悪魔の数学書

『悪魔の数学書』
この物語は、人間が好きな不運・不憫な悪魔が教科書が依り代になってしまうも、何とか少女と協力し、自分を消しに来る人間をはねのけ、少女との絆を深めていく物語

プロローグ

前回の転身時はどこもかしこも焦げ臭かった。その頃は鼻が利きすぎていたので、あの焦げの哀しい匂いは鮮明に覚えている。四つ足でせっせと歩きまわったものの、人っ子一人見つからない、そんな時代だった。我は何度も死ぬかと思った。まあ死なないのだが。
 あの頃からもうすぐ百年経つ。人間とは凄いもので、焼け地を再建するどころか、新しい文明を次々と生んで、今なお進化させている。さすがは我の見込んだ種だ。
 寒い期間が終わり、視界が桃色や緑色に染まり始めてきた。
 時はきた。ようやく人間として振舞えるのだ。あぁ、胸の高鳴りを抑えねば。前回のような失敗は絶対に犯さない。前回の転身を思い出すだけで、鼓動は簡単に抑えられた。

 
——満を持して一匹のハエが飛び立った。

「いやああ」
鋭い悲鳴をあげたのは、都立第一高校に通うイマドキの女子高校生、熊谷春亜である。
「どうした!」
「蜂が!あたしを狙ってたの!」
しかし、彼女の周りを飛んでいるのは蜂ではなくハエである。いつもの虫騒ぎにあきれるクラスメイトとは反対に、本気で心配し、ハエに激怒する男がいた。
「なんだこの蜂ぃ!ん?ハエじゃねえか、この野郎め!」
 一体誰に怒っている、この野郎。
「こいつハルアに執着しやがる。」
と我をつぶそうとしてくる男を躱す。
 ひらりはらりと躱しているうちに「殺虫剤もってきてよ!」と春亜が叫ぶ。それに呼応した数人の男子が勢いよく教室から出ていった。奴らは毒ガスを持ってくる。殺られる前に、やらなければ!
我をとらえようとする男の手からは、ハエの身体には耐え難い風が起こり、バランスが取れなくなる。いい加減腹が立ったのでつい声を出してしまった。
「邪魔をするな小僧!我はその女に用があるのだ!」
「きゃあ。まだ私の周りとんでる!あれ?しゃべった?もう無理、こわい」
標的がうずくまった。転身の術を展開しつつ、背中に着陸した。周囲は紫に光りはじめ、その異常さに周りの人間は動けずにいた。
「さあ、百年ぶりだ。——転身!」

——我は百年に一度、身体を変えることができる。我は生まれたときから幽体、いわば魂の状態だった。しかし、生身の身体が無ければ我は存在を認知されない。それがとても寂しかったから我は転身の術を編み出し、何万年と体を渡ってきた。ある百年はカサゴに、またある百年はカモメに、そんな具合で陸海空ありとあらゆる生物になり過ごした。同種同士のコミュニケーションは取れるので我は数万年の間、孤独になることはなかった。
そうして数万年の時を渡り歩いていた時、新たな生命として「人間」が生まれた。彼らは
たった数千年の時をもって、我が母なる大地を作り変えてしまった。あの知力がとても興味深く、どうしても話がしたかった。何度か対話を試みたのだが、今までの身体では不気味がられてしまい、まともに話し合ってくれなかった。取り合わないだけならまあ良い。ひどい時は我に武器を向け、殺そうとしてくる。
 そんな毎日とお別れするために、今度はついに人間に転身しようと決意した。それまでその結論に至らなかったのは、依り代となる生物の魂が、その身体から消えてしまうためである。しかし、ここ数百年の転身で、知能の高い生物は共存可能だと知った。
そして前回、ようやく人に転身しようと決意したのである。ただし、ちょうど通りかかったハエによってそれは失敗に終わるのだが。

……身体が揺れている。その揺れがゆっくりと意識の覚醒を誘う。辺りを見渡すと、真っ暗だった。体も動かしづらい。
こういう時は冷静に分かることから観察するのが、長年の経験から導き出した最適解である。
実体…あり。
目…なし。
耳…なし。
手…なし。
口…なし。
足…なし。
羽…なし。
触角…なし。
何という事だ。ほぼないではないか。衝撃的だ。
実体があるという事は何かに転身しているのであろうが、確実に人間ではない。体が揺れるたび、顔だか何だかよく分からない部位に布がこすれるような触感がする。この揺れが一体何なのか。そうこう考えていると揺れが激しくなった。と、思ったらすぐにおさまった。
突然視界が白くなった。体が浮遊感に包まれる。我は感覚を研ぎ澄ました。ひたすら、ひたすら研ぎ澄ませた。だんだん視界が物体をとらえ始める。かすかに音も拾い始めた。なんだか体も動かせそうな気がする。すでに目の前には後ろ髪を二つに分けて結んだ少女が、手に持った板を見ながら何かつぶやいていた。
「……あしたの授業は~っと。国、日B、体育、英表、数Ⅱ…」
 聞こえたのは、我が標的の熊谷春亜の声だった。
 分かっていたことだが、我は転身に失敗したのだ。一体何に転身したのか。
 「これでよしっと。あぁーっと、忘れてた忘れてた。これが無いと数学は始まんないんだよなぁ」
 と言って彼女は我を持ち上げた。
 …は?
 そばにあった姿見には、彼女の手に収まる分厚い数学のテキストが映っていた。理解した瞬間、声を出さずにいられなかった。
 「本かいっ!」と。

 自分の姿に思わず声を出してしまったところで、数学書のなかに我が入っているという事が即バレした。次はその時の会話である。

 「え?今この本喋った?え?」
 「喋ってない」
 「え?あたしが〈疲れてんのかな?〉とか言う前に喋っちゃった?それはもう言い訳できないよ?」
 「………」
 「…うん、遅い遅い。もうごまかせないって。今、喋ったよね?」
 「………はぁ、その通りだ。我も動揺しているが、お前が手に持つ数学書が今、喋っておる」
 このように、なぜだか春亜はさほど驚きを見せない態度で接してきたのである。

その後、我のこれまでの生きた道を簡略化して話した。春亜は目を輝かせながらその話を聞いていた。
 「結局のとこ、悪魔なの?神様なの?」
 「何でもできるわけではないから、神ではないだろう。不老不死で様々な知識を持っているっていうだけだからな。悪魔かどうかは、分からん。お前が判断せえ」
 「さっきから思ってるんだけど、ちょっと昔の人っぽい言葉遣いだよね。これからアタシの話し相手になってもらうんだから、もうちょっと現代語覚えてね」
「…お前は怖くないのか?本が喋っているのだぞ」
「怖いっちゃ怖いけど、あんたの人生聞いたら、友達になってあげたいって思ったんだ。ずっと一人が嫌だったんでしょ?コミュニケーション取りたかったんでしょ?だから、今日から友達として、話し相手になってあげるわ。嫌?」
「……嫌ではない」
「それはよかった」
そう言った彼女は歯を見せて笑った。
「なんか湿ってるわよあんた。泣いてんの?」
「……そんなことはない。だが、ありがとう」
「どういたしまして。とりあえず今日はもう疲れたから寝るわ。おやすみ」
 と言ってさっさと我を机において電気を消した。

