「像阳光那样」王一博の踊りを味わいたくて歌詞を読み、長恨歌にたどりつく
王一博の歌唱曲「像阳光那样」。歌詞を調べるうちに和漢朗詠集から長恨歌にたどりついたことを書いてみる。ちょっと長いです。
「像阳光那样」について
作詞:唐恬 作曲:钱雷 歌唱:王一博
王一博が昨年暮れに出した中国のポップス曲。彼の地の年越しテレビ番組で、コンテンポラリーダンス作品にしたこの曲を、本人がはだしで踊って一部界隈で話題になった。
ダンスに詩情があり、とても素敵で、歌詞の内容を知りたいと思ったものの中国語がよくわからない。調べるうちに、和漢朗詠集から長恨歌に行き着いてわくわくした。
歌詞の作詞者は唐恬さん。女性。中国の検索サイト百度によると癌で10年闘病された方だそう。そんな中で作詞を続けるとはすごい方だと思う。
曲のタイトル「阳光」の阳は太陽の「陽」の簡体字。「像阳光那样」は「あの太陽の光のように」。そんな具合に一文字ずつ中日辞典で引いては調べていった。
新しい生命の気配に満ちた春の夜の出会い、幻想的な秋の夜の出会いを描いている歌詞だった。心の通う相手との時が過ぎ去るのを惜しみ、孤独の寂しさをうたいながらも、めぐる季節を未来への希望になぞらえて、陽の光のように明るく生きようとうたう。厳しい冬を越え、花開く命の力強さを愛でるこの詩は、出会った二人への予祝でもあるだろう。
しみじみいい歌詞だなあと思う。言葉が互いに呼びかけあっている。気づいたところを太字にしてみる。
歌詞 一番
「我 你 我们」 ぼく きみ ぼくたち
少しずつ近づく言葉の配置は、距離感が近づくよう。
「沉默 聊起」 沈黙 おしゃべり
お互いの性格も似ているみたい。
歌詞 二番
「我 你 我们」 ぼく きみ ぼくたち
一番よりさらに近づいている距離。
「蛍火 篝火」 ホタル かがり火
螢には火が二つある。この字の持つぬくもり、
螢と篝火には関連があると言う*
螢は篝火を原義とする冠(炎が丸く広がる形)を持つ*
参考資料* http://gaus.livedoor.biz/archives/28850000.html
「花瓣坠落 落叶漂流」 落花 落葉
落花は青春を、落葉は白秋を表す。盛んな季節、衰える季節。
同じ表現は一番にあって二番でも繰り返し。
歌詞 サビから終曲
「每个路口 旅途」 交差点 旅の途上
交差点は街角のことか。日常と旅の風景の対比。
「日出 风里」 日の出 風の中
陽光のきらめく場所に、動きのある日の出と風の中が選ばれている。
「青草 飞鸟」 青草 飛鳥
地に生える草、空を飛ぶ鳥。大地と空に息づく生命の対比。
「下雪的梦 乌云重重」 雪の降る夢 厚く重なる黒雲
白雪と黒雲、色の対比。夢と雲はふんわり共通のイメージ。
「等 来」 待つ 来る
この対の言葉が二人の親密さを表すようで、好き。
つづられている言葉を一つずつ、イメージを呼び起こしながら読むと胸が熱くなる。詩はいいなあ。
終わりのほうに出てくるフレーズ、
時が過ぎ、花びらが落ち、葉が落ち、孤独な夜、と重ねられる言葉は、長く闘病された唐恬さん自身の心情の吐露のようで胸に迫る。
漢詩について、ほんの少し
実はこの歌詞を見た時、最初に「風」が吹くので「シュウシュウ谷風」が気になって気になって(これはまた別の機会にでも)。
何か関連あるかもと、白川静さんの入門文庫本で中国古典「詩経」を読もうとしたが、難しすぎてギブアップ。
趙浩如という方の「詩経入門」を図書館で借りて読み、漢詩の三法、賦 比 興を初めて知った。
こうした決まり事があると知ってから歌詞を見ると、我流の読みではなくて、漢詩の伝統に添う明確な「意思」を汲むような読み方が必要な気もする。
作詞者は当然ながら漢詩の伝統もふまえて作詞しているはず。自分が漢詩に明るければいろいろ連想できるのだが、そんな素養はないし何も見えてこない。深くその世界に降りていくほど、豊かになるのが詩の魅力なのに。
和漢朗詠集でみる「像阳光那样」
それならと季節を考えてみた。一番の歌詞に「清明、谷雨」と二十四節季の「春」が二つある。二番の歌詞の冒頭は「蛍」で、ほかには季節らしい言葉は見当たらない。本棚に和漢朗詠集があったので「蛍」の項を探した。
「蛍」は晩夏と秋の間にあった。中国の蛍は、日本と種類が違い夏ではなく秋に出ると解説本(和漢朗詠集 角川ソフィア文庫)にある。中国ではホタルは夏のものではないのか。知らなかった。
ほかに一番の歌詞の「花瓣坠落(花弁墜落)」の「落花」が、和漢朗詠集の春の部にあるのを見つけた。面白くなって和漢朗詠集にもっと言葉が見つからないか探した。 春夜や秋夜も含め、見つかった文字を太字にした。
「像阳光那样」の歌詞は、春と秋に主題がとられているのがわかる。見つかる言葉が二つの季節に集中している。「蛍」は日本では夏の風物詩だけど、中国では秋。
ちなみに、和漢朗詠集は春夏秋冬すべてに「夜」のテーマがある。夜は見えない世界が広がる時間。詩になるのは夜なんだなぁ、なるほど。
ほかに和漢朗詠集下巻にある「恋」の部が気になった。有名な白居易「長恨歌」からの三句がある。
ううむ。この文字をじっと眺めると「像阳光那样」の歌詞のように見えてくる。この歌詞がそのまま長恨歌へのオマージュのように見えてくる。もしかして、そうなのかしら…素敵!
