意味の深海へ
私は、普段からメモを残すようにしている。
日記というよりも、思いついたことを思考が止まるまで書き殴るだけ。
だから振り返っても、いつ書いたものか分からないし、文法が破綻していて読解不可能なものもある。たくさん書いている月もあれば、全く書かない月だってある。
書きたいことを、書きたいときだけ書いているのだ。
メモを書いている時の感覚は、二種類ある。
一つは、思いついたことをまとめて書いている時。
これは、「ひらめいた!」という感覚でどこか高揚感がある。
おもしろい言葉の表現が見つかった時とか、ずっとモヤモヤしていたことが頭の中で解決したときに起きる感覚で、文量は大体二、三行書いて終わる。
メモを書いているときのほとんどはこの感覚なのだが、ごく稀に、いつもとは違う感覚になることがある。その時は、言葉がぽんぽん飛び出してきて、他のことは脇に置いて、メモに吸い寄せられたかのように数十行のメモを書いてしまうのだ。それがもう一つの感覚なのだが、どうも言葉で表せそうにない。だが今日は、強引にその時の感覚を言葉で表そうと思う。
意味の海に沈む。
ゆっくりと、ゆっくりと。
引力を感じる。
だんだん光は見えなくなり、辺りは薄暗い。
どこかぽかぽかした暖かみが私の体をつつむ。
水面が見えなくなっていくことに心地よさを感じる。
ここはただの深海ではないことがわかる。
何層にも重なり合った蜘蛛の巣にもみえてくる。
絡み合う意味を抜けて、奥底にある文脈へ。
深く沈むにつれその蜘蛛の巣は内から光だし、この海を照らす。
いろんなものが見えてくる。
ワクワクしてくる。
もしかするとあらゆる人の感情に共感し、
世界の真実に辿り着けるんじゃないかって。
とまあ、こんな感じなのだが、自分でもよく分からなくなってきた。
そしてそんな高尚なもんでもない。
ただ、その感覚になるのは悪い気はしない。
おそらくだが、ある思考に触れることでそれがスイッチとなって、
頭の中に散り散りになっていたいろんな文脈やらが一気に繋がっていって、
それでもってフィーバータイムみたいに言葉がポンポン出てくるのではないかと思う。あと、全然関係ないんだけど、友達になるかどうかって同じような海を潜ったことがあるかどうかなんじゃないかと思う。似た文脈を旅したものが発する言葉とか、聞く音楽とか、ノリみたいなものが、どこか心地いいんだろうな。
思考が発散してきたので、今日はこのくらいに。
なんか変な表現をたくさん使いましたが、皆さんも考え事が加速する時、たまにあるのではないでしょうか。そんな時にはぜひメモを残してみてほしい。文法なんかめちゃくちゃでもいい。人はすぐ忘れちゃうし、失われた記憶は多分たくさんある。でもちょっとでも振り返る何かがあると、ほんの少し未来に安心できたりするのかも、、?
そんな事を思っている今日この頃。
ちょっと肌寒くなってきましたね。