 夜明けになるとまず鳥類が目覚め、「おはようございます、おはようございます」と騒ぎ始める。彼らは気持ちの良い生物で、毎朝挨拶をしに飛んでまわる。窓の外から無数の挨拶が聞こえてくるので我も目覚めることにした。
 昨晩の内に、我の依り代である書物の全てを読み込んだ。現代語の勉強になると思ったのだが、数字や記号が多く、少しばかり内容を把握するのに苦労した。
 今朝は我がこの身体をどこまで使いこなせるかを確かめようと思った。以外にも自由の効く身体で、紙を翼に少しばかり飛ぶこともできた。我は長年かけた進化で頂上的な感覚を有しているため、聴覚と視覚は問題なく、昨夜驚いた際に声帯器官も作り上げたのでその点も心配なしである。
 いろいろ試しているうちに、春亜も起き、我を持ち上げ、リュックの中に詰め込んだ。
 「学校では静かにしててね。なんかあったら身体をパタパタさせて伝えてね」
 「分かりました」
 「何、その言葉遣い。現代っ子は目上の人にもいかにタメ語を織り交ぜるかで人間関係の深さが変わるんだよ。友達に敬語なんか使っちゃダメ」
 「しかし、この書にはこういう言葉遣いが多いのだが」
「その中身参考にしたの?あ、そうだ。今日一日アタシとか友達の言葉遣いを学びなよ」
 「それは、いい手だな」

 学校という場所は人間が必要な知識を学び、運動し、友人を作る、生物が生きる上でこの上ない総合的な場であった。やはり人間は素晴らしい。生物として己が武器を磨き上げ、組織としても動く。ほとんどの人間がその訓練のために約二十年も費やすのだ。なるほど他の生物が勝てないわけである。

 教室には、やけにうるさい男がいる。聞く話によるとあの男は中崎守という名前で、我を数学書に閉じ込めた張本人らしい。
 「ちなみに、騒ぎながらこっちをチラチラ見て来るでしょ?あれは人間の思春期に見られる求愛行動よ」
 なるほど勉強になる。
 「おーい。何ぶつぶつ言ってんだ?暇ならこっち来いよ!」
 「あいつ、現代っ子には珍しい積極的な男なの」
 複雑な生体だなと感慨にふけっていると、教室の外から
 「熊谷春亜さんは居ますか?」
 「え?先輩、はい!ここです!」
 「あぁ、良かった。今日の放課後なんだけどさ、1年生の子たちにオレの教室に来るように言っといてくれるかな」
 「はぁーい」
 これまで聞いたことのないような声で返事をした春亜だった。

 今、この教室には我しかいない。他の人間たちは皆、体育という授業に出ている。あそこにある時計が11:30になると授業が終わるとのことなので、今は何をしても良いのだ。しかし、我の知る時計は、円盤状だったのだが、近ごろの人間はただの数値で正確に示してしまうのか…恐るべし。
 さて、我が今試したいのは、転身の簡易改良版、共身である。この力は自分と対象の思考や身体といった全てを共有させるような能力である。ただし今まで試してきたのは生物のみである。今我は、本に共身しようと考えている。これが可能になれば、色々な書物から現代の人間と同等の知識を効率的に得られるのだ。
 成功を願いながら、まずは「国語総合」という題の書に乗っかった。共身するために集中力を高めた。周囲が淡い赤に染まる。
 「共身」
 無数の文字が意識の中を駆け巡る。その文字列を理解する。字ばかりでないように偏りが無いこの書はアタリだろう。気を惹かれた情報は二つ。
 まず、我がずっといた国は日本。百年前戦争に負けたらしい。犬であった頃のあの焼け野原は、戦争の産物だったのだ。まさか異国とは言え同じ種が地形を変えるほど激しく争うとは。高い知能ゆえに起こるものなのだろうか。
 もう一つは我のような存在が人間にバレていることである。その書では「悪魔」と呼ばれる彼らは、我と違って人間に憎悪の念を抱くものが多いそうだ。いろんな方法で人間を滅ぼそうと画策したらしいが、悪魔対策に特化した国家機関、「ⅮKO(デーモンキリングオーガニゼーション)」にことごとくつぶされてきたようだ。
 彼らが共生する生物は全て、目が青く光るようで、それが悪魔憑きと普通の人間を見分ける手段になるようだ。
我には多すぎる情報でいろいろ整理がつかなかった。
 とりあえず他の書からも情報を得ていると金の音が鳴った。急いで春亜の席に戻った。その日は得た情報を整理していた。

 春亜に抱えられ、今日一日の出来事を聞いた。我はその時も悪魔と人間の関係について頭から離れなかった。話し続けていた彼女も、我の生返事を察知し、どうしたのかと問いただしてきたので、ついに聞いてしまった。
 「なぁ、ハルア。お前は悪魔を知っているか?」
 「もちろん。子供のころから、青眼の生物は人を憎んだ悪魔だって教えられるもん」
 「もしかしたら我もそいつらと同じ種かもしれない、と言ったらお前はどうする?」
 「いや、どうするも何も、あんた本じゃん。しかもあたしに友達宣言されたら泣いて喜んでたし」
 「泣いてなどいない。断じてだ」
 「はいはい。でもそんな本を今さら〈人類の敵だ〉なんて言えないっつの。もう友達でしょ?変なことで悩んでないで、あたしとのおしゃべり楽しんでよね」
 「お前がそう言うなら。我はもうそのことで悩まないようにしよう」
 春亜はにこりと笑ったと思ったら、目を開いて
 「あ、そうだ。人と話したことなかったんだから、どうせ名前無いんでしょ。あたしがつけてあげよう」
 なんと嬉しいことだ。我の一万を超える歴史の中で、誰かから名を授かることなんてなかった。春亜は、しばらく上空に目をやるとぱっとひらめいた顔つきになった。
 「数学の参考書だから、〈スーちゃん〉ね。これからもよろしくねスーちゃん」
 「お前には感謝ばかりだな、ハルア」
 スーちゃん、気に入る響きだ。我はこの時をもって残りの百年をこの娘に費やそうと決めたのだった。