と喜ぶ前に長恨歌全文を確認。和漢朗詠集に載る歌はオリジナルと違うらしい。
↓ 参考資料:
長恨歌と「像阳光那样」は?
長恨歌の全文は、解説サイトがたくさんあってネットで簡単に読める。たとえばこちら。
長恨歌は長い。長すぎる。。抜粋編を作って和漢朗詠集にしてくれた藤原公任さまに感謝です。それすら拾い読みしかしてないけれど。
歌を比べると、白氏文集の長恨歌と和漢朗詠集の長恨歌には違う箇所があった。なんとまあ。各行、一文字ずつ、違う。
こちらが白氏文集。
こちらが和漢朗詠集。
白氏文集の「鈴」が和漢朗詠集では「猿の声」に、「秋の雨」が「秋の露」に、「孤独な灯火」が「秋の灯火」に変えられている。ご丁寧にぴったり一文字、変えてある。
原文の白氏文集は、玄宗皇帝が楊貴妃を失った後の悲嘆と失意の日々を描く。和漢朗詠集はうたうためによさそうな箇所を抜粋したものらしい。
抜粋では前後の文章を切るから、その場面の背景はわからない。和漢朗詠集は「おもい」を表す句を切り出しているようで、まるで映像作品のように、イメージが浮かんでくる感じがする。
こういう表現は後世の俳句のようでもあり、面白いと思った。この頃からすでに、切り取る、抜き出す、抽出する、そんな試みがこの列島で重ねられていたのだろうか。
[追記 2024/2/10]
日本最古の歌集「万葉集」に、すでに原典の漢詩を一文字入れ替えている例があるそうだ。つい最近知ってちょっと感動。現在の元号「令和」の出典の万葉集の歌と、その原典となっている文選の漢詩。
万葉集は「時和氣清」の「清」という字を「淑」に入れ替えて「気淑風和ぎ」としているそう。「清」の澄みきった水のイメージを、同じさんずいの「淑」の字に変え、やわらかさを表現したものらしい。梅と蘭が風にただよってくるようだ。
[追記 2024/2/10 終わり]
こうしてみると、和漢朗詠集版の長恨歌だったら「像阳光那样」の世界にとてもよく合う。オリジナルは白氏文集だから、残念ながら長恨歌をそのまま「像阳光那样」の世界にあてはめるわけにもいかない。でも。「像阳光那样」の歌詞は、想いの深さを秘めて長恨歌をふまえていたらいいな、絶対にいいよな、という思いは捨てられない。
もしかしたら、作詞した唐恬さんは日本の和漢朗詠集版の長恨歌も知っていて、ひねりを効かせてそちらを下敷きにした、ということだってあり得ないこともないかもしれないし…と無理を押してみる。
というわけで、自分なりに歌詞を解釈してみた結果です。
ダンス作品「像阳光那样」について
ごくたまにクラシックバレエやコンテンポラリーダンス(コンテ)の舞台を見る。コンテ作品も好きだけど、わかりやすさを目指していなかったりするので、良さを伝えるのはけっこう難しいジャンルだと思う。
そんなコンテの舞踊言語を、中国ポップス歌曲にふりつけたらどうなるか。
振り付けは中国のダンサーの陈梓豪という方。歌詞を理解してからダンスを見ると、かなり具体的に振り付けられているなと思う。ダンスが演劇的に見えるのは王一博自身の演劇の素養が、ダンスの解釈に反映したのかもしれない。
一博はマルチに才能があり、ダンサー、歌手、プロバイクレーサーなど多くの肩書きを持つが、もとはストリートダンスから芸能界入りした人で、この舞台でコンテンポラリーダンスに初挑戦。
ダンス作品は5分弱。シンプルな白黒の衣装に黒い舞台。プロジェクションマッピングによる背景は白い単純線のポップな絵。舞台は暗く、出演者は一人だけ。引きの舞台構成だ。その中を王一博が一人、はだしで踊る。後半に紅葉と光の色が現れる趣向。
東方衛視のYoutube公開動画が見られなくなっているためDouyinの動画リンクをおきます。東方衛視のWeibo動画リンクも下に追加。
王一博 《像阳光那样》
一博の動きには、一つ一つに伸びがある。体の軸をどこまで伸ばすかで動きの強度が変わると思う。彼の軸は深くて長い。そして目線、表情、角度、そこにあふれる詩情。俳優、おそらく映画俳優としての演技経験から来ると思うが、それを可能にする本人の感性がなければ、こうはならない。
メイキング映像を見たが、一博は演出家の目線を持っている。協調力もあり総合力の高さが見える。ずば抜けた容姿の人だけれど、若くてきれいというだけで人気があるのでもないだろう。この人いずれ、自分で映画を作るのでは、と思う。
清明と穀雨、命の始動を象徴する季節から始まるこの曲は、連環する世界とめぐり来る希望をつなげて力強い。冬の厳しさに耐え、花開く生命力への讃歌だと思う。いい詩です。一博、希望你快乐。
補:中日辞典について
最後に、調べものについて少し。
中国の簡体字は省略形で、意味を調べる前に字を調べる必要がある。
ネットでの単語検索は面倒で四苦八苦。小学館「中日辞典」が本棚にあったことを思い出し、辞書を引いてみたらこれがまあ便利。いつの間にか辞書引きに夢中になった。
小学館「中日辞典」は、中国語の読みを知らなくても、部首を知らなくても、いろんな方法で漢字を探せるように工夫されている。困ったときは日本語の読みから引くこともできる。小学館さま、よい辞書を出してくださりありがとうございます。