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ストーム 11

札幌で過ごした大学生活の4年間は、まるでストーム(嵐)のようでした。
寮生活での出来事を中心にサークル活動に没頭した熱くて若かったあの頃を振り返っています。

しばらくお休みしていましたが、復活します。新年にふさわしく11話目となりました。
札幌らしく「雪」にまつわるエピソードをどうぞ。

息ができないほどの吹雪

 札幌での大学生活を始めるにあたり、懸念していたのは、寒さと雪であった。
 受験で訪れたのは3月の中旬だったので、すでに寒さと雪は経験済みだったが、本物の寒さや雪はこんなものではないらしい。先輩から「吹雪の時、道を歩くと息ができない」と聞いた時は、何を大袈裟なと思ったりもしたが、後に決して誇張ではないことを経験した。

 子ども会で子どもたちをスケートに連れて行った帰り道。全員を家まで送り届けて1人でバス停に向かう時だった。吹雪に遭った。前が見えない。自分がまっすく歩いているのかどうかが確認できない。両サイドが大きな溝になっていることは天気のいい日に確認している。そこにハマったら間違いなく凍死だろう。自力で這い上がることができるような深さではない。心の底から「怖い」と思った。
 一歩、一歩ゆっくりと僅かに確認できる視界を頼りに足を運ぶ。時折、暴風が押し寄せ本当に息ができない瞬間を経験した。「助けてくれえ」と心の中で叫ぶ。ここにいるのは、私だけだ。誰も助けには来てくれない。普段は、実践が終わり、今日の総括会議の時はどの店で何を食べようかなとルンルンで帰るバス停までの一本道。300mほどの道だったと記憶しているが、果てしなく遠い道のりに思えた。
 決死の思いで、無事バス停に着いた時は、「助かったああ」と小さな掘立て小屋の中で叫んだものだ。それから、バスが来るまでの時間で凍えたが……。

 

オー・チン・チン物語

 寮の建物は、築云十年で、危険家屋に認定されているほどのものだった。
 今から思えば、まめに雪おろしなどしていたわけではないのに、よく屋根が持ちこたえていたものだと思う。
 夜寝ていると、突然、「ごおおおおおお!」「ドスン」という爆音と振動で目が覚めることがあった。これは、屋根の雪が自然に落下したことを伝えているものだ。初めは、地震かと思い身構えたが、それが雪のせいだと知ると、気にも止めなくなった。
 屋根から自然落下した雪は、一階のガラス窓の上辺の高さまでどんどん積み重なっていった。窓を開けるとそこは、真っ白の天然の冷蔵庫になり、穴を掘って野菜や果物を冷やしていた人もいた。
 当然、寮の出入り口も雪は押し寄せてくる。流石にこの場所に積もると通行不能になるので、この部分についてだけ、誰かがまめに雪かきをしてくれていた。出入り口は小さな「雪の滑り台」のような形状になり、いったん登って降りてから「シャバ」に出たものだ。
 汚い話で申し訳ないが、この出入り口の「滑り台」付近には、幾つもの黄色い穴が空いていた。もう、お分かりだろう。飲んで帰って、部屋に戻る際、トレイに行くのが面倒なので、ここで用を足す寮生が多かったのである。時には、誰かの名前を描こうとして力尽きたような「作品」もあった。ダーク・ダックスが歌っていた「オー・チン・チン」の世界である。


雪下ろしでジャンプ大会

 TVでは、雪おろしの際の事故についての報道を見聞きするが、私の経験した雪下ろしは全くもって危険なものではなかった。もはや、雪おろしとは言ってはいけないレベルだと思う。
 
「只今より、雪おろしを行いますので、参加できる寮生は集合してください」
寮内放送が入る。
 私が、経験した雪おろしは極めてのどかなものだった。雪が一階の高さまで積もっているので、屋根に上がるのも高いところに行くという感覚はあまりなかった。雪かき用のプラスティック製の道具で屋根の雪を下ろしていくのだが、雪と一緒に体も落ちていくこともしばしばあった。それでも、すぐに着地するくらいの高さに雪が積もっているので怪我をすることもない。しばらくすると、わざと落ちてジャンプ大会のような体になっていくのもよく見られた光景だった。


パワフル石油ストーブ

 寒さについてはどうだろう。
 街中を歩いていて、どこかの銀行が現在の気温を電光掲示板で伝えてくれているのを目にすることがあった。昼間でも−3℃とか、−5℃とか表示されている。でも、体感はそんなに寒いかなあという感じだった。寒さに慣れていたのかもしれないが、それなりの服装をしているのでよほどの風でも吹かない限り寒さを感じることはなかったのだろう。私の実家の冬の朝の方が体感は寒かったと思ったくらいだ。
 さらに、札幌で暮らしているときの部屋の暖房は強烈で、部屋の中だったら短パンでも過ごせるくらいのストーブのパワーがあった。大きな石油ストーブが設置されていたのだ。部屋に入った時は 確かに寒いが、スイッチを入れ、マッチをポンと放り込むとすぐに火がつき、ものの5分とたたないうちに寒さを忘れさせてくれた。


一瞬でレゲエ兄さん

 寮にも風呂はあったが、入浴可能時刻が早く、私が利用できる時間帯には入ることが難しかった。したがって、風呂には、「銭湯」を利用することになる。
 寮の隣に銭湯があった。北海道の方は、銭湯好きが多いと聞く。家に風呂があっても銭湯に来られる方も結構いるらしい。私が、通っていた銭湯にも学生以外の客がたくさんいた。覚えているのは、銭湯の入り口の前に、よくベンツが停まっていたことだ。ベンツに乗るような人が銭湯に来るんだと当時は思っていたが、どんな方だったのかはわからない。
 冬に銭湯から出てくると、水気を含んだ髪の毛が一瞬で凍る。頭を振ると「シャラシャラ」と音がする。レゲエのミュージシャンが編み込みをしているような髪方になり、ボブ・マーリーの真似事などしたものだ。ついでに言わせてもらうと「鼻毛」も凍る。鼻で息をするとスースーして気持ちが良かった。レゲエの髪型で鼻毛を凍らせながら、勢いをつけて走り、凍った道をアイスケートのように滑って寮まで帰った道が懐かしい。


 まあ、こんな風に書いていると、「お前は、本当の北海道の厳しさを知らない」と言われそうだが、寒くて大変という経験は、冒頭に紹介した吹雪の経験くらいで数えるほどしかなかったように思う。
 寒さも雪も青春の1ページを美しい銀世界のままで飾ってくれている。

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