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写真が残っているのは幸せの証

正直、写真があろうがなかろうが幸せです。
自分の心に残っている思い出があれば良いと思っていますが、
過去に写真を消してしまった後悔からこのnoteを書きました。

写真の整理をしている。この時間が好きで、整理がなかなか終わらない。昨年の写真を見ては「懐かしい~」と思っている状況なので、見直しに相当の時間を要している。今年いっぱいはかかりそうなペースだ。


ただ、1つ後悔していることがある。今自分が持っている写真は、2018年4月27日以降の分しかないこと。2018年4月時点で25歳。それ以前の写真がない。


小さいころの写真は、親がたくさん撮ってくれていたので、実家にいくと数冊のアルバムが保管されてある。幼少期~小学生までの写真はそこそこ残っている。実家に戻ったら、1人になったタイミングでいつも見返す。幸せな環境で育ったんだなぁと噛みしめながら見ている時間が好き。

…しかし、中学生あたりから、写真がガクンと減る。


色々と環境が変わっていたタイミングだった。詳細は割愛するが、悪い方向に変わっているときだった。


そんなときは、写真を撮る余裕がなくなってしまうんだろう。楽しい時間はあったはずだけど、当時の姿を残しているものが全然残っていない。


写真がない、に加えて当時の記憶があまりないため、毎日習慣でしていたこと以外、ぼんやりとしか思い出せない。


高校生になった段階で、一旦環境は改善されはじめた。ぼんやりした暗い闇は、この頃からなくなりはじめた。15歳になったときに、ガラケーを持ち始めたので、写真は結構撮っていたはずなのだが、なくなってしまう。なくなったのは、社会人になってから。


社会人になったあたりで、ガラケーからスマホに変わった。一気に環境が変わり、ストレスを感じていた。10代~20代前半は、人間関係に悩まされることが多く、たびたび、何もかもリセットしたい衝動に駆られていた。

実際に何度も携帯丸ごとリセットすることがあった。この時に、高校生~社会人になってから撮った写真もリセットしてしまった。当時は「良いんだこれで」と思っていて、むしろ清々しさまで感じていた。


でも、今振り返ると、写真までリセットしてしまったことが心残りだ。昨年の写真で懐かしさを感じるんだから、社会人になりたての頃や、家族と過ごした休日、友達と遊んだ時に撮った写真があればなぁ・・・。と悲しくなる。言葉で表現するのが難しいが、心臓がギュッと握られるような切なさのような感じだ。


だからこそ思いました。こうやって写真を残せているのは、今自分の周りにいる方々が私を支えてくれていて、そのおかげで心も安定している、幸せだからなんだろうなと。


目の前にいる大事な人と過ごす時間が一番大切ですが、「こんなことあったなぁ」と振り返られる写真を、これから残していきたいと思った今日この頃です。


明日もよい一日になりますように!
残っている写真から、思い出を呼び起こしてnoteに書けたらと思っています。

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