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「振り回されない」ということを選択した


カウンセラーさんの言葉で気づいたこと

コロナ禍でステイホームを強いられていた2020年夏のこと、漠然とした不安を覚え、オンラインカウンセリングを受けることにした。
Facebookでつながっている友人が、
「私の友達のカウンセラーさんを紹介します」
という投稿をしていて、そこで紹介されていた春子さん(仮名)という女性がなんだか気になり、しばらくは彼女のメルマガを購読し、その後に連絡をしてみたのがきっかけだった。
結論から言うと、春子さんとはあまり相性が良かったとはいえず、オンライン面談やメールのやりとり中に
「うーん、そういうことじゃないんだけどなあ」
と意思疎通にさえ困ることがあった。
4回のカウンセリング終了後は連絡もしておらず、メルマガもしばらく購読していたが、考えの違いに辟易して解除してしまった。
春子さんもあっさりした方で、あちらから連絡が来ることもなかった。

ここまで言っておいてなんだが、私は春子さんのカウンセリングを受けたことを受けたことはまったく後悔していない。むしろ、人生を変える気づきをくれたことに感謝している。

あれは3回目か4回目のカウンセリングのことだった。その日、私は「数年前に私を嫌な目に遭わせた人」のことを話していた。そのとき、春子さんにこんなことを言われた。
「あんずさんは、他人から嫌なことを”される”ことが多いのね?」
私は、はっとした。このカウンセリングのあとに、この春子さんからの指摘について考えてみた。

「嫌なことをしてくる人」や「過度なお節介をしてくる人」が悪いのであって、そういう人に出会ってしまうのは事故のようなもので、避けられないよね?
でも、そういう人に自分の人生に介入されるのは、私が介入してくることを許可しているからだよね?
こういう人と出会ってたときに、私が関わらないようにすれば、その人は私に何かをすることはできないよね?うっかり関わったとしても、メールの返事をしない、誘われても会わないようにすれば、疎遠になるよね?
あまりにしつこいときは、
「あなたが嫌いです、迷惑です」
と言ってしまってもいいわけではないか!
それができなかった私は、これまでなんと他人に振り回されてきたことか!というか、「嫌なことをしてくる人たち」は、私が逃げることができないとわかっていてターゲットにしてくるのではないだろうか?
よし、これからはもう振り回されないぞ!と心に誓った。


「振り回されない」ことを選択してからの人生

あれから4年経つが、「もう他人に振り回されない」と決めてから、いろいろな変化があった。

・会社にときどき無理難題を押し付けてくる同僚がいるのだが、
「私たちにも”健康で文化的な最低限度の生活”が憲法で保障されているので、私生活を脅かしたり、健康を損なうような働き方はできない。そういうことを強いたときには人事部や労働基準監督署に報告、相談します」
と宣言したら(実際はもう少しマイルドな言い方でしたが、だいたいこんなこと・笑)もう無理難題を言われることはなくなりました。そりゃ、こんなめんどくさいヤツには頼みたくないわな(苦笑)

・プライベートの飲み仲間の話。このグループはなんとなく上下関係があり、リーダー的存在のAさんの提案は断りにくい雰囲気があった。このAさんが、ほとんどの飲食店がお酒を出していない時期に、さかんに飲みに誘ってきた。だが、私は気が進まず、いまは行きたくない。
「どこのお店もお酒を出していないから」と断ると「出している店はある」と言い張る(だが、どこの店と言わないあたり、本人も知らないのだろう。飲む約束ができてから探すのであろう)
「あまり体調が良くないので外食は避けたい」と断ると「病院には行ったのか?そのへんのクリニックではなくて大病院に行け」など謎の指示を出してくる(クリニックでなんとかなる程度の体調不良で自分の誘いを断るな!ということだろうか?)
こんなやりとりを何度も繰り返し、ついには
「Bさん(他の飲み仲間)と絶交したのか?」
と謎のことを言い出したので、
「Bさんは関係ない。彼女は、私が飲みに行きたくないということを尊重してくれている。私は、何度断っても引き下がってくれないAさんに戸惑っています」
と言ったら、もう連絡が来なくなった。絶交されたのかもしれないが、べつに問題ない(苦笑)

・帰省中に同級生と会うことになったときに、その友人からLINEで
「Cちゃんも誘ってみようか?」
と提案された。Cさんは他人の噂が好きで、私もそのターゲットになったことがあり、なるべく距離を置きたい相手だった。同窓会など大人数で会うのであれば適当に談笑しておけばいいが、少人数で会うと、また個人的なことを突っ込まれ、それが噂のネタになるであろう。それ以外にも、Cさんとは距離をとりたい理由がある(長くなるので省略)
だが「Cさんを呼ばないで」とは言いにくい。これまでの私であれば我慢して会うことにしたかもしれないが、そうはしたくなかったので、友人には返事せずにしばらく放置した。数時間後、友人から
「今回はCさんを誘うのはやめておく?無理しなくていいよ?」
とLINEが来た。既読スルーしたので察してくれたらしい。そこで、
「ごめんね。Cさんはいい人だけど、個人情報を漏らしたくないんだよね。以前、個人情報の取り扱いで揉めたことがあってね。大人数で会うのはいいけど、少人数で会うのは避けたいんだよね」
と返信したところ、あっさり受け入れてくれた。

会社の同僚も、飲み仲間のAさんも、これまで私のことを「自分のお願い、提案を断らない人」と思っていたから、無理難題を言ったり、断ってもしつこく誘ってきていたのだ。「私はそんな都合のいい人間ではないよ?」とこちらが示せば、もう無理難題は言わないであろう。都合のいい人間を求めていた人は離れていくであろうが、それでいいのだ。

Cさんは、20代の頃に何度か「私のことをよそで話さないで」とお願いしたが、彼女は噂話を悪いと思っていないようで、なかなか改善されなかった。彼女にとっては、他人の噂話がコミュニケーションの手段なのであろう。彼女はネタ集めにも余念がなく、ある時期は毎日メールで私のプライベートについて質問責めしていた。あるとき、
「ネタを提供しなければ、噂にされようがないのだ」
と気づき、彼女のメールには返信しないようにした。Cさんはしばらくは共通の友人に
「あんずに返信するように言って!」
と頼んでいたようだが、やがてそれもなくなった。ようやく「泣きついてもムダ」だとわかってくれたのであろう。
とはいえ、同窓会などで会ったときの言動から、完全に諦めたわけではないこともわかっていた。ここで少人数で会うことを了承すれば、これまでの努力が水の泡である。
こういう「言ってもわからない人」は、自分の人生に登場させないという断固とした姿勢が必要なのである。

人間関係をいくつか失ったり、距離ができてしまったが、それでも「振り回されない」という選択は正しかったと思う。不要なストレスが減り、人生は自分で決められるという確信を持つことができた。
もっと早くこれが選択できればよかったと思っている。

#自分で選んでよかったこと

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