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「良い刺激」と「羨む、妬む」のバランスの話

引き続きおにぎりアクションやっています。
給食たくさん届きますように!

ところで、「人から良い刺激を受ける」ことって、うっかり「人を羨む、妬む」ことになってしまう危うさがあると思いませんか?


私の今までの人生を振り返ると、社会人になってから極端に「良い刺激」が少なくなってしまった気がします。
少なくなったことにさえ気づいていなかった。
最近、たまたま学生時代の友人や先輩の話を聞く機会があり、久しぶりに良い刺激を受けて、仕事のモチベーションが高まりました。
昔はしょっちゅうこういう気持ちになって、手帳に目標を書いたりするのが好きでした。

同時に、心の中にほんの少しだけど醜い感情があることにも気がついて、情けなかった。

いいなあ。私も環境さえ違っていたら……」

昔はキラキラしてる友達の話を聞いて「すごい!わたしも頑張ろう!」と簡単に思えたけど、今はもう30歳。
ついこの間社会人になったばかりのように感じるけど、もう取り返しのつかない差が生まれているとも感じます。
この絶望が、人を妬む気持ちに繋がるのかもしれません。


でもそんなこと考えていても仕方ないし!
ウサギとカメ的な展開で、40歳くらいには同じくらい私もキラキラできるかもしれないし!
そもそも人と比べるものでもないし!

とまあ色々自分に言い聞かせて、
決して腐らず(ここ大事)
目の前のことを頑張りたい思います。

ちなみに、こういう場面で「羨ましい」と「ズルい」を混同することだけはないように、いつも気をつけています。

あの子がキラキラしてるのは、頑張ったから。
羨ましいけど全くズルくはない。

当たり前のことかもしれないけど、この感情を正しく処理した人だけが、「わたしも頑張ろう!」と前に進める気がして。

明日も仕事頑張ります。







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