あの頃の韻を踏み
ここ最近の旅には「甘え」があった。
社会人になって早10年が経とうとしている、様々な交通機関を乗り比べて行く旅に学生時代の貧乏旅行の面影はすっかり薄れてしまった。なるほど便利になったのは良いのだが時にはかつての感覚を思い出すべきだろう、今だからこそ思い切り安上がりな旅行をしてみるのも良いはずだ。そうしてこの夏、青春18きっぷを手にしたのだった。
そう、ここまで2回青春18きっぷで乗り鉄してきたのはいわば前振り、いよいよ夏本番がやってきた。
ひたすら西へ、西へ
早朝の常磐線で上野駅に到着しここで讃岐うどんの朝食、安い値段でしっかり食べることができる駅の麺はいつになってもありがたいものだ。ここから上野東京ラインで一気に熱海に向かう。学生時代にはこの直通列車はまだ無く東京駅まで山手線か京浜東北線に乗っていたものだ、乗換えの手間が省けて時間を読みやすくなったというメリットが大きいが早めに行っておけばほぼ確実に座れるというポイントは失われた。
モハE231-1081、12号車を選んだのはこれから熱海までゆったり座っていくため。日々の通勤でも乗るような「いつもの電車」でも旅行のために乗るとどうしてここまで心躍るのだろう、甲高いモータ音がはやる心をますます盛り上げてくれる。
終着間際の湯河原駅、珍客がいた。役目を終えたE217系がここで最期の休息の時を過ごしていた。51編成(基本編成)がいたこの車両も既に稼働している編成は10編成を切っており、いよいよ姿を消す日が近付いている。普段乗る電車としてはE235系の方が確かに魅力的だが、幼少期に憧れた「未来の快速電車」がこうして引退していく様子には一抹の寂しさを禁じ得ない。
終点の熱海駅では伊豆急行に転じた元209系の出迎えを受けて浜松行きの315系に乗り込む。伊豆急行もご無沙汰している路線だし、いずれ伊豆諸島方面の船なども併せて乗ってみたい。行くならやはり「サフィール踊り子」に乗ってみるべきだろうか…
さて、この静岡県内は関東と関西を行き来する場合距離が特に長く時間もかかるのだが、特に青春18きっぷシーズンだと通しで乗るような人も多く混雑する。車窓を見るのも一苦労だが、かと言ってスマホなど取り出してSNSなんぞにうつつを抜かそうものならあっという間にバッテリーが無くなってしまうことだろう。現代の旅行でスマホは生命線だ、バッテリー管理は体調管理に匹敵する重要性がある。
そのようなときは読書に限る、電源を求めず時間をたっぷり掛けることが出来るこの行為は実に旅行と相性がいい。今回のこの旅行では雑誌4冊に新書1冊持参して読破することができた、集中して読むことができる機会は実にありがたい。しかも長距離乗車が多いとひたすら東京近郊の路線に乗る場合と比べても中断する機会も減って効率がいい。そんなわけで今や旅行に読書は欠かせないのだが、行程に飛行機利用が入ると重量の観点から要注意になるし長時間同じ席にいることも減る。本を読むなら列車かフェリーということか。
2時間半の長旅を終えて浜松駅、比較的最近までこの地区の普通列車は熱海ー島田と興津ー浜松というような互い違いになるような運行形態だったが、最近は熱海ー浜松と興津ー島田という大運転+小運転が基本のようだ。利用が多いのは興津ー島田の静岡市エリアということになるので遠距離利用者と短距離利用者の分離が期待できるということだろうか。
ここからはショートリリーフの豊橋行きの313系、転換クロスシートの車両が来るといよいよ中京圏に入ってきたと感じる。ムーンライトながらを末裔とした長距離普通列車が無くなった一方、地元の普通列車が少しずつ姿を変えて行く中に地域を感じられるのが現代の東海道本線の面白いところといえよう。浜名湖を渡ってしばらく走ると豊橋に到着する。
豊橋駅は普段短い時間で大垣・米原への快速電車に乗り継ぐものだが、今回は少し勝手が違った。というのも車両点検で乗り継ぐ予定の大垣行き快速が運休になってしまったとのことで名古屋まで先行して昼食…のつもりが次の米原行きに乗ることになってしまう。急いできしめんを啜り米原行きの電車に乗り込む、しばらく立っていたが期待通り名古屋で座れてそのまま関ヶ原に向かっていく。そういえばここは垂井経由の旧線だったか…こころなしか速度は遅く、ジョイントを刻む音が響く車内はこれまでと異なる雰囲気で東海道本線ではないかのような気分。
