【R3.9.16】アメリカ同時多発テロのときにアメリカにいた
グローバルなタイトルですが、今、ぐーーーーっと地図上をクローズアップして見える「自治会」ではコロナ禍でどのように会議や行事を進めていくか、未だに状況も情報も刻々と変化するものだから、悩んでいる日々です。
先日は、同時多発テロから20年でした。
写真は同じ頃の私の学生時代のもので、先生(左の女性)とクラスメートです。 アメリカのボストンにある大学で、イスラム芸術と建築を学ぶクラスの夏季特別授業中、イスラム教徒のモスク(礼拝堂)改築に伴い、表札のように配置されるタイルのデザインと制作を任されて作っているところです。
この左側で電話をしているムスリムの先生は、テロ後に
「先入観のメガネを外す。そうしてから、人や物事を見て!」
とよく言うようになりました。
イスラム建築のタイルアートは、途方もない緻密なデザイン画が施されています。 テロ直後のアメリカではイスラム教徒が襲われたり、そうした建築美を誇る礼拝堂が破壊されたりするニュースを聞きました。
無知な学生の私から見えるボストンは、英知が集結しているようなハイソな自負を市民が感じている場所で、表立っての差別には寧ろ批判的な様子でした。
テロは私にとって「情報を鵜呑みにしてはいけない」「国のトップによって国民の運命がこうも変わるのだ」 という発見でした。
その日、そのときは朝だったので家にいました。 学校に行く準備を2階の部屋していると、1階からアメリカ人の大家夫婦が血相を変えて駆け込んできました。 「大変なことになった。学校どころじゃない。きっと休みになる。」と言って、隣のルームメイトの部屋に誘われ、そこでテレビを付けました。 (その部屋にしかテレビが無かった。)
ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだという話でテレビを見ていると、次々と別の建物にも飛行機が突っ込んで、その度に大家妻は泣きそうな悲鳴を上げていて、「これは私の人生で一番大きな事件だ、絶対にそうなる!」などと言っていました。 普段、冗談ばかり言っている大家夫は黙りこくっていました。 ビルから飛び降りる人までテレビに映り、あまりの事態に、その後は二人でテレビを凝視でした。 私はいたたまれず一人で外出しました。
その日は曇り空。 街中心地の方では黒い軍用ヘリコプターが、大きな黒い蜂たちが群がってビル群を覗き込むように飛んでいて物々しい雰囲気でした。 自分のほか、住宅街を歩いている人はいませんでした。
個人店の入口に店主が見えたので「ハロー」と声をかけてみると、店先のテレビに齧り付いているところでした。 「大変なことになったね。 このボストンから出発した飛行機が突っ込んだんだ。 ボストン市民が沢山、亡くなったということだ。」ととても暗い顔で、ほとんどテレビを見たままですが話してくれました。 住宅街、街全体が暗く沈んでいたかのよう。
学校は街中心地の方だったので行くのを辞めましたが、やはりその日だけは休校になっていました。
戦争開始が早すぎる。まるで、筋書きが出来ているかのように。
それからしばらく、ラジオ(CNN)では、いかに機内の乗客がハイジャック犯に立ち向かって勇敢だったか、地上の消防士達がヒーローだったかに加え、ブッシュが次第に犯人を追い詰めて、交渉して・・・と血気盛んに進めている様子を伝えていました。 今思うと、誠にアメリカらしく、誰にでも分かり易い正義と悪が明確になったストーリー性がありました。 テロに関する話の挿入歌として、エンリケ・イグレシアスの「Hero(ヒーロー)」Enrique Iglesias – Hero (Official Music Video) – YouTube)が毎日のように象徴的に流れていました。
大家妻も、様々な批評家・専門家達の話をラジオで一生懸命聴いて、「消防士だけじゃない!女性だ!今の状況を支えている女性達にも賞賛を!と、ラジオ会社に電話する!!」と息巻いていました。
学校はすぐに通常通り再開していました。 ただ、教室で輪になって座り、各々がどう感じたか、どう思ったか、今後の予想は・・・を考え、話し合うクラスがありました。 それ以外は、なるべく日常を過ごしていたと思います。
差別的な、「移民政策が間違っている」「イスラム教徒が怪しい」などという意見は皆無でした。 「恐ろしく涙が出た」とか、「どうしてこんなことが起こるか分からない」など、率直な感想があった印象です。 私はニュースで聞くような報復なんかよりも、アメリカ人のショックを癒す方が先みたい・・・と思っていました。
それが、なんとテロから1カ月も経たないうちに、ブッシュが交渉決裂を発表・英断を下すかのような戦争宣言をしました。 そして高揚した世論も、その宣言を大いに歓迎している?と思われる報道、新聞。
そのときは言葉に出来なかったけど、その自衛隊の武力行使を決めてしまうスピード感に驚いていました。 武力行使が憲法で禁止されている日本にいると、報復戦争なんて倫理的にありえません。 でもそこはアメリカでした。