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失われた時の欠片と

先月、何もうまくいかず落ち込んでいる時期があった。まぁ私は定期的にこのような時期があるので、いつものことと言えばそうである。後、異常に食欲が強い時期も定期的にある。
ふと、昔のプレイリストをダラダラと垂れ流して聞いていた時に、あるアイドルの代表曲がかかった。その瞬間、懐かしいエキスが脳内でジュワッと広がってきた。
それは、僕が中学3年生〜大学1年生の間くらいに、猛烈に好きだったアイドルグループである。曲を聴いて、改めて好きだったことを思い出したが、よくよく考えてみると、数年間ほとんどそのアイドルの音楽のみをループしている時期があったほどであった。
面白いことに、どの曲の歌詞もメロディーも、今の僕の性格にそっくりなのである。
僕の中期の人格形成は、そのアイドルの変化と共にあったし、今もその土台が残っていると感じた。好きだった事は忘れていたが、当時培われた無意識の土台は、僕の中に残り続けているんじゃないかと考えると、不思議な気持ち。
なんか色々忘れてそうだなぁ、そんな気になった。
そのアイドルの曲をギターメドレー的にカバーしているyoutubeが好きで当時何度も視聴していたことを思い出したので、流れで調べてみた。懐かしいサムネ、メロディー、曲順!!
またまたジュンワリ暖かい何かが脳内に広がった。
さらに面白いことに、最新投稿が2日前。そのアイドルグループのギターカバーをいまだにやっていたのである。。
誰かもわからない人がものすごく近く感じた。
YouTubeにコメントなんかしたことなかったのに、思わずしてしまった。

こんな日も、悪くない。


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母は、「プチット・マドレーヌ」と呼ばれるずんぐりしたお菓子、まるで帆立貝の筋のはいった貝殻で型をとったように見えるお菓子を一つ、持ってこさせた。
少したって、陰気に過ごしたその一日と、明日もまた物悲しい一日であ ろうという予想とに気を滅入らせながら、私は何気なく、お茶に浸してやわらかくなったひと切れのマドレーヌごと、ひと匙の紅茶をすくって口に持っていった。
ところが、お菓子のかけらの混じったそのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びくっとした。
素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいたのだ。
おかげでたちまち私には人生で起こるさまざまな苦難などどうでもよく、その災厄は無害なもので、人生の短さも錯覚だと思われるようになったーちょうど 恋の作用が、なにか貴重な本質で私を満たすのと同じようにー。
というよりも、 その本質は私の内部にあるのではなく、それが私自身だった。
私はもう自分を、つまらない、偶然の、死すべき存在とは感じていなかった。

マルセル・プルースト,失われた時を求めて,
1913

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