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ストーム 5

札幌で過ごした大学生活の4年間は、まるでストーム(嵐)のようでした。
寮生活での出来事を中心にサークル活動に没頭した熱くて若かったあの頃を振り返っています。今日で5話目です。


寮生活スタート

 入学式も終わり、履修登録や健康診断など毎日が慌ただしくも、新しい生活が始まるという期待感とともに過ぎていった。
 学生自治会がパワフルに活動していた時代、新入生歓迎行事が連日開催されていた。私は、進んで参加し、憧れのキャンパスライフを謳歌していった。
 自治会行事では「交流」「親睦」という名のもとに「ゲーム」などが企画されいた。その際、女子学生と手をつなぐという場面がしばしばあった。ドキドキしつつもお目当ての子と手をつなぐことができるように祈りつつ参加していたものだ。
 また、サークルの勧誘の嵐に巻き込まれいろいろな先輩に声をかけられ手を引っ張られた。それは、自分が注目されている感があり嬉しいものだったが、勧誘する側が必死なだけであったことは翌年知るところとなる。

 

新入寮生説明会

 そんな中、寮生活においては、「新入寮生説明会」なるものが開催された。
 どんな話が聞けるものかとワクワクしながら会場に向かった。会場と言っても、初日に「はんてん先輩」が出てきた寮務委員の一室である。渉外委員室という大きな部屋だった。
 
 そこで、初めて私以外の新入寮生に出会った。
 私以外に5名いたことを初めて知った。顔ぶれは50年近く経った今もしっかり思い出すことができる。
 まず、「えっ、この人、新入寮生?」と自分の目を疑った方がいた。
 自己紹介を聞いて納得。社会人を経て入学してこられた方だった。当時この大学には特設美術学科と特設音楽学科があり、北海道で唯一の芸術コースを持つ国立大学となっていたのだ。この方は、画家になる夢を持って会社を辞めて入学してこられたのだった。長髪に無精髭という面構えははすでに芸術家のにおいを醸し出していた。。この方は、後に寮に一大騒動を巻き起こす「事件」を持ち込むことになる。(思い出すだけでワクワクする。後で書きます)
 他には、柔道でインターハイ準優勝といういかにもそれらしき体格の方がいた。「私も柔道やってました」とは口が裂けても言えなかった。
 歌舞伎役者のような綺麗な顔立ちをした国語学科の方に、真面目を絵に描いたような心理学科の方、そして、私に最も大きな影響を与え、大学4年間一緒に過ごした時間が一番長かった「小鉄」(サークルネーム)こと林田くんだ。(ちなみに彼とは今年の夏にも会っている。本当に長い付き合いだ)
 世話役の寮務委員は塚田さんという名前だとこの時知った。この日もやっぱり「はんてん」をお召しになっていた。
 いろいろな説明があったが、今でも衝撃だったというか、「へええ、こんなことせなあかんねやあ」とうなったことがあった。

寮歌を覚える

 それは、「新入寮生歓迎コンパ」までに「寮歌」を覚えなければならないことだった。新入寮生で歌わなければならないらしい。
 とにかく、入学するといろんな「コンパ」なる飲み会が開催されていた。当然、寮にもそれはある。それは納得だが、その日までに歌を覚えろとは……。
 「で、誰に教えてもらったらいいのですか」
当然の質問である。小鉄が代表で口を開いてくれた。
「うん、まあ、適当に先輩に教えてもらってええ」
 カセットテープの時代であった。当然、プレーヤーから曲を流してもらえるものと予想した。ラジカセはたいていの学生が持っていた。しかし、寮歌なるものの音源は用意されていなかった。歌詞が書かれた紙をもらっただけである。

 後日、親切な先輩たちに歌を教えてもらうことになるのだが・・・。
 どう説明すれば伝わるのだろう。
 とても、難しい旋律の独特の節回しの歌だった。歴史と伝統を感じさせるものと言えば聞こえはいいが、楽譜があるわけでもなく「口承」で伝わっているらしく、教えてももらう方によって微妙に違っている部分もあった。

 「藻岩の麓 春たけて〜」

 今でも歌が出てくるという自分に驚いた。
 それでも、妙な圧があり、必死で覚えた。私には、先ほど紹介した小鉄くんというとても気のいい同級生(一浪しているので年齢は一つ上)がいたので一緒に練習した。小鉄くんはかなりの「音痴」だったのが逆に良かったのかもしれない。「こいつよりは上手く歌えそう」という安心感を持たせてくれたから。

恐怖の新入寮生歓迎コンパ

 さらに、この新入寮生歓迎コンパなるものが、実は恐怖のサバイバル飲み会であることをふきこまれる。
「覚悟しときや。潰れるまで飲まされるから」
と、いろんな方から伝えられた。急性アルコール中毒で救急車が発動したことも度々あったらしい。「こわああ」しかない。この時代、よくこの手のニュースが流れたいたし、命を落とされた学生さんもいたことも知っていたから。

 まあ、それはそれやろ。自分は酒は飲めるし・・・と高をくくっていた。
 甘かった。酒は苦かったが……。しばらくお酒を見るのも嫌になるくらい飲まされた。ビールがこんなにまずいものだとは思わなかった。(今ではビール無しでは生きていけない私だが)
 潰れても嘔吐してもまだ許されないくらいの飲まされ方だったのだ。
 次々に片手で一升瓶の先の細い部分を握った先輩たちが「んっ んっ」とセルロイド製のコップを「持て」「上げろ」とお出ましになる。「もう、無理です。勘弁してください」と言っても「んっ」「んっ」攻撃は止まらない。
 この辺にしておこう。思い出すだけでしんどくなってきた。
(翌日の私が、どのような状態だったかは予想がつくと思われるので書かないでおこう)

 ちなみに、この時点で、インターハイ準優勝の柔道君は、すでに退寮していた。何でも、柔道部の顧問の先生から「寮にいたら生活が乱れるからすぐに出なさい」という指導を受けたそうだ。おっしゃる通り!
 ついでに言わせてもらうと、新入寮生5人の内、卒業まで寮生だったのはなんとこの私だけである。後の4人はなんだかんだ言いつつ入寮期間に差はあるが、いつの間にか寮を出て別の世界へ羽ばたいていかれたようである。ただ、逆に途中学年から寮に入ってくる学生もいた。
 大親友である小鉄くんも3年生の時に寮を出ていった。
 それでも付き合いはずっと続いたし、寮を出てからも彼は私の部屋によく寝泊まりする「寮生」だった。

 お酒にまつわる話が続いてしまった。
 次回からはそろそろ本題の「嵐」の話にしよう。

                 ストーム6へ続く

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