 「さあついた。ここが私の家だよ。まだ見たことなかったでしょ」
 明らかに豪邸という建物だった。門の内側から、四十代くらいの女性が迎えに来た。
 「おかえりなさい。ハルア」
 「ただいま、ユカさん」
 家政婦付きとは、この娘は金持ちの娘のようだ。それに加え、顔貌良く勉学もできる非凡の持ち主である。そのため言い寄ってくる男が多いのだという。
 「お母さんはね、私が小さい時に死んじゃったんだけど、家政婦のユカさんがずーっと私の面倒を見てくれたんだ。だから私の育てのお母さんってところかな。もちろんお母さんを忘れてるわけじゃないよ?」
 「分かっている」
 「ほらこれ見て、きれいなネックレスでしょ。これお母さんの形見なの」
 そう言って見せてくれたのは、周りが透明で中心に紅が差さった石がはめ込まれた、首飾りだった。
 「きれいな形見だ」
 と思うと同時に何か引き寄せられる魅力があった。
 「そうでしょうとも。あたしのお母さんだもん」
 春亜は得意げに笑った。



 我が転身して数週間が経った。我と春亜は様々なことを実験していた。
 まずは、我の能力がどの程度使えるのか。今までの生物の経験で培った甲斐もあって我はほとんどの生物との対話ができた。そして、その力を使って虫たちに彼女に近づかないよう命じた。というのも彼女は大の虫嫌いのようで、我がハエのころの反応もそのためだったという。
 次に「共身」である。慎重な実験を重ねた結果、五分程度なら体調の変化なく共身でき、その間は、彼女の意思で我の力も使えた。我の力というのは、生物に対してそこそこの命令ができる、といったものだ。虫たちに春亜に近づかないようにさせたのもこの力である。
 春亜は我が勝手に体を動かすことが置きに召さないらしいので、共身したときの肉体操作は、ほとんどをハルアに委ねることにした。
 せっかくの共身なのに人間らしいことをしなくてよいのかって?心配無用、共身は感覚を共にするので、ハルアの行動はすなわち、我の行動なのである。あぁマーボードーフ、おいしかった。

 ある日のこと。我はたまたま家に忘れられ家で春亜の帰りを待っていた。そろそろ帰ってくるころだと見計らい、我を忘れた罰として驚かしてやろうと考えた。どうせならアクロバティックに共身してやろうと思い、力をためつつドアの上にスタンバイ。
 ドアが開き、人影が入ってくる。春亜が帰ってきた、と思ったら茶髪メイド、フォーティーンエイジャーのユカの姿がそこにはあった。気づいたときにはもう遅く、ユカの足元へダイブ。
 ユカは足下に落ちてきた数学書を見て、四方八方を見まわし、そして手元のコンパスのようなもの見る。
「やはり…いやでも、なにもない」
 何かぶつぶつとつぶやいている。我はありもしない心臓が祭囃子のごとく鳴っている。
「まさかこの書に悪魔が宿っているというの?」
 予想だにしていない言葉を聞いた。バレているのか?いや、バレていない?
「試しに少し炙ってみようかしら」
 おそらく、炙っても燃えないし、ちぎってもちぎれないのがこの身体である。そうと知っていながらも「炙る」の一言に驚きを隠せないでいた。しかしそこに、
「ただいまユカさん、何してんの?」
春亜が帰ってきた。これで一安心だとほっとしていると、
「おかえりなさい。今、あなたの部屋に悪魔の反応があったから、その原因を調べていたのよ」
「あぁ、それなら———」
と我を持ち上げて、
「この子がその原因だね」
言い放ってしまった。
「どうもー」
全く機転は利かなかった。

我の存在が家政婦のユカにもばれてしまった。そして現在、育て親バーサス子どもの親子喧嘩が始まっていた。
「どうして、悪魔をかばうのですか。あれほど嫌っていたではありませんか」
「考え方が変わったの、別にスーちゃんは何も攻撃してきてないし、友達欲しがってたし、私も話し相手が欲しかったし、ウィンウィンじゃん!」
「何が友達ですか!悪魔と友達になんてなれません。今はまだ攻撃してこないだけの可能性だってあるのよ?油断させておいて、いつ殺しに来るか分かったものじゃないわ」
「殺す?あははっ。冗談辞めてよ、本がどうやって殺すの?角をうまいことあてるとか?まあなんにせよスーちゃんは絶対にそんなことしないよ、友達だもん」
「お母様のことを忘れたのですか!」
「忘れるわけないじゃん!」
春亜は母親のことを言われて初めて声を荒らげた。
「私が忘れると思うの?目の前で殺されて!」
その激高を客観視したのか、春亜は、すぅっと息を吸い、しばらくためてから吐き出した。その深呼吸を何度かくり返し、すぐに冷静さを取り戻した。
「…私はあの悪魔が憎い。でもそれと同じくらいあの男も憎いの。あの男が悪魔を止めていれば今もお母さんは……」
言葉が詰まっている。我はじっとしていることしかできなかった。
「分かりました、ハルア。この悪魔と友人であることを認めます。でもね、悪魔はきっと人間の弱さをついてくる。そして大切なものを壊していくの。私はあなたが殺されないことも心配だけど、誰かを殺すこともあるんじゃないかって思ったの。だから…」
「ありがとう。ユカさん。でも大丈夫スーちゃんは独りぼっちが嫌いな寂しがり屋さんなんだよ。だから誰も殺さないし、私が殺させないよ。友達だから」
「……ええ。分かりました。そこまで言うのなら、もう何も言いません。今後、この悪魔を消そうとするDKOの手が回ってくるでしょう。そうなったらあなたどうするの?」
「うぅ~ん。あんまり考えてなかった。どうしよー」
「それなら、信頼できる協力者を作りなさい。いざとなったらその人にこの悪魔を預けられるような人を見つけなさい」
「分かった、そうする。あとユカさん、(この悪魔)じゃなくて、(スーちゃん)だよ」
「…はぁ。じゃあスーちゃんを預ける相手を探しなさい。何かあったらちゃんと相談するのよ?」
ぐぅ、と春亜は腹の音で返事した。
「…晩御飯は和風ハンバーグを作ってありますから、後で降りてきなさいね」
「やったぁ、ユカさん大好き!すぐおりるね」
そんなやり取りで、ユカは部屋を後にした。このやり取りの中で聞きたいことはいろいろできたが、まず聞きたいのが協力者についてである。
「どうする?もう協力者に目星はつけているのか?」
「それはもちろん、あんたの天敵よ」
 
 


