自分を大きく見せるために、自分の背景を劣悪と語ること
自分の背景を「劣悪」と語る心理
毎度Twitterからネタをもらうようだが、今日はこんなツイートに共感した(印象に残った個所を抜粋しています)。
私の周囲でもよく聞く話である。
・地方出身だから、都会の人ほど恵まれた学習環境ではなかった
・家が貧乏だった、親の理解がなかった
・公立中学の環境が悪かった
などなどほざいている人はよくいる。
人生がうまくいかずにくすぶっている人が
「家は貧乏で親も中卒とか高卒だし、地方出身で塾もないし、公立中学はヤンキーばかりでろくでもなかった」
と言っているのなら、
「あーはいはい、知らんがな」
で聞き流されるだろう。
しかし、人一倍成功した人がこのセリフを言ったならば、特に本人に近い環境の人から突っ込みが入るのは仕方ないだろう。
「地方でも塾はあるわ!進学校からは東大に何人も行ってるわ!」
「うちの地方を文明のない未開の土地のように言うな!」
と言われても仕方ない。
育った家庭のことはともかく、育った地方や学校については同じ属性の人を貶めることにもなるので、発言には気をつけた方がいいと思う。
他人を傷つける可能性がありながらも自分の背景を劣悪と語るのは「劣悪な環境から成功した俺(私)すげー」と言いたいからであろう。
あるいは「環境が良ければもっと成功した」と言いたいのであろうか。
「良い環境で育ったエリートと同等の成果を出せた私は地頭がいい」というマウントかもしれない。
「劣悪な環境」はアピールするものではなく、乗り越えるもの
私の周囲に限ってかもしれないが、上記のような言い訳をする人たちは結局のところ恵まれている。
・「両親が高卒だ、遺伝的に頭が良くないんだ」と言うが、父親が自営業で羽振りが良く、小学校から私立に通い、高校時代は予備校に通って有名私大に進学した。両親は高学歴ではないのかもしれないが、莫大な教育費を払うだけの経済力があった点は恵まれている。
・「大都市圏(東京、大阪)から遠い地方の出身だから、東京出身者のように恵まれていない」と言うが、高校卒業後に実家を離れて隣県の国立大学に進学した。その後、大都市圏の国立大学の大学院に入学し、30近くまで博士課程にいた。30近くまで学生ができるなんて、実家に経済的余裕があったとしか思えない。実家から通える大学に行けという圧力もなかったわけだし、理解のある親だよ。
自分からアピールしなくても「いい大学に行けてすごいね」と言われる人たちなのだから、わざわざ親の学歴や故郷をディする必要はないのではないかと不思議に思う。
冒頭で紹介したツイートの続きに、こんなことが書いてあった(抜粋かつ少し変更しています)。
まさにこのとおりで、もし赤の他人から「あの人の環境は劣悪だ」と言われるような状況であれば、みずからそんなことは言わないと思う。弱者認定される辛さを知らないから言えることなんだろう。
親が高卒の家庭で育ったこと(アラフォーにとっては珍しいことではない)や地方出身であることは「劣悪な環境」ではないし、この属性のせいで弱者とは認定されることはない。
もしこの属性のせいで「自分が弱者だ」と思うのであれば、他人に訴求するのではなく、それがコンプレックスに感じないくらいに突き抜けてしまえばいいのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?