米原駅、関西急電以来のカラーを纏った電車を見るといよいよ西に来たという思いを新たにする。313系はバージョンこそ違えど国府津で停まっている姿を頻繁に見るためそこまで見たときに驚きは無いのだが、223系や225系となるとさすがに別格のものを感じる。乗車するは新快速の播州赤穂行き、滋賀県の東部から京都、大阪を経て兵庫の西にまで走り抜ける壮大なスケールは感慨深い。地元の上野東京ラインも熱海発宇都宮or高崎行きとなると似たような感じではあるが…
運良くすぐに窓際席を押さえて暗くなっていく関西を旅する。この時間から京都や大阪に向かう人はおそらく少ないのだろう、比較的車内には余裕がある雰囲気。正直なところこの区間はずっと読書に専念しており、はっきり車窓を眺めたのは神戸も過ぎてからの明石海峡大橋だけだった。まだ橋を渡ったことのない明石海峡大橋、そもそも渡る日が来るのだろうかなどと思いくぐり抜ける。姫路で後ろ側の4両を切り離して8両のみのいくらか身軽な出で立ちになって終点の播州赤穂に滑り込む。モハ224-122、すっかり日常の存在となった225系100番台だ。
ここからは黄色い国鉄型で岡山に、今日は播州赤穂から岡山のみの乗車だが今後この旅行ではたっぷりお世話になる。懐かしい音を奏でる電車で旅しているが、岡山地域には最新の227系が投入中となっており数年内に置換えられる見込みだ。この赤穂線は相生から岡山まで海沿いに走る山陽本線のバイパス、青春18きっぷシーズンでも山陽本線に比べて混雑しないが播州赤穂での乗り換え必須で速度は遅い。とはいえ日生駅付近で見える海の景色が美しく、選択肢として常に候補に入れておきたい路線だ(今日は夜遅くなので何も見えないが…)。1時間ほどで夜の岡山駅に到着、ここから遂に今日最後の電車に乗る。
ここからは快速「マリンライナー」で高松に、かつての宇高連絡船の跡を継ぐ列車であり「海を渡る」列車だが車内は想像以上に日常の舞台となっている。岡山で遊んできた人達が帰るための電車といった雰囲気だ。静かな車内にモータ音が響き渡り、気が付いたら瀬戸大橋に入っていた。
高松駅はかつての宇高連絡船の発着港にして四国の玄関口、現在でもマリンライナーをはじめうずしお、いしづちといった特急列車が多数発着するほかサンライズ瀬戸やしまんともやって来る。しまんとが走らない時間帯は快速サンポート南風リレー号に乗って多度津乗り継ぎだ。そんな重要な駅だけに駅ビルを整備し鉄道外事業にも力を入れている。何しろJR四国は沿線の人口が限られており、沿線に政令指定都市が存在しない。特急列車は本数が多くきめ細かな運行で利便性は悪くないのだが、道路交通法に比べて明確な優位性を確立出来ていない。企業として生き残るため、地域の公共交通機関を守り抜くために是非とも鉄道外事業で稼がねばならない事情があるわけだ。
ここで今日の列車利用は終了し、ひとまず汗を流すため銭湯に。狙っていた銭湯が臨時休業だったが別のところに行って無事に入浴し、高松駅に戻ってバス停に向かう。
ここからは高松東港へのバスでジャンボフェリー、1時発の深夜便で神戸に向かう。この手のバスというとそこまで混まないものかなどとタカをくくっていたら驚くべきことにバスは満員、早いうちにバス停に来ていたので難なく座れたがバス1台に乗り切れるかどうかという人数にまで増えるのはなかなか驚き。
しかも乗客は比較的若年層が目立ち、これから関西に遊びに行くというような女性客もいたのは他のフェリーとは大きく異なる印象だ。とはいえ深夜1時発で5時着、自由席だと桟敷席あるいはファミレスのようなボックス席なので海の上を行く高速バスと考えたほうが近いかもしれない。そうなるとこの年齢層にも納得がいく。