協力者にしようと呼び出した中崎という男は、我と春亜の前でもじもじしている。落ち着かない様子で、我らとあまり目を合わせない様子である。
「お…俺に用ってなんだよ急に。も、もしかしてこくは」
「今日はお願いがあってね。いつもあたしを気にかけてくれるあんたにしか頼めないの」
言葉をさえぎられると少し残念な表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻り
「なんだよ、お願いって。お前の頼みなら何でも聞いてやるぜ。連帯保証人でも何でもバッチコイ!」
 春亜はこんな男に本当に打ち明けるつもりなのか。いや、ここまで春亜に心酔しているからこそ打ち明けるのか。
「あのね、実はあたし…この子と友達なの」
 そう言って我を、数学書を両手で持って見せた。
「…?数学が友達ってことか?おぉ…それは…春亜は勉強熱心だもんなぁ。俺は友達になれないよ数学なんて」
「違うの。この子…スーちゃんっていうんだけど、なんと説明すればいいか…」
「…?うーん。お前の言ってることを理解したいんだけどなぁ…うーん」
「うーん」
 両者が唸っている所で、満を持して話しかけた。
「理解できないか?」
「…は?」
 あの男から見たら自分と春亜の二人しかいない空間に、第三者の声が急に聞こえるものだから、キョロキョロと周囲を確認する。もちろん我とは目が合わない。
「この娘は、今持っている数学書が友達だと言っているのだ。別に回りくどく何かを言っているのではない。言葉そのまま、我が春亜と友人だと言っているのだ」
ようやく目が合った。耳を疑う様子でこちらを見ている。
「この娘は言葉を選ぼうとしてくれているが、我はお前たち人間の言う悪魔の類だ。もっとも、お前のせいでこんな体になってしまったのだが」
「春亜、お前その本から手ぇ放せ。そいつは悪魔だぞ」
まず先に春亜の心配をしたので好感度が上昇。しかし、当たり前のように警戒されているので結局春亜の株が上昇。
「大丈夫。まずこの子は悪魔なんかじゃないし。今日はこのことで相談が――」
と言ったところで中崎が近づいて、我を取り上げようとしてきた。
「落ち着いて。本当にこの子は大丈夫なの!話を聞かないと嫌いになるよ!」
一瞬動きが止まったが、すぐにまた取り上げようと近づいてきた。
「嫌いになられてもいい。でも絶対にお前は悪魔と関わらないほうがいい。だからそいつを渡せ!」
顔を赤め、鋭い目つきでこちらに向かってくる中崎の圧で、春亜は窓際に追い詰められた。しかし、彼女はいかほども焦ってはいなかった。
「スーちゃん、お願い」
冷静な声色で合図が送られた。
「合点承知の〈共身〉」
我と彼女がリンクする。瞬く間に周囲が赤く染まり、春亜の呼吸も鼓動も我のものになる。
中崎が我をとらえようとするよりも、放つ言葉の方が早いに決まっていた。
「とまれ」
たった一言、春亜の口から放たれると簡単に彼の動きが止まった。
「なんだっ?体が、動かない。なにしたんだ春亜」
「命令しただけよ。話聞いてくれないから」
「お前、こんなの悪魔の力じゃねぇか。あ⁉お前目が――赤い?」
 常識として、悪魔に憑かれた人間が力を使えば目が青く染まる。しかし春亜は目が赤く染まるので、中崎は困惑しているようだ。我にもよくわからないが、これが共身の副作用だと決めつけることにした。
「あたしは、話を聞いてほしいだけなの。ねぇ、聞いて」
「…目の色が変わってるってことは悪魔に変わりないだろ」
 ふてくされたように一言文句を言ったが、どうやら話を聞いてくれるようだ。
 そうしてこれまでの経緯を説明した。まだまだ我に敵対心がありながらもどうやら協力してくれるらしい。一番の決め手はユカが認めたという事だった。
 

「ハルアに何かあったら燃やすからな!」
「心配ない。我はハルアのためにこの百年を費やすと決めているからな」
「まぁまぁ、これで協力者ゲットね。頼むよマモル君」
 そう言われた中崎は、不本意そうに頭をかきながら、任せろと返事をした。
「そういえばさっきの、共身って言ったか?あれやってるときになるべく視界から外れたいからさぁ、なんか目印的なもん作れないのか?」
「まぁ作れなくはないが、我に創造的なものは作れないぞ?何かモチーフがあればできるかもしれんが」
というと、春亜が急に笑顔になって発言をした。
「じゃあじゃあ、あたし(微笑女小悪魔ちゃん)の羽がいい」
とスマホの画面を見せつけてきた。そういえば彼女との話で、最近好きなアニメがあると聞いていたが、恐らくその登場人物のことだろう。
画面の中には、背中に大きめの蝙蝠の羽がついたツインテールの少女の絵だがあった。
「この羽よりは小さくなってしまうが、まぁやってみようか。では、共身」
再び周囲が赤く染まる。さっきの画像をイメージして共有している背中に集中した。
「うりゃっ」
と気合を入れると、バサバサと二つの羽が具現化された。
「おっ?でた?マモル君写真撮って」
「うわっ。体が勝手にうごく」
うっかり命令してしまったが、そんなことは気にしないで春亜はその画像と同じポーズを作り始めた。
取れた写真を確認すると、形はしっかりしてはいるが、あの画像の羽よりは二回りも小さいものだった。
「すまん。これで満足してくれないか」
共身しているので感情もわかるがこれは…
「…ちょー嬉しい‼大満足‼」
とても気に入ってくれたようだった。
 
 
数日後。いつものように授業をカバンの中から聞いていたのだが、教師の話が面白くないので、音楽の教科書に共身していた時だった。突然扉が開けられ、ぞろぞろとスーツ姿の人間が教室に入ってきた。
「こんにちはみなさん。私はDKO研究員の柴咲です。」
どういうわけか、悪魔を殺す機関が突然やってきた。嫌な予感しかしない。
「――ただいまより。臨時悪魔検査を始めます。」
 
 
 


 やばい。急にピンチになった。抜き打ちはテストだけにしてほしい。
いや、そんなことを思っている場合じゃない。何とかしてスーちゃんをごまかさないと。
「今は授業中です!」
 なんと機転の利いた発言なのだろう。あたしったらファインプレーしちゃった?などと自画自賛していると、
「最近この学校周辺で悪魔の反応が多くてね。もし校内に悪魔がいたら嫌でしょう?授業中なのは悪いけれど、そうでもしないと逃げられるかもしれないからね。お嬢さん」
言い負けた!

「では、検査させてもらいます。3分で済ませますので、どうかご協力お願いします」
ついに始まってしまった。どうにかしてスーちゃんを逃がしたいけどどうすればいいのか。せめて見つからないようにと、半開きになっていたリュックの口を閉じた。そして、あたしの番になってしまった。
「ではこちらに指を乗せてください」
ここは仕方なく乗せるしかない。あたし自身は恐らく大丈夫なはずだ。
「これは…柴咲さん、ちょっと」
明らかに何か問題のある反応をしている。柴咲とその部下の話声は一部しか聞き取れなかったが、どうやら何かの数値が少しばかり高いのだそう。最近は毎日共身していたからそのせいかもしれない。ともあれ、多少の数値の異常くらいなら言い訳ができるはずだ。
ふと柴咲がコンパスのようなものを取り出した。私はそれを知っている。あれは大雑把ではあるが、悪魔の位置を把握することができるものだ。
「お嬢さん。えーと、熊谷さんね。あなたから悪魔の反応が出ています。ちょっとご同行願えますか?」
まだ、詰んでない。いったんここから離れて、私が悪魔ではないことをもう一度証明させる。その間にマモル君にスーちゃんを連れて行ってもらえば解決だ!
「いいですよ。あたし悪魔じゃないので。いくらでも精密検査してください」
 正直怖いが行くしかない。あたしはマモル君に目配せとウインクをした。
教室がざわついている中、マモル君は不安な顔をしながらも、じっとこちらを見つめて一度だけうなずいた。
 
