回、潰瘍性大腸炎の診断がつくまでのお話をしたので今回は実際の入院生活を何回かに分けて書いていこうと思います。
私は約1ヶ月半の入院を2回しました。今回は1回目の入院と学校への復帰までのお話をします。
大学病院の小児科で大腸内視鏡を受けたあと、私は即入院し病棟での生活を始めました。眠って検査を受けたので病室に戻って目を覚ますと、家族が待っていました。
「私の結果どうだった?」
私は起きてすぐに聞きました。そうすると、おばあちゃんが紙に「潰瘍性大腸炎」と書いて教えてくれました。そして主治医の先生とこれから治療をしようという流れになったと。
私はやっと病名がついて安堵したと同時に、「心は元気なのに一体何が起きちゃったのか」と一瞬思った記憶があります。身体だけ思うように動かないもどかしさからそう思ったのかな。
「今日からこのお薬を飲んでいきましょう」
渡されたのはペンタサというお薬。IBDの人からすれば一般的なものかと思います。私は当時中学1年。ペンタサは私にとっては大きい錠剤で飲み込むのに一苦労。ちょっと噛んじゃったことも。そしてご飯もIBD用の消化の良いメニューに。はじめ私にとっては物足りなかった。だけど人間って不思議なもので慣れると何とも思わなくなる。
こんな生活が1ヶ月続き、途中からプレドニゾロン(ステロイド)も追加したかな。ステロイドの副作用は厄介で一番嫌だったのはムーンフェイス。常にマスクをして生活するようになりました。「医者って患者の社会的な痛みは取り除けないんだなぁ」って、私のなかで医者最強説が崩れました。
薬はこんな感じで飲み続けて、私が学校に行きながら治したいとお願いして退院することに。
体力落ちたな、学校疲れる、、
私の学校は本当に手厚くサポートしてくれました。今でも感謝しています。久々に登校して感じたことは、「一日いるだけで疲れる」。疲労感が異常でした。そのため少しずつ少しずつ慣らすことに。初めは2時間目まで、もしくはお昼から登校、のように。幸い友達には恵まれて、いつ登校しても普通に接してくれて良い意味で特別扱いもなく居心地が良かった。しかし、ある問題が、、それは、、
勉強がわからない。
勉強。かなり遅れを取りました。特に歴史はドラマでいう一話を見て次に八話を見る感覚。一体何が起こったのかさっぱり。焦る気持ちはあったけど、心がけていたことそれは、
授業に出なくとも教科書に全部書いてある
そう。これです。教科書に全部書いてあるんです。私は自力で主要科目を勉強し、のちに学年1位を取ることになるのですが、、その話はまた追々することにしましょう。
今日はこの辺で。See you soon :)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?