出港30分前の0時半に乗船開始、乗り込むのは2022年に就航し公式で新船を謳う「あおい」だ。こういった中距離程度のフェリーで新しい船であることの魅力は何と言ってもコンセントが充実していて、スマートデバイスの運用に困らないこと。このあおいは自由席・プレミア席とも全席にコンセントが完備されており、通常のスマートフォン等を使用する範囲で困ることはないだろう。ただし個室と共用部以外での撮影は原則禁止である、乗船時に個人用・Web配信用等で撮影される際にはご注意されたし。また、深夜便に限らず21時以降は個室を除く客室内での会話も禁止とされている。まあ筆者のような1人旅でなら特に気にすることもないが…
ジャンボフェリー名物といえばうどんカウンター、こんな深夜に様々なメニューから選んで食べられるという他で出来ない経験も乙なものだ。あと単純にここまで食事に時間を取りにくかったという実用上の理由もあるが…
深夜なのでこのあっさりしたうどんとレモネードとしたが、他にも様々なメニューがある。これは日中便にも乗って色々試してみたいところだ。そんな食事を終え、しばしの睡眠時間となる。
瀬戸内を走り抜け
目が覚めるとあと40分ばかしで神戸港、美しい朝焼けに迎えられての到着となる。もうしばらく前には明石海峡大橋もくぐったはずだがまだ寝ていた中で気付く余地もなく、これはこの後にお預けとなる。光に魅せられてしばしの散策となった。
しばらく歩いていると船内放送が流れて、そしてジャンボフェリーのテーマ曲が流れる。これが流れると船内は一気に下船ムードとなりにわかに慌ただしくなってきた。荷物をまとめて下船口に、そして時間通りに神戸に到着した。三ノ宮駅まで距離的には十分歩けそうだが早朝の港付近となると勝手が分からないのはいささかリスキーか、ということでバス乗り場に向かっていく。
ここからはひたすら普通列車で西に行く…のだが突然の出会い、外国人男性に英語で話しかけられた。話を聞いてみると道案内を頼むもので途中まで同じ経路になりそうだ。しどろもどろの英会話を駆使しつつ旅は道連れ世は情け、ついに乗換駅で窓口の駅員さんに引き継ぎお役御免となった。願わくば彼の旅が実り多きものになったことを。
ということでここから再び自身の旅に専念、朝食には姫路駅の駅そば「まねき」をチョイス。第二次大戦後の混乱期に腹を満たす方法をと創り出された中華麺と和風だしの組み合わせがなんとも不思議なような、そして魅力的なそばだ。横で乗り換えの人々が慌ただしく動いている様子を見ながら啜り込むとなんとも元気が出てくるような気がするから駅の立ち食い麺は魅力的なものだ。ここからは再び黄色い国鉄型電車で昨日とは異なり山の中の山陽本線を走っていくのだが、慣れない案内をし続けた故かあるいはフェリーから降りたばかりからなのか、網干付近で意識が溶けていき気がついたら岡山駅はすぐそばだった。
約1時間半の旅を終えて岡山駅、ここから三原行きの電車を待つ。最新の227系"Urara"は今回はお預け、しかしラストが迫っている国鉄型でMT54サウンドを聴きながら旅するのもたまらない魅力がある。しばらくは海からいくらか距離があるようなところを走っていく山陽本線だが、尾道が近づいてきたあたりから車窓には海が見えてくるようになり瀬戸内のたおやかな海が眩しい。電車で走っているだけでもあの島影の中を縫うように走るフェリーたちが恋しくなる。次の旅はそんな島々を航る船に出逢うのも良いかもしれない、と物思いにふけっていると糸崎駅に到着。終点三原まではあと一息の場所だが、ここから次の岩国行きが出発する。駅近くにコンビニもあり意外と便利な乗換駅だ。
ここからの岩国行きがやってきた、デビューから5年以上が経ちすっかりおなじみの電車となった227系"Red Wing"のクロスシートに腰を下ろすとちょうど三原止まりの電車がやってきた。岡山方面からの電車なのでてっきり115系あるいは113系かと思っていたら広島の227系。不思議に思ったがこの電車は福山発、なるほど確かに広島の電車というわけだ。