 その後あたしは学校外の専門機関に連れていかれるのかと思ったが、保健室で取り調べを行うことになった。なんでも時間が経つと悪魔の反応が薄れてしまって、正式な証明が難しくなるという事だった。
「あなた、悪魔ね?熊谷さんから出ていきなさい、そうしないと少し手荒に出すことになるわ」
「私は悪魔じゃない。嘘を言ってると思うならもう一回検査すればいいじゃない」
 あたしは脅されても断固として否定し続けた。
「あなたね、最初の検査でも普通の人より、悪魔付きの人よりの数値をだしているのよ?それでも否定するの?」
「それって多少その数値が高いってだけでしょ?そんなの生まれつき高かっただけだって。ねえ、せんせーからもなんか言ってやってよこの頑固者たちにさぁ」
 立会人である金髪美女保健医の綾瀬先生に発言を求めてみたが、何も言ってくれなかった。それでも、あたしには自信があった。
「柴咲さん!検査キット届きました」
 どうやら正確に検査できるものが届いたらしい。
「じゃあお望み通り、検査しますね。これで証明されたら出てってくれます?」
「ないものをどうやって出すの?はい、さっさとやって」
 腕を出して血を抜かれる。

5分後。
「出ました。異常は…ありません!」
「うそん」
あの涼しげな顔をしていた柴咲研究員の焦り顔も見れたことだし、さっさとトンズラこいてやろうと思ったので、手短に挨拶をした。
「じゃっ。そゆことなんで、お疲れっした」
グっとごっつぁんですポーズをとって見せた。
 明らかに柴咲の笑顔の下にイラつきが見えるが、人がイラついているのを見るともっとからかいたくなるものだ。
「もう一回確認するけど、帰ってもいいよね?」
「……はい、あなたが悪魔でないことは証明されました」
「……それだけ?」
「…申し訳ございませんでした」
謝罪ゲット!
とてもすっきりしたので、今日は何か買い食いして帰ろうと思いながら、
「じゃ、失礼しまーっす」
と保健室を後にした。
「…はぁ。あとはあなたに任せたわよ」
という柴咲の敗北宣言を聞き、私はスキップをして教室に戻り、「勝訴」と掲げてクラスのみんなの誤解を解いた。
 
 
「あの熊谷春亜って子、見張っていなさい」
「お任せください」
その日から、あたしとスーちゃんは狙われ続けることとなる。
 
 
 


 あの一件以降、我と春亜は学校での実験を控えることにした。能力を使わなければ悪魔センサーに引っかからないらしい。その後は突然DKOが来ることはなくなった。
 しかし、春亜としては多少のリスクを取ってでも実験を行いたいらしく、町の公園や駐車場、公民館、カフェなどいろいろな場所で共身した。中崎にそのことを言うとぷりぷり怒ってうるさいので、たまに付き添いとして同行させる以外は、内密に行っていた。
 
 春亜はバスケットボール部のマネージャーをしている、といっても勉強を優先したいとの理由で、参加の度合いはそこそこである。実際彼女は成績優秀で、学校では時期生徒会長になるだろうと噂されている。
 そう噂されるのも仕方のないことで、現生徒会長、バスケットボール部部長の片桐という男に目をかけられ、入学当初から生徒会の仕事を彼女に手伝わせている。
 なので結局部活、生徒会、勉強という3者を両立させている春亜が凄いのである。
「いつも悪いね。でも仕事には慣れていた方が君にもいいかと思ってさ」
 正直言うと、我はこの男が嫌いである。生徒会の仕事のせいで我と春亜の時間が奪われているからである。まあ、それだけが理由ではないが。
 そして中崎も片桐が嫌いである。文武両道な男が春亜に言い寄るのが耐えられないらしく、何度か片桐が春亜に話しかけている所を邪魔したらしい。
 しかし、春亜はというと、
「いやぁ、そんなそんなぁ。お役に立ててなによりです」
 終始上目遣い、時折身体をくねらせもじもじしている。大変なことに好意を抱いている様子なのである。我としては、まだ中崎の方がいくらかマシだと思う。
あれこれ考えているうちに、二人の会話が盛り上がっている。
そろそろ邪魔をしてやろうと考えていたが、
「うっ…」
と片桐は目を抑えた。
「大丈夫ですか?」
と春亜は駆け寄ったが
「いや大丈夫、目にゴミが入っただけだから。今日はありがとう、後はやっておくからもう帰っていいよ」
思ってもいないチャンスが来た。「でも…」と戸惑っている春亜に小声で、
「今日は飛ぶ実験でもしてみるか?」と打診した。
乗った!と言うように指を鳴らし、片桐に「じゃあ、帰りますね。目、ちゃんと洗って下さいね」とだけ伝えて、帰宅することにした。
 
 
「飛べるの?」
とても興味津々に聞いてきたので、つい調子にのって、
「あぁ、ちょっとくらいなら」
と言ってしまったが、実際自分の身体だけでも息を切らしてしまうほどにしか飛べない。
 
人気のない公園に着き、早速共身して少し高さのある遊具に上り、春亜は勢いよく飛んだ。我は鳥の頃の記憶を生かし、具現化した羽を動かす。しかし、人間の体重を支えるのは、小さい蝙蝠の羽では難しく、普通に着地してしまった。
「嘘つき!」
「いやもっと大きな羽、というより翼をイメージできればできるはずだ」
「えぇー」
と口をとがらせながら、スマホを操作し、画像検索しだした。
 
「これなんかどう」
と見せてきたのは、とあるアニメ映画の鳥男の画像だった。
「やってみよう…はぁぁぁあ!」
バサバサと二つの翼が生える。
「どう?どんな感じ?マモル君」
と先ほど合流した中崎に聞いてみたが、
「さっきの羽よりちょっとでかいだけだな。スー君の力不足ですね!」
こちとら頑張ってやっているのに、変な物言いをつけられたので、春亜の口を借りて
「その場で百回まわってろ」
と命令してやった。
その日は結局飛べることはできなかった。
 
 
**************

時は流れて、秋の季節がやってきた。スポーツの秋という事で今日は、体育祭です。
朝から生徒会の手伝いとして、運営本部設営をしていると、体育の先生に救急箱が欲しいから保健室に取りに行ってもらえないかと頼まれた。
 どうしてあたしが指名されたのかは分からないけど、素直に取りに行くことにした。他の生徒は体育館で一日の流れを聞いているようだった。
 あたしは参加しなくてよかったんだっけ?まぁいいや、保健室にいかなきゃ。
保健室に向かう途中で、自転車を走らせるマモル君を見つけた、
「楽しみすぎて遅刻かよー」
と声をかけてやった。
ようやく保健室につき、扉を開く。
「やっと来たわね、熊谷さん」
綾瀬先生が椅子に座って待っていた。他の教員はみんな体育館か運動場のはずだけど。なんでいるんだろう。ま、いっか。
「せんせー、救急箱ちょうだい」
「その前にこれ見てくれる?」
と写真を一枚ずつ見せてきた。どれもあたしの写真だった。でも何か違和感がある。
「――え?」
写真の全てが学校で撮られたものではなく、これまでスーちゃんと実験を行ってきた場所だった。見せてきた写真の何枚かはあたしの目が赤くなっているものもあった。そして、
「これあなたの写真なんだけど、この羽なあに?」
確信的な瞬間も写真に収められていた。
 
