ゼロから頑張ったとか、誰にでもできるとか言うつもりはない
自分の背景を劣悪に語ることのデメリット
数年前に、地方の高校生が海外の有名大学に合格したことが話題になった。
当初は「地方出身、応援ゼロ、英語力不足」というビハインドの状況の女子高生が海外の有名大学に合格した!すごい!という触れ込みで、彼女は自分の経験談を本にした。
その後、関係者の暴露により、この女子高生が小学校から私立に通っていたこと、たくさんの塾や習い事をしていたこと、高校生にして海外渡航歴がかなりあることなどが明らかになり、
「自分の背景を偽ってまでアピールするのはどうか?」
と物議を醸しているようである。
彼女の話も、関係者の話も100%信じていいのかわからないし、何が真実なのかわからないが、もし関係者の話が本当だとしたら、いかにも「ゼロから頑張って海外の有名大学に合格しました」みたいな触れ込みで本を出してしまったのはまずかったなーと思った。
なぜなら、彼女の本を読んで
「私も海外の大学を目指そう!」
と夢見る若者の参考にならないからである。
彼女にとっては「こんな劣悪な環境から這い上がった自分」というドラマができるのかもしれないが、それを本当に劣悪な環境にいる若者が信じて実践してうまくいかない可能性が高い。これは、彼女が自分の背景を偽ってしまったことのデメリットである。
もし彼女が地方の裕福な家庭で育ち、恵まれた学習環境があり、海外経験が豊富だったとしても、海外の有名大学に合格し、奨学金をもらえることは純粋にすごい。彼女は行動力もあるし、自分を表現するのもうまい。
だから、わざわざ自分の背景を劣悪なように語る必要はなかったと思う。自分が恵まれた環境にあったことを認めたうえで、どんな努力をしたらその成果を手にできたのかを語ればよかったと思う。
私にできたことは誰にでもできると言うつもりはない
そんなことを言いながら、昨日、私も高校時代の自分がいかに恵まれていなかったかを記事にしてしまった。
この記事は100%真実であるが、
「母親が亡くなり、収入が途絶えた家で育ち、周囲の猛反対を押し切って東京の大学に行き、奨学金とバイト代で生活した私すげー」
と言うつもりはない。
「こんな環境の私がやれたんだから、誰でもできる!」
なんて言うつもりもない。
我が家は両親の浅はかさのおかげで窮地に陥ったが、父方、母方とも親戚がまともで、勤勉に働き、手を差し伸べてくれる人たちだった。誰ひとり、私に向かって
「高校を辞めて働け」
とは言わなかった。大学に行くことを反対する人もいなかった。
また、私は勉強が得意だったし、自分の人生を何とかしようという意欲があった。高校2年から返済不要の奨学金をもらい、大学では日本育英会から無利子の奨学金を借り、大学から給付型の奨学金をもらった。
高校時代は冬休みに郵便局で年賀状の仕分けのバイトをし、大学時代はありとあらゆるバイトをした。
母が入っていた生命保険のうち、ひとつは私の進学のためという遺言があったので、これと奨学金、バイト代を合わせたら、海外の大学は無理だが、東京の大学に4年通うことはできた。
親戚の理解があり、母親の生命保険があり、勉強が得意で、自分で何とかする意欲と行動力があった。末っ子なので、これから進学する弟や妹の心配もなかった。
これだけ条件が揃ったからできたのである。
もし昔の私のような地方の高校生から相談されたら、軽々しく
「私がゼロからできたんだから、あなたも東京の大学に行けるよ!」
とは言わない。
大変な思いをしたことは事実だけど、ゼロから頑張ったというつもりはない。
もしアドバイスをできるとしたら、外的要因はどうしようもないけど、自分がどうにかできることを努力することが大事だと思う。
勉強でも何でもいいから人生を切り開けるだけの特技を持つこと、あとは何より自分で何とかするという意欲と行動力を持つことかなと思う。