そんな広島を越えてついに山口県は岩国市、ここから西の端の下関までは直通の電車で3時間半近い長旅になる。岩国駅前のコンビニで昼食と飲み物を確保して備える。本を読む時間もたっぷり確保できそうだが岩国からしばらくして柳井までは海沿いを走る車窓がとても魅力的な区間、ガラガラの車内でMT54の唸りを聴きながら海を眺めつつ昼食、普通列車旅の贅沢とはこういうところにあるのかもしれない。そんな海が見える区間の途中にある大畠駅からは昔国鉄(終戦直後までは山口県営)の連絡船があり、向かい側の周防大島までを結んでいた。そこでふと目に入ってきた1隻のフェリー、AISアプリで見てみると柳井と松山を結ぶフェリーらしい。困ったことだ、また乗ってみたい航路が増えてしまった。
新山口で10分停車、ここを通過する日常利用客はそこまで多くはないだろう。ホームに出て一休み…といってもこの残暑厳しい中では車内で休んでいたほうが体が休まるのは困ったものだ。それでも気分的には一旦外に出てみたくもなる。
少しずつ日が陰ってきたところでこの長旅も終りを迎え、いよいよ下関に到着する。乗ってきた電車はこれまでとは全く異なる小月行きの短距離電車として折り返すようだ。ここからはいよいよJR九州のテリトリーになる。常磐線ユーザとしては懐かしの電車が今でも現役で走り続ける関門トンネル、そこのヌシといえる415系1500番台でトンネルをくぐり抜けて車内が少しの間真っ暗になる「儀式」を済ませればそこは北九州市。いよいよ福岡県までやってきた。
北九州市の代表的な駅、小倉駅。ここから日豊本線の普通列車に乗って今度は南に向かっていく。もっと時間があればここでうどんを啜り込んで福岡を体感したかったのだが、それには残念ながら少しだけ時間が足りない。大人しく中津行きの813系に乗り込む。しかしこの813系、ラッシュ輸送で必要だからとはいえ座席数が少ないのは困りものだ。もっとも813系全体でロングシートに改修されつつあるとのことでこの奇異な車内もあっという間に思い出になってしまうことだろう。
中津に到着、ここまでの区間は比較的普通列車の本数が多かったが国東半島の付け根を通り別府に至るこの区間は日豊本線北部の中では普通列車がかなり限られている。厳密に言えば宇佐-中山香だが、特急ソニックを使ってワープする場合には中津から別府(あるいは杵築)というような利用になるのだろう。もっとも日豊本線全体で見る場合の佐伯-延岡に比べればわりあい本数はあるわけではあるが。
筆者個人としてはこの区間を普通列車で乗るのは初めてだった。初めてこの区間を通ったときは青春18きっぷを使ってここまで来たにも関わらず大分まで確実に着くことを優先して特急ソニック、その後何度か通ったが全て特急列車によるものだった。車両はロングシートの815系、1両あたり乗客は数人程度なのでお互いに自由に座っているといった印象だ。しばらくうたた寝して杵築に気付き、交換する特急列車を何するまでもなく見届ける。この旅行の特徴は移動時間の長さで、何しろ宿泊すらもフェリーにするくらいだ。1箇所にとどまるのは2時間にも満たないとなると自分の足で地面を踏んでいるより列車や船に揺られている時間のほうが遥かに長い。そんなことを1日半も続けていたら何やら感覚も浮世離れしてしまうのだろう。
いよいよ今日の目的地である別府に到着、なんとも陽気なように見える銅像を横目に熱い手湯に触れて色々すり減った感覚を取り戻すかのようにしてから垢を流しに銭湯に。今日の銭湯はモダンなデザインが味わい深い駅前高等温泉で「ぬる湯」をチョイス。ところがこの温泉、「あつ湯」「ぬる湯」とドアに明記されているにも関わらず実際には表記と反対になっているので注意。といってもこれはこの温泉に何か非があるのではなく近隣のホテル工事の関係で逆転してしまったのだとか。番台の扉を開けると脱衣場、そして仕切りも何もなくすぐ目の前に階段を降りて浴場があるという構成に面食らったのだが温泉はやっぱりなんとも気持ちが良いもの。充実した安らぎのひとときとなった。
ちなみに帰り際になぜ「高等」という温泉とそこまで縁の深くなさそうな名前が冠されているのかを訊いてみたのだが、番台のおじいさんでもあまり存じないとのこと。ただもともと医療関係の施設だったそうなのでもしかしたらそれが関係しているのではないかという話だった。予約すれば宿泊も出来るようなので別府を訪れた際には是非つかってみるのはどうだろうか。
