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いちばんの贅沢

 1月6日の午前9時過ぎに自宅に戻った。

 ざっとは、片付けてあったが、ところどころに孫たちが遊んでいた玩具の残骸が見える。
「ああ、帰ってんなあ」
「今日から抜け殻生活かあ」
「でも、どこかでやれやれという気持ちも正直あるよなあ」
「ほんまに、嵐のような2週間やったもんなあ」
「改めてお疲れ様でした」
「いいえ、こちらこそ」

 年末年始の我が家は、まさに「孫孫狂騒曲」とも言うべき慌ただしさだった。

 第一陣は、12月19日。
 長男が2人の子どもを連れて沖縄から帰ってきたことから始まる。(長男は育休中で、奥さんはまだ勤務中)
 あろうことか、妻は、「息子1人で2人の子を飛行機で連れてくるのは大変」と13日に沖縄まで前乗り「お迎え」に行っていた。したがって、妻は、16日から狂騒曲は始まっていたことになる。息子は、早々と妻の航空便も予約し、きっちり外堀を埋めていたのだった。
 まあ、2人の孫は、3歳5ヶ月の男児と1歳4ヶ月の女児だから、機中息子が右往左往するのを想像するには難くない。事実、19日に私が、神戸空港までお迎えに行った際の妻の第一声は、「ほんまにもう十分洗礼受けたわ」だった。息子1人ではどうしていたことだろう。
 以前は、飛行機の中ではひたすら寝ていてくれた孫たちも逆にテンションが上がり、寝ないどころがハッスルモード全開だったようだ。そりゃ、1歳と少しの子に2時間近く「じっとしとき」という方が土台無理な話なのだ。

 しかし、まだ、息子のところの子ども2人だけだった時は、ドタバタしつつも「楽しい」で済んでいた。

 第二陣が襲来してきたのは、12月28日。
 娘のところの4歳1ヶ月女児(拙稿「イケイケ4歳児と悩める母」)と1歳2ヶ月女児が入隊したのだ。
 一定の想定はしていた。「Fちゃん(娘の長女4歳)来たらH君(息子の長男3歳)とどうなるやろなあ」と戦々恐々としていた爺婆だった。
 これには、背景がある。4ヶ月前の8月に妻の退職祝いにと石垣旅行をプレゼントしてくれた子ども達。そこに娘や息子、孫たちも集まったのだがこれが修羅場だったのだ。下の子たちは、まだ直立二足歩行はしていなかったので扱いは楽だったのだが、上の2人は元気いっぱいで肉体的にも精神的にもよくぶつかった。子どもは「人の持っているものが欲しい」と言うことを思い知らされた。



 ところが、蓋を開けてみると、2人は4ヶ月の間に随分と成長していた。石垣のような修羅場はほとんどなかった。
 27日から息子の奥さんが沖縄から来てくれたことも大きい。いろんな動線が劇的に楽になった。ドタバタがドタくらいにはなったように思う。この奥さん、とても段取りがいいのだ。とりわけ、このお嫁さんの来訪によって息子のメンタルが笑うほどわかりやすく回復した。
 石垣島で数々の攻防戦を繰り広げた2人が、とても楽しそうに仲むつまじく遊んでいるではないか。「疑ってごめん」と心の中で手を合わせるじいじだったのだ。

 しかし、一方、しっかり二本足で自由に歩けるように進化していた下の1歳コンビは目が離せない。気をつけていたつもりだが、息子の方のIちゃんには、何度も痛い思いをさせてしまった。開いた扉の前に偶然立っていたとか、ちょっと目を離した隙に階段に挑戦して落ちてしまうとか、外遊びが好きで靴を履いて出た途端「バタっ」となるとか、大きめのスウェットが足にかかって「殿中でござる」よろしく滑ってこけるとか……。ありとあらゆる転倒をしてくれた。

 普段は私たち2人だけの家に、長女、長男、それぞれの子ども2人づつで4人、そこに長女、長男のパートナーも駆けつけてくれたのでMAX10人家族だ。そこに、私たちの父母(孫から見れば曽祖父母)も時折顔を見せていたのでさらに多かった瞬間もある。

 TVで大人数の家族のドキュメンタリーなど見た覚えがある。そこまでは行かないまでも、恐ろしい勢いでご飯とトイレットペーパーがなくなっていった。
「子ども寝かしてから『大人タイム』しよな」
と言っていたが、大人タイムの頃にはもう残量1目盛りほどのバッテリーしかなく、「もう寝るわ」と戦線離脱だった私だ。


 しかし、大変なドタバタやヒヤヒヤ、あっじゃあ〜を味わい、時には深いため息もつくこともあったが、トータルするとゲラゲラワッハッハアやかわいいいい! の方が遥かに多かったと思うのである。


 1月3日に沖縄組が帰り、5日に名古屋組を送っていった。
 妻の用事で6日の朝に奈良に戻らなければならず6日の早朝に娘宅を後にした。 
 妻の用事が終わり、自宅に着いた時の「空虚感」と来たらありゃしない。
 妻と、気がつけば「はあああ」とため息合戦だ。
「こんな抜け殻生活いつまで続くんやろなあ。切り替えやなああ」
と言いつつ、またため息だ。この間、クラブさえ握っていないゴルフはどこへいったのだろう。
「ため息ついたら 楽になるさああ 〜🎵」
と松山千春の歌を口ずさむも一向に楽にならない。


 正月に、息子のお嫁さんが好きだというカニのポーションで蟹しゃぶをした。さらに、鴨鍋を張り込んだり、上等な肉も焼き、おせち料理も奮発した。ご馳走にまみれた贅沢三昧だったのかもしれない。

 でも、一番の贅沢は、この孫孫狂騒曲のドタバタの毎日だったのではないかと抜け殻になった爺さんは思うのである。

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