たった一度のあやまち
「俺は、なんぼ飲んでも頭はしっかりしてるから」
これが私の口癖。一緒に飲んでる連中に「迷惑かけへんよ」という安心感を与えると同時に「なんぼ酒の席って言うてもあなたの言ったこと忘れへんからなあ」という脅しでもあった。
元々お酒は好きだ。ビールから日本酒、ウイスキーに焼酎となんでもこいだ。寮生として過ごした学生時代は飲み方も知らず、よくつぶれたりもした。でも、その経験が自分の限度も知ることになり、「ああ、これは明日に残るから出しとこ」と敢えてリバースして「調整」するくらいの飲み方は身についていた。
社会人になって、酔い潰れた人のお世話をすることはあっても、世話になることはまずなかった。かなりの量を飲んでも「頭は」しっかりしていたからだ。たとえふらふらの千鳥足になろうとも、悲しいくらいに意識はしっかりしていた。当然、今で言う、セクハラもどきの行いも理性が邪魔をしてブレーキがかかるのであやまちは起こさない。
そんな私だが、一度だけ「つぶれた」ことがあった。頭も体もだ。
小学校の教員をしていた私は、運動会が大好きで、当日は、毎年1番乗りで(管理職や体育主任より早く)学校に乗り込み、コンビニのおにぎりを頬張りながら次々に席をとりに来られる保護者の様子を職員室から眺めるのが好きだった。
私たちの現場では、大きな行事や学期の節目ごとに宴会が催されるのが常であったか、運動会はまさに「打ち上げ」の名に相応しいそれだった。子どもたちが演じた表現演技を教員たちが踊るなんていうパフォーマンスも場を盛り上げたものだ。この日にかけたエネルギーが多い分、弾けるパワーも大きかった。
運動会の日がやってきた。
小学校教員を父に持つ子どもの「不幸」なのかもしれないが、我が子の運動会と勤務先の運動会が重なることがよくあるので、観覧できないことが多い。
その年は、イレギュラーなことが起こった。
我が子の運動会と私の勤務先の運動会が重なっていたのだが、雨でどちらも午前中の早い時点で終了となり残りのプログラムは後日延期となった。
学校を早くに後にして帰宅した私は、孫の運動会に来ていた妻の両親と飲むことになった。妻の両親は、これまた大酒飲みで、この日は、私のためにととっておきのプレミアムな焼酎を持ってきてくれていた。
私は、運動会が曲がりなりにも終わったという変な開放感から勧められるままにそのプレミアムに酔いしれた。ここまでは良かった。しかし、この日、勤務先の打ち上げも控えていたのだ。たとえ、全プログラム終了していなくても、予約の都合もあり宴会は予定通り行われることになっていた。
いい気分で、いやこの時点でかなり出来上がっていたのだと思うが、妻に駅まで送ってもらい電車に揺られて打ち上げ会場までいい気分で向かった私。
宴会は、大いに盛り上がった。
私は、すでにかなり飲んだ状態で参加しているのにもかかわらず、いい調子で飲んで飲んで飲みまくった。
トイレのために席を立った時、「あれ、これやばいかも」と思った。
「立ってみて、初めてわかる酔いかげん」
とは、私の作った悪酔い防止の川柳なのだが、立つタイミングが遅すぎた。ふらふらで歩くのがやっとだった。そして、まず第一弾、やらかした。
入ったトイレは女性用だった。
しかも、悪いことに、我が学校のマドンナである保健室の美しい先生と鉢合わせになった。
「先生、ここは女性用ですよ」
「あ、すみませえええん」
と一度トイレを出た私。そして、もう一度トイレに入ると、
「だから、ここは女性用だって言ってるでしょう!」
私は、2回目も同じ女子トイレに侵入したらしい。
考えてみれば、1度ならず2度までも女子トイレに入ってくる泥酔おじさんはいただけない。ただ、この時点では、このことを私は覚えていたので「頭」は働いていたのだと思う。
問題は、ここからだ。
かなり酔ってしまったので、妻に頼んで迎えにきてもらうことにした。妻は、こども二人と一緒に食事をしがてら迎えに行くと言ってくれた。
ふらふらになりつつも、妻の到着を待ち、車に乗り込んだ。そして、すぐ近くの和食店に到着した。
「どうするん。パパも食べるん?」
投げやりな妻の問いかけに
「うん、行く」
と答えて車を出た。そこまでは覚えている。
「ちょっと、酔い冷ましてから行くわ。先に行っといて」
といい、妻も、こんな酔っ払い知らんわとばかり私を置いて、子どもと二人店の中へ消えていく。
車の後ろで少し佇んでいると、猛烈に眠気が来た。眠気というより、だるさか。立っていられなくなった。うずくまり、車どめがちょうどいい枕になってその場で睡眠に入ってしまった。ここからは覚えているはずもない。目が覚めたのは人々のざわめきだった。少しずつ意識が戻ってくる。
「いや、こんなとこに人が倒れてはる」
「大丈夫やろか」
「店の人、いや、救急車呼んだる?」
そこへ、妻が走ってきた。
「すみません。主人です。酔って寝てるだけなんです。すみません。すみません」
妻に叩き起こされて助手席になんとか座った。ここからはよく覚えている。妻は運転しながらこれでもかと私にばり罵詈雑言を投げつけた。私は、こんな弱り果てた夫にそんな厳しいこと言うんかと反撃に出る。車の中で夫婦喧嘩が始まった。後ろで、2人の子どもたちが「やめて。やめて」と悲しい声で叫んでいる。子どもらの前では夫婦喧嘩はしないという約束も破られた。
後にも、先にも、こんな体たらくは、初めてだ。酒での黒歴史No.1に輝く出来事である。今から25年前の出来事だ。
それにしても、なんであんなに酔ったのか。宴会にいく前のプレミアム焼酎は後でわかったのだが、48度の代物だったらしい。それをロックでグイグイ行ってたのだから相当な量のアルコールが体に蓄積されていたのだろう。
ただ、ふと思う。
駐車場で寝ていた場所が違うところだったらどうなっていたのだろう。思い返すにつけゾッとする。
今、夫婦ともに退職して毎晩のように晩酌を嗜んでいる。
一日のうちで一番楽しい時間である。
お酒は、これくらいでちょうどいい。