とはいえ筆者はここの宿泊ではない、しかも今晩の「宿泊先」もまた門限が厳しいところだ。足早にそこに向かい、しばらくぶりの建物に足を踏み入れる。今晩お世話になるのは宇和島運輸フェリー、昨年末以来の利用だが今度は逆コースだ。別府出港が23時50分で八幡浜への到着は翌未明の2時35分、そんな時間に港に行ってどうするんだとなるところだがそれから約3時間後の5時30分まで船内休憩が出来る。そして八幡浜発の松山行きが5時42分、時間いっぱいまで船内にいると間に合うか危ないラインだが5時過ぎくらいに出れば余裕を持って乗り換えができるのでこれもかなり時間を有効に使える。
昨年末は船を降りて足早(そんなに急ぐほどでもなかったのだが…)にタクシー乗り場に向かったのだが今回は少しばかり色々見て回ることができる。全体として年季が入ったような掲示が多く、今はなき航路がいくつも記載されている地図には旅情をそそられる。また旅行カウンターにはレトロなイラストに加えて「全日空・東亜航空・日航」とある航空券案内、これには度肝を抜かれた。東亜航空と日本国内航空が合併して東亜国内航空になったのが1971年、もっとも限りのあるスペースなので便宜的に旧称を使っていたのだろうと好意的に解釈しても1988年には日本エアシステムになっている。一体いつから使っているのだろう…
乗船は出港20分前の23時30分から始まり船は「あかつき丸」である、前回と同じ船なのも当然のことで、この深夜便の折返しこそが前回お世話になった早朝の別府行きなのである。前日のジャンボフェリーとは異なりだいぶ余裕のある乗船者数なので乗船口もだいぶのんびりした空気が漂っている。船内休憩可能な区画は最初から指定されており、その指示に従って2階前部の桟敷区画に収まりコンセントを探す。幸い1区画2人程度の乗客しかいないので備え付けのコンセントだけで十分な程度だったので一安心、青春18きっぷを使った旅の場合道中の電源確保はきっちり考えておかないとなかなか辛いことになりかねないだけに目論見通りとはいえ充電が始まるとやはりホッとする。少し寝る時間が早いとはいえ翌朝もやはり5時頃に起きなければならない、しかも神戸近郊の本数が多い区間ではなく八幡浜となると乗り遅れは即その後特急でワープでもしなければならなくなる重大なトラブルになるのでしばらくデッキで周りを見回したらすぐに寝てしまった。
観察・判断・決定・行動
最終日の朝は美しい朝焼けの八幡浜駅、ここから旅を始める。今日の予定はひたすら普通列車で東を目指して22時前の静岡駅から新幹線で東京駅までワープ、その後はいつも乗り慣れた常磐線で終電迫る地元に帰るというものだ。今日もハードだが楽しいはずの予定が始まる。
ちなみに新幹線のきっぷはまだ買っていない、これもどうせEXアプリだから後で買えばいいか。
まずここから松山に向かう、予讃線の普通列車でキハ54とキハ32の2両編成、しかもてっきりワンマン運転だとばかり思っていたらこの列車はツーマンのようで後ろの車両にも乗れるのがありがたい。とはいえ車内の乗客はせいぜい数人、輸送力としてここでは過剰なように見える。
ところがどっこい、確かに八幡浜ではガラガラだ。しかし普通列車の松山行きであることを忘れてはいけない。それも伊予長浜経由、通称「愛ある伊予灘線」の始発列車で終点の松山には7時38分着。つまりこの列車は沿線高校生の通学用列車という重要な役割を仰せつかっている。
30分後に内子線経由の松山行き(終着松山では時間差は15分に縮んでいる)がある伊予大洲まではほとんど乗車もなく進んでいったが愛ある伊予灘線区間に入ると駅ごとに制服姿の高校生がどんどん乗り込んでいく。ここでは次の列車は50分後で、松山着は8時半近くになってしまう。JR松山駅は市街地中心部からいくらか離れていることを考えるとそれでは遅刻になってしまうのだろう、この列車の使命はだいぶ重大なようだ。
有名な下灘駅を通って隣の伊予上灘駅、ここで列車交換のためしばらく停車するとアナウンスが流れる。終点までそこまで長くないのだしせっかくならとここまで温めてきた座席を投げ出して交換列車を見にホームに躍り出てしまうことこそ鉄道ファンの哀しき性なのか、やってきた列車は予想もしていなかったキハ185系ではないか。
