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ストーム 2



我が子と離れて暮らすということ

 娘や息子はすでに社会人となり、孫も持つ身になった私だが、自身の18歳4月のことを思い起こすと、あの時、父や母はどんな気持ちで私を札幌へ送り出したのだろうかと思う。
 因果応報ではないが、私の愚息は沖縄の大学へ進学した。小学生時代から夏休みに何度か家族旅行をした沖縄の楽しい思い出がよほど印象深かったのか、「僕、大学は沖縄に行きたい」と当時から言っていた。まさか現実のものになろうとは予想していなかった。父親が北海道の大学へ進学していた手前、反対もできなかった。「男はいっぺんは家をでやなあかん」が口癖だったことが、こんなブーメランで返ってくるとは……。
 息子は迷いもあったようだが、合格した数少ない大学の中から最終的に沖縄の公立大学を選んだ。

玄関で動けなくなった妻

 今、思い返しても涙が出そうになるのは、息子の沖縄生活の準備のため夫婦で現地へ行った時のことだ。色々買い物をして家財道具をそろえ、とりあえず生活できるなという状態に整えた。息子が「いらんで、そんなもの」というものまで、妻は時間を稼ぐかのように買い物をした。
 いよいよ奈良へ帰るために息子のアパートを後にしなければならなくなった時、妻は、玄関の前で、動けなくなった。言葉使いとして適切ではないかもしれないが、「地団駄を踏む」という言葉が私の頭に浮かんだ。「帰らなきゃいけないけど、帰れない」という引き裂かれそうな思いが妻にはあったのだろう。
 飛行機の時間が気になった。ここは名護という那覇空港まで2時間近く見ておかないと行けない場所だったのだ。そんな妻を見て、私は、「もしこれで帰りの飛行機に間に合わなくっても妻を責めないておこう」と思った。(実際は、普通に間に合った)

フェリーで北海道へ

 話を戻すが、自分が人の親になって、息子との「別れ」を体験した時、改めて自分の父母の気持ちを考えたのであった。今計算してみた。私が、奈良から札幌へ向かった年から33年が過ぎていた。

 父は、当時後ろにたくさん荷物を乗せることができる「バン」と呼ばれる商用車に乗っていた。奈良から布団をはじめ、日常生活で必要なものを積んで敦賀から小樽行きのフェリーに乗った。32時間だったか。夜に出て、翌々日の早朝に到着するという便だった。
 船の旅はあまり経験もなく楽しみであった。しかし、流石に32時間は長く、大きな船だったので激しい船酔いはないのだが、何ともいえぬ慢性的な酔いは感じていた。あまり心地のいいものでは無かった。2日目の朝にようやく港が見えた時は、とても嬉しくようやく「陸へ上がれるんだ。北海道上陸だ」と心の中で叫んだものだ。

 当時は、カーナビなんていうものはもちろんなかった。父は、運送会社を経営していたような人間だったから車の運転についてはかなりの腕前だったと思う。しかし、地図だけが頼りでそれこそ右も左もわからない。おまけに4月初頭の小樽、札幌はまだ道に雪が積もっている。この日、雪は降っていないのだが、いわゆる「根雪」という状態で早い話が雪道なのである。そんな慣れない道をよく運転できたもんだと思う。タイヤはどうしていたのだろうか。スタッドレスタイヤは無かったと思う。スパイクタイヤとかスノータイヤとか言われていた時代では無かっただろうか。
 高速道路のおじさんに道を尋ねた。独特の訛りがあって話を聞いてもよく聞き取れない。「じぇにばこ、ジェニばこ」と何度も耳にした。「じぇにばこってなんや。お金入れるところの話かな」。後でわかった。銭函(ゼニバコ)という分岐点があったのだ。
 小樽から札幌までは決して近くはない。それでも特にトラブルに巻き込まれることもなく札幌入りしたということは、やはり父は運転がうまかったのだろう。
 札幌は、条と丁で碁盤の目のように区画が整理されている。それはそれでわかりやすいのだが、やたらと一方通行が多く、「あれ、ここ行かれへんやん」という場面が何度かあった。ようやく大学に到着した時は、心底やれやれという気持ちだった。


大変なところへ来た

 大学の正門には守衛所があり、要件を説明すると私が世話になる寮を案内してくれた。北海道といってもここは北海道大学ではない。小さな教員養成系の単科大学なのでキャンパスもそう広くはない。(現在は移転し、大きく立派になっている)寮は正門からまっすく行った大学構内の端っぽにあった。
「紫藻寮」という判読するのがやっとの年季の入った表札を見つけた。そして視線は寮の外観へ移動する。

「大変なところに来た」

と思った。
 古い、ボロい、汚い。本当にここに人が住んでいるのかという気さえした。
 しかし、中に入るとさらに目が点になるような光景ばかりを目にすることになる。

                           ストーム 3へ 続く

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