京本政樹さん、ありがとう
やっぱり京本政樹さんに縁があったのかもしれない。
noteを始めたばかりの頃、妻との些細な言葉の聞き違えをネタに「京本政樹さん、ごめんなさい」と言う記事を投稿した。
特別なファンでもない私だが、今日、また彼に関わるエピソードが生まれたので感謝をこめて書かせてもらうことにしよう。
昨夜、近所に住んでいる91歳の父から電話があった。
嫌な予感がした。
この時間にかかってくるのはたいてい「えらいことになってもてん」と言うケースが多いからだ。
的中した。
「冷蔵庫がうんともすんとも言わへんねん」
早い話が壊れたということだろう。まあ、40年選手の冷蔵庫だからお役御免となっても不思議ではない。
しかし、隣に、かつて私たち家族が住んでいた部屋(扉一枚で行き来できる2世帯住宅だった)に使っていない冷蔵庫が放置されたままであることを思い出した。こちらも20年選手だが、まだ現役のはずだ。
「俺の前の家に冷蔵庫あったやろ。まだ、使えると思うねんけど」
しばらくして、再度父から電話が入る。
「ほんまや、動いてたわ」
と言うことで、翌日二人して冷蔵庫の民族大移動を挙行することにあいなりましたのでござる。
容量400L近いかなりの大型冷蔵庫である。それを部屋3ブロック分、移動しなければならない。しかもバリバリのアンチバリアフリーの部屋である。途中、そびえ立つ敷居が行手を阻む。
作業する人間は91歳と65歳の老々選手である。妻は、「大丈夫なん。買った方がええんちゃうん」というが「まあ、やれるだけやってみよう」と翌朝、父の家までバイクを転がした。
父は、老体に鞭打って昨夜遅くまで「冷蔵庫移動の道」を構築していたらしい。動線は確保されていた。
しかし、1箇所どうしてもできなかったところがあるという。
途中の部屋のガラス戸を外し冷蔵庫を通しやすくしたかったのだが、立て付けが古く外すことができなかったと言うことらしい。このガラス戸は特注で作ってもらったかなりボリュームのあるものだ。
「一枚は外せてんけど、もう一枚がどうしてもあかんねん」
私がやってみると、確かにもう少しというところでガラス戸が敷居のレールから脱出できない。私の100kg越えの体重を持って敷居を踏んでもダメだった。
「あかんなあ」
「どうしよう」
「まあ、はずさんでもなんとか(冷蔵庫を)通すことはできるかなあ」
と、あきらめかけた時、
「シュワシュワシュワーーーーン!」
という効果音が聞こえたような気がした。(ちょっと盛ってます)
その部屋には、使わなくなっているアップライトのピアノが置いてあり、その上に大きなウルトラマンが鎮座ましましていたのである。
その凛々しい姿が私の視界に入ってきたのだ。
これは、私の息子が幼い頃に、義父から贈られたものだった。フィティングポーズでこちらを向いている。
名付けて「京本(政樹)コレクション」。(チャラーン 効果音その2)
「お父さん、もういっぺんやってみよか」
「俺が反動つけて敷居踏むからそのタイミングで外してみよ」
「せえの」
「ドン!」
何度か、チャレンジしていたせいもあってか、難攻不落と思われていたガラス戸はやっと陥落してくれたのだ。ウルトラの力か。
そこから、えっちらおっちら老々部隊で巨大冷蔵庫を運んだ。
「なんとか、なるもんやなあ」
無事、冷蔵庫の大移動は成功を納めたのである。
そこから、20年ほど放置されていた冷蔵庫をきれいに磨き、使える状態にした。やや、腰に痛みを感じつつも2人でコーヒを啜りながら労をねぎらった。
「まあ、91歳でこんなことできるの、お父さんだけやで」
「生きてる以上は、なんとかせなあかんと思って頑張ってるねん」
久々に親子でいい時間を過ごせたなあと思った。
作業を終えて、自宅に戻る時、「あっ、そうや」と思いついた。
「ピアノの上のウルトラマンを持って帰ろう。孫が年末に帰ってくるのでその時に見せてやろう。息子も喜ぶはずや」
バイクの前かごに埃だらけになった巨大ウルトラマンを納めて、家路についた。
自宅に戻り、ウルトラマンの煤払いをして、ついでに一緒に風呂に入った。
京本政樹さん、ありがとう。
あきらめないで扉外せたおかげで冷蔵庫がスムーズに運べました。
湯船につかりながらウルトラマンと目があった時、心の中でそっと手を合わす。
P.S
しかし、私が家に帰って1時間くらい経った頃、電話がなった。父からだ。
「あの、冷蔵庫全然冷えへんねけど、見にきてくれ」
「あーあ、そんなん見にいってもしゃあないわ。壊れてんねんやん。そら、ずっとほったらかしやったもんなあ。電気ついてたからOKやと思ってたけど甘かったな」
結局、「ジョッジョッジョッ ジョーー○ン」に走り、新しい冷蔵庫を購入した。今回は即決である。
京本政樹さん、ありがとう。
そして、
渋沢栄一さん、さようなら。