この列車は愛ある伊予灘線の下り1番列車で3時間半弱をかけて宇和島に向かう実に珍しい列車だ。もともと特急用として生まれたキハ185系だが、こうして普通列車として運用されている車両もいるのである。いわゆる乗り得列車ということになるのだが、なんとも興味深い。
もはや東京圏の通勤電車のような満員状態で終点の松山着、多くは改札口に向かい彼等彼女等の学校に向かっていったのだろうが更に普通列車を乗り継いで伊予北条方面に向かうであろう学生がいたのは意外だった。確かに7時半過ぎ松山着なので、そこから北に向かうのもいくらかは余裕があるからということか。
そんな松山駅はいよいよ高架化が間近に迫り今しか見られない光景になっている。新しい駅への入口が現在線路になっているところにも見えるのだが、さてどうするのだろう…
2両編成の普通列車伊予西条行きであるが、後ろ側の車両は伊予北条で切り離されてしまう。とはいえ前側にもそこまでに降りるような人もいるだろうし、そうであれば今空いている伊予北条切り離しの車両のほうが空いていて気楽かと後ろ側の車両の座席に腰を下ろす。先程までと比べて大幅に人数は減ったもののそれなりに通学の高校生が乗車した電車は松山駅を発車し、予讃線を北上する。果たして予想通りに伊予北条で高校生が大部分下車し、単行となる伊予西条までもなんなく席を確保することが出来た。
松山から伊予北条まで2両で走ってきた電車は1両切り離し、引き続き伊予西条まで走っていく。一方切り離された車両はというとその場で折返し松山行きの普通列車に変わっていま来た道を折返していくのである。機動性に優れた7000系ならではの運用形態と言えるだろう。
そして切り離し作業をしている間に上下の特急列車が交換していく。高松方面に先を急ぎたいならこれに乗ってくださいということになる、また高松方面から伊予北条-松山の各駅を使いたい場合も特急を降りて目の前の普通列車に乗ればいいのでこれも親切だ。あえて難点を探し出すとすれば普通列車は正反対の方向に向かうものが前後に停まっているのでそれを間違えると大変ということか。
ここからはひたすら東に走っていき、そして伊予西条に滑り込む。
伊予西条からは7200系の2両編成による普通高松行き…なのだがJR四国のワンマン運転だと2両編成では前側の車両しか客扱いしないので1両しか乗ることが出来ない。といっても2両でなければ困るほどの乗客がいるわけでもなく座席にゆったり座って予讃線の旅を続ける。新居浜、川之江と通っていき香川県最初の駅は箕浦駅。そこから2駅で観音寺駅に着き、20分ほど停車。
この観音寺は鉄道としては予讃線における県境の主要駅という役割がある駅だが、個人的にも少しばかり思い入れがある。最近あまり来られなかったのだがメディアミックス作品「結城友奈は勇者である」の舞台となったこの街には何度か訪れたことがあり、穏やかながら深い魅力がある街と感じていた。
最近は通りはすれども日程の都合上なかなか来られなかったのでなにやらご無沙汰故に気まずいような気分に勝手になっている親戚の家のような気分になっていたので川之江駅を過ぎたあたりからどうにも心そわそわ、そして20分しかいられないのだから駅前を少し歩く程度とはいえ再訪出来ることが嬉しかった。駅の土産物屋でちょっとしたおみやげを買って普通列車改めサンポート南風リレー号となった高松行きで引き続き旅立つ、またね。
多度津で南風号との接続を行ってから近代的な高架線をしばらく走って着くのは坂出駅。ここまで各駅停車だったこの列車はここから快速運転となり終着の高松駅に向かう。一方こちらは快速マリンライナーで本州に、そういえば明るい時間に瀬戸大橋を岡山に向かうのはこれが初めてだ。
最初に瀬戸大橋を渡ったのは数年前の朝のマリンライナー、これで岡山から坂出に向かった。ところがその後四国内の空港コンプリートやフェリーに乗るのを優先して次に瀬戸大橋を渡ったときは日もとっぷり暮れた後の特急しおかぜ、これでは外は何も見えない。そして直前は一昨日夜のマリンライナーなのでこれも真っ暗。というわけで明るい時間に岡山に向かうのはこれが初、と。ついでに坂出側は上下とも乗ったのだから、今度は岡山から宇多津方面の列車に乗れば坂出方面・宇多津方面とも上下コンプリートとなる。今度やってみようか。