 


まずい、バレた。
「これって、悪魔の現象なのかな?まぁそうとしか考えられないよね。この前の抜き打ち検査でも数値に異常があったって言うし。今までうまく隠してきたつもりでも、毎日見張ってたらぼろが出るものね」
「毎日って…」
「あぁ。申し遅れました。わたくし、この学校に潜入しております、DKO諜報員の綾瀬なつみと申します。以後お見知りおきを」
 その言葉を半分ほど聞いたところで、あたしはその場から逃げた。
 後ろから追ってきてる?いや振り向く必要なんてない。まずは自衛のためにスーちゃんを拾う。あと、マモル君も呼ばないと。
 バンッと鼓膜を突き刺すような音が鳴った。と同時に私の横の窓ガラスが割れた。あまりのことに音の方向を振り返る。そこには拳銃を持った綾瀬がいた。
 殺される殺される殺される。
 何か言葉を紡いでその場を保たないと、次が撃たれてしまう。
「な…」
 恐怖で言葉が出てこない。足にも力が入らない。せめてスーちゃんさえいれば、身を任せられるのに。
「大丈夫よ、威嚇射撃だったし、二発目は撃たないわ。だからそこにいて頂戴ね」
 つかつかと歩いてこちらに近づいてくる。
「ねぇ、どうしてあなたは悪魔の能力を使うときに、目が赤くなるの?」
 つかつかとヒールの音が近づく。
「ねぇ、なんであの時精密検査に引っかからなかったの?どういう手を使ったの?」
 質問をしながら距離を縮める。あたしは腕の力だけで、必死に後ずさりして階段近くまで来た。
「ねぇ――」
 と次の質問を投げかけようとしたときに、男の声が割って入った。
「どうしたんすか。先生」
 マモル君が綾瀬の後ろに立っていた。彼女はさっと銃を隠し、普段のような声色で答えた。
「あら?あなたはたしか…中崎君、であってるよね?熊谷さん足くじいちゃったみたいで、今駆け寄ってたところなの。あなたこそ、もうみんな体育館に行ってるわよ?」
「いやぁ、遅刻しちゃって。この年にもなって体育祭がもう楽しみで楽しみで、寝られなかったんですよー」
「あらあら、少年の心を忘れていないのはいいことね」
「ところで先生は今、(駆け寄ってた)って言ってましたよね。俺にはそう見えませんでしけど。拳銃突きつけながらあの子を追い詰めてるようにしか見えなかった」
 マモル君が不意打ちの言葉を放ったと同時に、階段のほうから、見慣れた数学書がずり落ちてきた。
「あら、あなた見てたのね。なら話が早いわ。この写真を見て頂戴。ほら、熊谷さんのめが赤くなっているでしょう?これは彼女が悪魔憑きだからよ」
「あ、ほんとだ。でも悪魔って青い目をしてるんじゃないの。まだまだ、悪魔って決めつけるには早いんじゃない?」
「じゃあ、この羽は?急に熊谷さんの背中から生えてきたのよ。それはどう説明するの?」
「説明っていうか、ハルアはコスプレが大好きだからな。それ(微笑女小悪魔ちゃん)のコスプレでしょ。急に生えてきたとかは写真じゃわかんないし。コスプレにしか見えないよ」
「…じゃあ今、あの子に検査キットを使って証明してあげるわ」
「…もういないけどね」


 
「――本当にまだ共身しなくていいのか?」
「うん。今は逃げきれたらそれでいい。制限時間付きだからここぞで使わないと」
我を片手に息を切らしながら、教室を目指した。ふと、違和感に気づいた。
「――なぁ、さっきから人っ子一人見当たらないんだが」
「今みんな体育館にいるの」
「じゃあ、なぜ春亜は体育館に行っていないのだ」
「えぇっと。はぁ、はぁ、なんでだっけ?」
走ることに集中しているからか、まともな回答は帰ってこなかった。

 
教室につき、カバンを回収し、我は共身のための力をカバンの中でため始めた。そして今までの違和感を整理して、この先の対策を練ることにした。
「スーちゃん。あたし、どうしたらいいかな。ねぇ、スーちゃん」
問いかけに応答できないほど我は集中していたのだろう。その甲斐あって一つの可能性にたどり着いた。糸口はきっとこれだ。
「春亜、お前に頼みがある」
 
 


どこにいった?
ここか?
ここか?
次々に教室を開けるが、熊谷の姿はみつからない。
「…はぁ。あいつに足止めを食らわなければ、今頃あの人に…はっ!」
ふと昨日した約束が頭をよぎり、時計を確認する。
「八時三十八分。もう約束の時間だわ。報告にいかないと」
 私は校舎の最上階に待ち合わせ場所があったから、一旦そこへ向かうことにした。
 その教室についたのは八時四十分。約束の時間きっかりである。ノックを三回して扉を開けた。
「失礼します。申し訳ありません、まだ熊谷の――」
 教室には誰もいなかった。教卓の下ロッカーの中を探しても誰もいない。教室を間違えたのだろうか。と考えている間にもカチカチと秒針が進んでいる。その音が私を焦らせる。
 教室は間違っていない、時間も約束通り、時間、時間。
いや、この学校の教室にはデジタルの時計しか置かれていない。秒針の音なんてしないはずだ。
音のする方へ近づき音源である机を突き止めた。この机の中から秒針の音がする。
中には時限式爆弾が置かれていた。
「…は?」
とっさに私は教室の外へ逃げようとしたが、運悪く残り時間は五秒ほどだった。
次の瞬間私は爆風に運ばれ、廊下側のガラス窓に突っ込んだ。
「――う、」
朦朧とする意識の中、誰かが私のもとに駆け寄る。
「さすが諜報員、見事に受け身を取ってるね、この感じだとすぐに目を覚ますだろうね」
約束の人の声がする。その人の手が私の頭に添えられ、少し幸福感を感じた。刹那、視界が青く発光する。
「クマガイハルアの首輪を奪い取れ。もう手段も生死も問わない」
「う、あぁぁぁぁ――」
綾瀬は傷と頭痛に悶え、叫び、気を失った。
 
