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「神様への想い」がつなぐ、不思議なご縁


同級生がきっかけで思い出したこと

コロナ禍の少し前に、高校の同窓会イベントで、Tくんという男子と仲良くなった。
高校は11クラスあり、知らない人がたくさんいた。特に理系クラスの人は教室も遠く、接点もなかった。同窓会では「はじめまして」から始まることも多かったが、みんないい人で、数分もすればもうお友達だった。
Tくんについて言えば、面識がないわけではなかった。だが、しっかり話したことはなかったので、
「ちゃんと話すのは初めてだね」
みたいなことを言った記憶がある。

Tくんはこのとき、人生の新たな局面を迎えていた。
彼はある宗教の教師の資格をとり、地元の教会の手伝いをしていたが、後継者のいないK教会を引き継ぐことが決まったばかりだった(Kは地名)。
大きな変化を数ヵ月後に控え、少し不安そうだが、ワクワクしているようでもあった。

この教会の名前を聞いたとき、思い出したことがあった。
私の祖母がこの宗教の信者だった。祖母はY教会という我が家から少し離れた教会の信者であったが、我が家から近いK教会にもときどきお邪魔していた。私も小学校入学前に何度か行ったことがある。
次第に足が遠のいていたが、高校1年で母親が亡くなり、四十九日にあたる祭祀がY教会で行われた日、見覚えはあるけど誰だかわからない男性が来てくれた。Y教会の教会長から、
「K教会の先生だよ、覚えてない?」
と言われたとき、私は涙が止まらなくなった。

この街に親戚はほとんどいなかった。両親はまだ若く、自営業で忙しかったからそうでもないかもしれないが、アラ還でこの街に連れてこられた祖母は本当に寂しそうにしていたらしい。
そんなある日、たまたま幸子さん(仮名)という若い女性と知り合った。当時まだ20代だった幸子さんとどこで知り合ったのかよくわからないが、祖母の話を聞いてくれた幸子さんは
「私が通っている教会にいらっしゃいませんか?お友達がたくさんできますよ」
と誘ってくれた。
ここからY教会、K教会、信者さんたちとの付き合いが始まった。あの街での知り合いのほとんどが教会関係の知り合いだったと思う。
自営業の両親は、一緒に働く仲間も友達もいなかった。だが、母親の葬儀にはたくさんの信者さんが参列してくれた。
K教会の教会長は、母親が亡くなったことをしばらく知らず、葬儀には来られなかったが、四十九日には来てくれたのだ。軍隊経験もある教会長は体つきががっちりした紳士だった。
私は教会長の顔を見て何だか安心して涙が止まらなくなったのだ。いま思い出しても涙が出てくる。
TくんがK教会の教会長になったとき、前年に先代の教会長が亡くなったことを知った。百歳近い大往生だった。

Tくんから教会長就任の話を聞いたとき、自分とK教会との関係は話さなかったが、
「うちの近所だし、帰省したときに遊びに行くね」
とだけ話していた。だが、その後のコロナ禍でそれもままならず、数年が過ぎた。
最近、Tくんが結婚したことをFacebookで知り、同級生の女子と「今度、お祝いに行こうよ」という話になった。そこで、Tくんにその旨を連絡し、
「話してなかったけど、祖母がK教会の先生にとてもお世話になったんだ。そういうご縁もあるから、ぜひお伺いしたいです」
と付け足すと、お返事が返ってきた。

先代のN先生ですね。
2人の娘さんはいまも教会に来られてますよ。
K教会は来月70周年の記念祭を行います。
いま記念冊子を作っていますので、今度差し上げますね。

記念祭の日程を見ると、行けないこともない。今年の年末は帰省しないので、どこかで一度帰りたいとは思っていた。

「帰省できるようなら、参加させていただこうかな」
Tくん「ウェルカムです!とてもうれしいです」
「N先生の娘さんもいらっしゃいますか?小さい頃にお会いしたような気がします」
Tくん「姉妹でいらっしゃいますよ。とても喜ばれると思います」