相変わらずマリンライナーは速い、あっという間に岡山に到着した。ところがここで少し困ったことがあり、ここからアーバンネットワークが早朝のトラブル以来大きく遅れているという。こういう時乗り鉄としては同じ「遅れ」でも時間が遅れているだけで列車が流れている場合とそもそも流れ自体が滞っているのかで判断が大きく変わってくる。
こういう状況で本当に役に立つのが運行状況アプリ、しかもJR西日本の場合(ミームネタになっているのは御愛嬌として)WESTERというなかなかわかりやすいアプリがあるのでこれで状況を確認する。軒並み1時間以上の遅れがあるのでこの数字がどう変わっていくのかというところで乗換駅の相生までに判断しようと決めた。
ところがその相生に着く前に本格的に巻き込まれてしまった。スーパーはくとの遅れに影響されたのだろうか、上郡駅に到着する直前で10分近く足止めを食らってしまった。この先の新快速の遅れもまだまだかなりのもののようでしかも姫路から先の様子を見るに駅間の列車もだいぶ少なく正直ここから普通列車の旅を続けるのはかなりの勇気が求められる状況。これでは新快速が走っているからと乗り込んだら遅れに巻き込まれて最悪の場合帰れなくなってしまうかもしれない。
さてどうしようか、今の状況を整理するとこうなる。
・乗車している列車自体に遅延が発生しており相生で乗り換える赤穂線からの列車への接続も不透明(→姫路到着すら確実性に劣る)
・この先のアーバンネットワーク全体で大きな遅延があり、所要時間は通常よりかなり掛かってもおかしくない
・今後のスケジュールは定時運転を前提としているが、新幹線ワープ区間を長く取ることで十分対応自体は可能
・予備的に時刻表を確認した所遅れを加味しても「静岡ひかり」に乗車できる見込み
総合的に考えると「ワープ区間を大幅に変更し、相生から普通列車で乗り継ぐ『デッドライン』に間に合うところまで新幹線に乗る」という結論に至った。そうと決まれば速いもので概ね『デッドライン』は名古屋あたりだろうかと当たりをつけて問題ないことを確認しEXアプリでこの区間のきっぷを購入、相生に着くが早いか周りの普通列車を乗り継ぐ人々と全く異なる方向に向かって新幹線に乗り込む。車両はだいぶ見る機会の増えてきたN700Sだった。
京都で車内確認とのことで5分遅れたが名古屋では3分程度の遅れにまで取り返すことができて、十分な余裕を持って在来線ホームにたどり着けた。こういったときの新幹線の安心感はさすがとしか言いようがない、夕食のきしめんを啜る時間をも与えてくれた。
ここからは帰宅ラッシュの快速電車で豊橋まで向かう。流石にしばらくは通路に立つ他無かったが大府で多くの人が降りた際に座席を確保、あとは313系の中でも最も設備が充実した(?)5000番台の快適な揺れに身を任せる。いよいよこの旅最後の夕日が落ちていく、ここから更に静岡県を横断して千葉まで帰るのだから実はまだまだ暗い中を進んでいくのだが。
そこからは静岡と浜松で乗り継ぎ、どちらも政令指定都市というだけのことはあり満員電車だ。とはいえ段々と乗客は少なくなっていき、すっかりガラガラになったところで丹那トンネルをくぐって熱海着。夕張メロン色とも言われるようなJR東日本の近郊型カラーを見ると「帰ってきてしまった」という思いを強く感じさせられる。
ここからの上野東京ラインは熱海から宇都宮まで直通する今日最後の電車だ、もうそんな遅い時間になってしまった。ここまで来るともう起きているのか寝ているのか、半ば夢見心地で湘南をひた走り横浜、そして東京都心。上野東京ラインの高架橋を走っていくと上野駅まで帰ってきた、上野駅からはエメラルドグリーンの常磐線。これに乗ったときには日常の世界に帰ってきたと改めて感じる。ファイナルランナーはいつも通りの東武野田線60000系、どこに行くのにもまずはこの電車・帰ってくる時最後に乗るのもこの電車。この家の延長線のような感覚はどんな旅のときにも変わらないなと改めて愛おしさを感じた。