――顔の熱が私の覚醒を誘った。目を覚ますと私は火に囲まれていた。
「クマガイ、ハルア」
やつを探し出して首輪を奪い取る。もう手段は問わない。


「逃げてないのね。こんな挑発しちゃって」
一階で見つけた教室にはツインテールの女の子がデフォルメされた、なんというか微妙な絵が張られており、(おにさんこちら)と書かれていた。
教室にはいるとそこには熊谷春亜が待ち受けていた。

 


ズドンと大きな物音が鳴ると同時に、火災警報器がなり始めた。どうやら爆発があったらしい。
「さっき言った通り、この教室に綾瀬を呼び込むぞ」
「うん。で、どうこの絵、チョーかわいくない?」
見せてくれた絵はなんというか微妙であった。
「よし、じゃあそれに(おにさんこちら)とか書いてみたらどうだ」
「あ!いいねそれ、採用!」
非常にノリノリで挑発文を書いている。どうやら先ほどの拳銃の件について、心底腹が立っているらしかった。
「さあ、貼り付けたし、メールもしといたよ。スーちゃん」
「じゃあ、心して待とう」
 
待っている間、少し踏み込んだ話をしてみた。
「春亜は、その、好きな人とかいるのか」
「え?恋バナ?このタイミングで?」
「あぁ、このタイミングだからだ」
「えぇー。恥ずかしいよー。」
我は目が無いから黙ることで、その真剣さを訴えた。
「…うーんとねぇ。……うーんと…」
とても悩んでいるようだ。
「いないなら無理に作らなくてもいいのだぞ」
「いやっ。いるの。いるんだけど…あっ」
急に思い出したかのように、
「先輩だよ先輩。片桐先輩。あたし、片桐先輩が好き」
「中崎はダメなのか?」
「いや?マモル君は好きだよ?あたしにずーっと尽くしてくれるし。でもなんだか先輩の方がいいんだよねぇ」
「そうか。じゃあ質問なんだが、もし悪魔のせいで、お前が好きでもない知り合いが死んだらどうする?」
「え?好きな人じゃなくて?どういう意図の質問なの?」
「まあまあ、答えてくれよ」
心の底からどうでもいい奴ならどうでもいいという回答を願った。
「いやだね。あたしの周りで人にはもう、死んでほしくない」
決意の強い目をしていた。しばらく共身していたから、この子の考えていることはなんとなくわかっていた。
「えぇ?我の好きな人はだれかって?」
少し話題を明るい方に変えようと思った。
「聞いてないよ?」
「ジャカジャカジャカジャカ」
「それドラムロール?」
「ジャン。――は」
その時、ガララと扉が開き、拳銃を構えた綾瀬が入ってきた。なんて間の悪さだ。
綾瀬はゆっくりと教卓の方へ足を運んだ。
「遊びはここまでよ。残念ね、私を殺せなくて」
「そういえばめっちゃケガしてる。大丈夫?」
「白々しいわよ。あなたが仕掛けた爆弾でしょう?」
「あたし爆弾の買い方なんて知らないよ?」
目つきが鋭くなり、改めて拳銃を構えた。
「スーちゃん」
合図が送られた。ためていた力を開放する。この感じ共身の制限時間は、
「二分だ」
「りょーかい」
そしてハルアの周りと目が赤く染まった。
その様子を見て綾瀬は引き金に指をかけた。
「——とまれ」
その一言で、綾瀬の動きがぴたりと止まる。
「証拠不十分でそんなもの向けちゃダメだよ、せんせ?」
春亜はじりじりと綾瀬に詰め寄り、頬杖をしながらさらに命じる。
「銃弾、全部抜いて、窓に投げて?」
綾瀬は言われるがままに銃弾を抜き始める。自分の体が思い通りにならないのが屈辱なのか、これまで見せたどんな目つきよりも鋭かった。
残っていた五発のうち、四発が外に放り出され、一発が教室の隅にカランと投げられた。
さて、我もやらなければならないことがある。春亜に許可を取り、口を借りる。
「お前、ここに来るまで何をしていた」
「さぁね。あんたが知ってるんじゃないの?爆弾を仕掛けたんだし」
「だからあたモゴッ⁉」
口を挟んできたので、いったんつぐむ。
「…?」
「オホン。爆弾を仕掛けたのは我ではない」
——まずい、思ったよりも時間が無くなってしまった。
「じゃあ、他に誰がいるっていうの?」
「まぁ、それはまた近くの教室で。とりあえずまだそこにいろ。そして、これまでのことを忘れて、お前がDKOの諜報員であること、そしてその使命を思い出せ」
そう命じると、
「——う、あぁぁぁぁぁぁ」
と叫び始めた、ビンゴだ。そして共身をとき教室を後にした。
「ビンゴって?」
「あいつは悪魔に洗脳されていたんだ」
「え?なんでわかったの?」
それは教えるべきことなのか、まだ悩んでいる自分がいた。
「後で詳しく話す」
「みつけた。おい大丈夫だったか?ケガしてないか?」
そう言って歩み寄ったのは中崎だった。
「無傷!」
と歯を見せてピースして見せた春亜は「じゃあよろしく」と我を中崎に渡した。
「ほんとに大丈夫なのか」
「大丈夫大丈夫。スーちゃんの見立てだと、もう綾瀬は銃を撃ってこないらしいよ」
本当だろうなと言わんばかりの鋭い眼光でにらまれたが、問題ない。我はハエ時代、彼女を見たことがあった。
彼女はDKOの諜報員として新聞に取り上げられるほど活躍していた。人にあだなす悪魔には、容赦ない鉄槌を下すことで評判だったのだが、そんな彼女の仕事は、まず一番に悪魔が人から出ていくように命じるという和解策を出すのだった。それに応じない悪魔を駆逐しているというのが彼女の仕事の仕方であった。
しかし、先ほどの彼女は銃を威嚇射撃に使ったのである。まだまともに話を聞いていないのにだ。
本来、彼女にはそれなりの態度をもって示せば、我も受け入れてくれるはずだったのだ。

「じゃあ、あたし頑張るね」
そう息巻いて春亜はその場を去った。
「さあ、もう一勝負だ」
「春亜に何かあったらお前を殺すぞ」
「受けて立とう」
そうして我らの最終戦が始まる。



