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50歳おばさん、チェアスキー奮闘記

こんにちは、皆さん。
今回は、私の妻、美津江が50歳から始めたチェアスキーの挑戦記をお話しします。
彼女は赤ちゃんの頃に小児麻痺にかかり、スポーツとは縁遠い人生を送ってきましたが、長野オリンピックをきっかけに一大決心をしてチェアスキーに挑戦しました。
その奮闘の様子を、夫の視点からご紹介します。

小児麻痺との戦い

私の妻、美津江は赤ちゃんの頃、小児麻痺にかかりました。
そのため、彼女の体は自由に動かすことができず、体育の授業でもいつも見学するだけでした。
彼女は運動する楽しさを味わうことがなく、憧れを抱えながら生きてきました。
私たちが結婚してからも、スポーツは私の楽しみであり、彼女は見守る立場にいることがほとんどでした。

長野オリンピックの衝撃

1998年の冬、私たちは一緒にテレビで長野オリンピックを観ていました。
そこで目にしたのが、チェアスキー競技でした。
障害を持つ選手たちが滑る姿を見た美津江は、突然「私も滑りたい!」と叫びました。
彼女がこんなに強く何かを望む姿を見たのは初めてで、私は驚きましたが、彼女の願いを叶えるために一緒に行動することを決意しました。

初めてのスキー場

私はスキーが好きで、福島の箕輪スキー場を楽しんでいました。
私が滑っている間、美津江はお風呂や読書を楽しんでいました。時には美津江を背負って滑りました。彼女の体重はその頃38kgしかなく(今はもう少し上)、私の太ももと彼女のウエストが同じサイズだったため、それほど負担ではありませんでした。
しかし、彼女は自分で滑りたいという強い思いを抱いていました。

チェアスキーとの出会い

そこで、チェアスキーを借りて、専門の指導を受けることにしました。
福島箕輪スキー場に通いながら、少しずつ練習を始めました。
最初は超初心者用のゲレンデでも怖がり、「キャーキャー」と叫びながら滑っていました。
私は「お散歩紐」を使って彼女のスピードをコントロールし、滑りすぎないようにしました。
それでも、初めての滑走は彼女にとって非常に恐怖だったようでした。

少しずつの進歩

少しずつ、美津江はチェアスキーに慣れていきました。
恐怖を乗り越えると、次第に滑れるようになり、技術はメキメキと上達していきました。
インストラクターから「運動神経が良いですね」と褒められることも増え、彼女は自信をつけていきました。
そして、自分のマイ・チェアスキーが欲しくなり、私たちは購入を決めました。

夢の実現

チェアスキーを始めてからの数ヶ月、美津江の生活は一変しました。
50歳にして初めて、本当の意味でのスポーツの楽しさを知ったのです。
風を切って滑る感覚、雪の上を自由に動き回る喜びは、彼女にとって何にも代えがたいものでした。チェアスキーを通じて、彼女は新たな自分を発見し、長年の夢を実現することができました。

結びに

私の妻、美津江が50歳にしてチェアスキーに挑戦し、奮闘した記録は、単なるスポーツの一つの体験に留まりません。
彼女にとってそれは、人生における新たなチャレンジであり、自己発見の旅でもありました。
小児麻痺という障害に負けることなく、自分の可能性を信じて一歩踏み出すことの大切さを改めて感じることができました。

「私も滑りたい」と絶叫してから20年以上が過ぎ、最近はスキーから離れています。
しかし、人生は何歳になっても、新たな挑戦と発見に満ちています。
美津江の物語が、同じような境遇にいる人々に勇気と希望を与えることができれば幸いです。

今回はここまで。次を書く準備に入ります。またお楽しみに。


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