というやりとりがあり、来月もしかしたら帰省するかもしれない、ということになった。


宗教がもたらすもの

この宗教は江戸時代にできたので新興宗教ではあるが、神道の一種で、悪質なことはやっていない。高額の献金を請求されることもない。壺や印鑑を買う必要もない。街頭での勧誘活動もやっていない。
ただ、他の新興宗教について本当に悪質なのかは内部に入ったことがないのでわからないし、信じている人の気持ちは尊重したいと思う。
T1教会からは何度も街頭で勧誘されたことがあるが、いつも拒否していたし、無理矢理ビデオセンターなる場所に連れていかれたことはない。
S学会信者の友人からは選挙のたびに電話がかかってくるが、それ以上の迷惑を被ったことはない。
なお、うちの両親は、この宗教のほかに霊感商法をいくつも渡り歩いており、あちらは明らかに胡散臭かった。霊感商法と宗教は明らかに違う。一部の新興宗教の話を聞くと、霊感商法の間違いではないかと思ったことがある。

それはおいといて、宗教を介した人間関係が、人の心を救ってくれることもある。
母親が亡くなり、頼りにならない父親と遺されたとき、私たちはY教会の教会長ご夫妻を親のように頼りにしていた時期があった。母方の叔母がその役割を担ってくれていたが、遠方にいるので、うまく意思疎通できないこともあった。近くに頼りにできる、相談できる人がいるのは心強かった。

Tくん自身も宗教に救われた人だった。彼は東京の大学に進学し、10年以上東京で暮らし、都心にある教会に通い続けていた。体調を崩した時期があったが、その時期も教会行事には参加していたようだ。そんな彼の姿を見ていた東京の教会長が、教師になるための学校に推薦してくれたという。
そうやって目の前のことに取り組むうちに心身ともに回復したようで、いまは毎日神様に祈りながら、とても心穏やかに過ごしているようだ。Facebookで見る彼の言葉は、いつも感謝に溢れていて、私の心まで「整う」感じがする。


Tくんがつないでくれたご縁

すっかり忘れていたK教会のことを思い出したのは、Tくんのおかげである。もっと早く教会を訪問したかったが、彼が教会長になって間もなくコロナ禍があり、その後は忙殺され、K教会に行こうと思い立つこともなかった。
最近、彼の結婚を知って連絡をとったことで、先代の教会長の娘さんの近況を知ることができた。
もう教会長に会うことはできない。母親の四十九日に来てくれたお礼を直接伝えることはできない。でも、娘さんたちには会える。来月行けなくても、Tくんに頼んでおけば、次の機会には連絡をくれるはずだ。
娘さんたちに、あの日、教会長の顔を見てどれだけほっとしたかを伝えたいと思う。私はそのとき、絶対に号泣してしまうに違いない。

いま、Tくんのブログを読んでいて、こんな文章を見つけた。

〇〇教の教えでは、よく「お礼を土台に」ということが言われる。まず、感謝の心になることが基本ということ。
(中略)
一日3つ、良かったことを探して、お礼の心になる。それは基本であり、幸せへの一番の手掛かりになるように思う。

私は30過ぎてからだと思うが、「感謝」という言葉をよく口にするようになった。
昔の自分のことを思い出しては
「あいつは感謝の心が足りない!あんなヤツはダメだ!」
と怒りが込み上げることがあるし、仕事でも、同僚や取引先の人に、
「ありがとうございます、感謝しています」
と自然に口にする。
Facebookの投稿でもよく「感謝」という言葉を使っていると思う。
「感謝」という言葉を頻繁に使うようになってから、私の人生は少しずつ変わってきたと思う。

いつも書いているように金銭的にも精神的にも余裕のない家だったから、親から「感謝」の概念を教えられた記憶はない。晩年の両親は、自分のせいで窮地に陥ったのではなく、自分たちには非がないのに突然不幸が降ってきたかのように嘆いていた。少なくとも晩年の彼らの辞書には「感謝」なんて言葉はなかったと思う。
私自身、30を過ぎるまで「感謝」という概念は上位にはなかった。30前後で、誰かから「感謝の大切さ」を教え込まれた記憶もない。では、なぜこんなに頻繁に「感謝」と口にする、文章にするようになったのだろう?

物心ついた頃から、我が家には〇〇教の日めくりカレンダーがあった。内容は覚えていないが、その中に「感謝の大切さ」を説く言葉があったのかもしれない。また、祖母に連れられていった教会で、そのような言葉を聞く機会があったのかもしれない。
私が「感謝」という言葉をたびたび口にするようになったのは、幼少期に脳の奥にしまわれた〇〇教の教えが、あるとき急に浮上したからかもしれない。もっと早く浮上してほしかったと切に思う。

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