 もう、速く帰ってユカさんのハンバーグが食べたい!そんなことを考えながら、目指すのはさっきいた教室の二つくらいとなりの教室。なぜならスーちゃんがそこに行けって言ったから。
 そう言えば、腰抜かした時に助けてくれたマモル君、かっこよかったなぁ。いやいや、でもあたしには先輩の存在が。そうしてぶんぶん首を振っているといつの間にかさっきの教室の二つとなりのところにいた。
「ここでいいのかな?」
 相変わらず警報器のうるさいうるさい音がしているが、火事は大丈夫だろうか。
「お邪魔しまーす」と小さい声で言い、こそこそと教室に入り込んだ。
中には誰もいなかった。
 「そういえば何で誰も来ないんだろう?学校が火事なのに。そもそも私だけ体育館いかずに本部設営ってなんでやねん!」
 今までの疲れからか妙なテンションになっている自分に気づき、すこし頬が熱くなった。
 そんな風にセルフ照れしていると、扉が勢いよく開き、警報機に負けないくらいの音を鳴らした。
入ってきたのは、綾瀬先生だった。
「——う、うう」
頭をおさえながらこちらを見てくる綾瀬は、まだ先ほどの命令が効いているようであった。
「あな、たに聞、くわ。あなたは、悪魔なの、それとも人間なの?」
「人間です——あたしは、人間です」
「そう…」
 理解してくれたのかと思ったが、彼女はあたしに銃口を向けてきた。
 ええええええええええええ⁉攻撃してこないんじゃないの?
「熊谷さん⁉大丈夫?」
割って入ってきてくれたのは、片桐先輩だった。かっこいい救世主に見惚れてしまいそうになったが、今は綾瀬から逃げる術を考えなければ。
先輩の姿を見た途端、綾瀬は引き金に手をかけた。
「危ない!」
とあたしに飛びつき、かばうようにして先輩は下敷きになってくれた。
「大丈夫?」
「うん。ありがとう、せんぱい——」
先輩の手にはあたしの首飾りがあった。
「あ、それ大事なものなんです。ありがとうございます」
「落としたと思ったの?違うよ。今、君から盗ったんだよ」
…?どういう意味かよく分からないが、とりあえずその首飾りに手を延ばそうとした。すると、

「————とまれ」
あたしの身体はぴたりと止まった。そして、あたしに命令した先輩の目は青く光っていた。



10

先輩の目が青い。つまり先輩は悪魔憑きという事になる。
「——最初に君を見かけたときは、普通にかわいいなって思ったから、声をかけたんだ。でも、俺の中にいる悪魔が言うんだよ、あいつの持ってる首飾りが欲しいって。だから最初は穏便に譲ってもらおうと思ってさ、君の首飾りを欲しがったら、君、母親の形見って言って全然譲ろうとしないの。だから命令してその首飾りを寄越せって言ったのね。そしたら君泣きながらくれたよ」
 思い出し笑いでいったん話が途切れる。あたしは涙が止まらなかった。先生の方を見るとまだ頭を押さえてうなだれていた。
「でもそこからどうしようかーって言って。殺すには惜しいくらいかわいいし、でも嫌われたまま暮らすのも嫌だなーって思ったから。人る命令、というか暗示をかけたんだ。(俺に会うたび、少しずつ俺を好きになる)って具合で。何で少しずつかっていうとさ、やっぱこう、恋愛って経過が楽しいじゃん?だからじっくり君が俺を好きになる過程を観察してたんだよ。あー面白かったなぁ」

もう何も考えられない。

「ああーでも、そっからが不思議なんだよなぁ。俺が持って帰った首飾りは何故か君のもとにあるんだよ…なぁ、どんな手使ったんだよおい。オレが楽しみにしてた首飾りを、どうやってオレの目をかいくぐったんだ!」

頭が回らない。

「ちっ。まあいい。もう俺の手にあるからな。お前は今から、あの女に打ち殺されて死ぬ。爆発はあいつのせいにすればいい。ああそうだ、あのちょろちょろしてた男も後で殺そう」

頭が回らない。どうしてあたしは、こんなひどい仕打ちを受けても、先輩のことがまだ好きなんだろう。悲しみと好きで、頭がぐちゃぐちゃだ。

「さあ、綾瀬。この女を打ち殺せ」
 綾瀬はまだ唸っているが、青い瘴気に毒されたようで、
「うあぁぁぁぁぁ」
叫びながら引き金を引こうとした瞬間
「いやまて、折角ならキスでもしようか」
と片桐先輩はあたしに詰め寄った。

やった。いやだ。うれしい。やめて。
そうして顔を近づけてくる先輩に
「どりゃあああああ」
ものすごい勢いでマモル君がタックルをかましていた。

11

アクロバット共身!
中崎が片桐に突進すると同時に、我は勢いよく春亜に飛びつき、即座に共身した。
「遅れてすまない、春亜。あの悪魔を引きずりだすには、全員の満身創痍が必要だった」
我はあいつを知っている。あの悪魔の狡猾さ、慎重さを知っている。何を隠そう、やつから首飾りを取り戻したのは我なのである。
その頃は標的を春亜に絞った頃だったから、毎日上から観察していたのだ。あの悪事は見過ごせなかったが、我は非力なハエだったから、取り返すことで精いっぱいだったのだ。

「全員止まれえぇぇ」
唸り声をあげながらその場を制したのは、片桐である。
「よくもやってくれたなぁ、春亜ぁ。お前もまさか悪魔憑きだったとはなぁ」
「我は春亜に着いた悪魔ではない」
そう言って我は依り代を取り出した。
「この書が我なのだ。今は、身体を共有しているだけだ」
「はぁ?(共有)が、(憑き)に勝てるかよ。いいからお前も、とまれぇぇぇ」

仕方がないからかかってやろう
「——うああ」
名俳優である。
「はぁ、はぁ、まさかここまでの力があるなんてな。でもいいのか、さっきお前はこの場の全員を止めたのだぞ。あそこにいる殺し手も止めていることをお忘れか?お前が殺してくれるのか?そうなれば犯罪者として吊るされるだろうから、我としては万々歳だな」
ちっ、と舌打ちをして再び命令した。
「綾瀬、うごいていいぞ。さあ、春亜を殺せ!」
といった瞬間、バンと鋭い音が鳴り————


————片桐の胸が貫かれていた。

「なんで、だ。綾瀬…」
「いい演技だったでしょ?」
「どうして、命令が効かない」
「それはおまえ、我だからに決まってるだろう」
「その、話し方。いつの、まに」
「アクロバティック共身だ」
一息ついてから。
「まあ、憑かれたお前も、憑いたお前もドクズだったから、思い切りぶち抜けた。あぁー後悔無し!」
「く、そ」
事切れたらしい。なんとまぁ、あっけないものだった。
しばらくして、春亜が目を覚ました。
「ハルアには大変な思いをさせてしまったな。本当に申し訳なかった」
「いや、大丈夫だよ。私を助けてくれてありがとう…」
どうやら我は、お前に不幸をもたらすものだったらしい。お前が望む平和は我には作れないのだ。
「せんぱい?血が、せんぱい!せんぱい!」
どうやら片桐の呪いがまだあるようだ。
「ハルア!」
我はこの身になって初めて出したあの声量ほどの大きな声を出した。
「な、なに?」
「一つ。願いを聞いてくれ」
「う、うん」
「これから何があっても、君には見方がいるという事を覚えておいてほしい」
「え?どういう――」
「――我と片桐のことを忘れろ」
そういうと周囲が赤い光に包まれて、春亜は眠りに落ちた。

「あとのことは、お前に任せたぞ」
「分かってるよ。もうお前、春亜に近づくんじゃねえぞ……ありがとよ!」

そうして数学書の悪魔はどこかに消えた。

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