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空想好きだった、子供の頃の私へ。
幼い頃から、何かと空想するのが好きだった。絵本に描かれる架空の世界も、テレビに映し出される異国の風景も、すべて自分のものだった。
きかんしゃトーマスのプラレールにトミカのおもちゃたち。手に取れば、トーマスが架空の街を冒険する物語、車に乗った私が架空の世界を旅する物語が頭の中で広がっていく。
作り出された物語は、誰にも奪われることのない唯一の宝物だった。
小学生になると、「将来の夢は漫画家」と口にするようになった。空想癖が延長した結果だ。
姉からもらった大学ノートや母親からもらったチラシの裏に、架空の物語を鉛筆で描き起こしては恍惚とした気持ちに浸っていた。頭の中はいつも物語でいっぱいだった。
だけど自分の絵が、頭の中で想像している世界を描き出せないことに気がつくまで、それほどの時間は要さなかった。要するに絵がヘタだった。
次第に私は、漫画家の夢を口にしなくなっていった。
それでも、漫画家を諦めた私の夢の変遷は続いた。中学・高校の時はミュージシャン、大学生の時はカメラマンになるのが夢だった。ギターをセクシーにかき鳴らすジョン・フルシアンテや、ハイコントラストモノクロのクールな写真を撮る森山大道に痺れっぱなしだった。だけど、どの夢も形を成さぬまま、私は地方のインテリアメーカーに就職した。
20代の後半、再び"かく"ことへの興味が芽生え始めた。”描く”ことではなく、"書く"ことへの興味へ。
気がつけば私は小説を書くようになっていた。
ダイニングテーブルでせっせと書き上げた原稿用紙150枚程度の小説を、とある新人文学賞に応募した。選考委員を務めた作家の「なんでも送っていいよ!」と言う言葉が応募を後押しした。仕事や家庭と多忙な日々を送る中、小説を書く週末のわずかな時間は唯一の心のよりどころだった。
待ちに待った選考結果の発表。一次予選すらも通っていなかった。見事な惨敗だ。落ち込んだ。それでも、初めて小説を書き上げた時の達成感は心の中に残っていた。また気が向いたら小説を書くさ。そう自分に言い聞かせながら、私はまた慌ただしい日々の中に戻っていった。
そして現在。31歳の私はまた小説を書いている。相変わらず仕事に家庭にと慌ただしい日々を過ごしているけれど、細々と時間を見つけながらせっせと書いている。
作家になりたいという思いが本物なのか、それともただ過去に抱いた漫画家の夢を諦めきれないだけなのかは分からない。子供の頃に遊んだおもちゃも、姉から譲り受けた大学ノートも、今はもうない。空想好きだった子供の頃の自分が、今もなお私の中に生き続けているだけだ。
でも小説を書くことを通じて、あの頃の自分、空想好きだった子供の頃の自分は間違っていなかったということだけは、証明したいと思っている。
それが今の私にできる、子供の頃の自分への礼節だからだ。
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