心が重くなったよnote
自分の人生の幼少期を振り返っていくと、だんだんと心が重く苦しくなる。自分の人生なのに、だ。
幼少期を振り返っているだけなのに心に負担が大きいようで、これも虐待の後遺症だろう。
虐待される日々を振り返ると、再度虐待に合っている気持ちになってしまう。
もうここに父はいないのに、今ここでまた父が拳を振り上げ刃物を持っていて追いかけてくるような気分になる。とても疲れる。
noteに綴ることで少しでも自分をどうにかしたくて画面に向き合って自分を見ているのに、振り返るほど気持ちが重くしんどくなる。
私の体力、精神力があまりに低めだとしても苦しい体験を振り返るという行為は誰でもしんどいと思う。
あまりにしんどくて画面に映る自分を見つめる時間が増えていて、指が止まってしまっている証拠だと思う。
そんな気分を変えたくて、なにか関係ないことを綴ることでリセットしたい。
最近、健康というか自身の体について考える時間が増えた。
30歳間近で最近は特に20歳のときとは違う体への変化を感じる。
例えば、牛肉を食べるのがしんどくなってきたなーとかお酒を飲める量が減ったなーとか。
特にしんどいのが、お風呂に浸かっている時間が減ったこと。
お風呂が好きで長く浸かったりサウナにしたり、もちろん入浴剤にもこだわりがあったりと本当に好きだ。家にいる時間でお布団の中の次に湯船が好きである。
どうしてお風呂に浸かるのがしんどいのか、これについて考えることでnoteを綴る気持ちに空気の入れ換えを行いたい。
お風呂のお湯の温度は41度。シャワーの温度もそのくらいである。
しんどくなるまでは30分以上浸かっていられたが、今では20分も浸かってられない。10分から15分でしんどくなってしまう。
湯の温度に問題があるのか?
41度は高いのか?
40度にしてみると温かいとは感じず、これも入っていられない。
42度は温かいが、もちろん入っていられない。
間の41度がやはり適温だと思う。
この話題を広げるのはあまりにも難易度が高いので、もうやめようと思う。
最近は睡眠について考えるようにもなった。
枕の高さ、布団の重さ、パジャマについて。
枕の高さを測って作ってもらおうと思いながらもなかなか足が向かないのは、外出先で頭の高さを計測されるという不思議体験に少しの羞恥心だったりそこまでするのか?という自分への嘲笑が出てしまう。
なので簡単に変えられるパジャマから変えてみようと思う。
最近は睡眠について考えを深めるために色んなアプリだとか色々な文献が出てくるが、私はそれより遥か前から眠りについて深く考えてきた。
パジャマ生活に憧れを持ちながらなかなか上手く乗れない波というのがパジャマである。
しかし、パジャマという波に乗れば確実に生活が変わる。
家に帰ってから着る服がパジャマの人もいれば部屋着の人、もしくは普通のお洋服を着る方もいるだろう。
このどれもを否定する気はない。
「えー、帰ってすぐパジャマ!?」とか言うやつがたまにいるが、人の生活なので口出しをするなと思う。
「え、普通に着替えるって何!?どこ行く気?」と笑うやつもたまにいるが、そういう笑いはやめなさいと思う。
「わざわざ部屋着なんて決めてるの?」と何かを含ませたような言い方をするやつもいるが、言いたいことははっきり言えばいいと思う。
人にはそれぞれ生活スタイルがあるので、十人十色千差万別。
私は帰ってすぐにパジャマにもなってきたし、部屋着を決めていたこともある。
どちらも生活をする上で困らないし、確立されたスタイルであれば問題は生じない。
ただ、体にスイッチをつけるのだとしたら着替えることはとても大事だと思う。
やる気スイッチどこにあるんだろ~とかいうあれに近い。
この話題を広げたいが、またのちのちに。