地元の百貨店が閉店してしまったことについて思うこと
TaKaです。この記事は2000文字という長文になっておりますので、お手すきの際に読んでいただければ良い時間つぶしとなります笑
つい先日、地元の百貨店が閉店するという悲しいニュースがと飛び込んでしまい、ショックでした。原因は、連日報道されている感染症による外出控えだそうです。また、サロンといった人が滞留するサービスを展開してリニューアルを図る予定でしたが滞留が忌避されている状態では実現が難しかった?(実現可能性については記事ではなく、私見です)やテナント誘致が計画通りにいかなかったとのことでした。
以前から、百貨店が位置する中心街は郊外のショッピングセンターに利用客を奪われていたとのことです。地元の役所が公表している中心街活性化計画によると、小売販売額が右肩下がりであることがわかります。また、会社といった事業所数の割合も縮小傾向にあり、半数にはとても届かない現状が見られました。
これは、地元が東北地方でも10位以内に入る人口を有していながらも、平野があること、臨海部の工場跡地のショッピングセンターが林立してきたことがおおいにあると考えられます。(現時点でも郊外に新たな店が出店予定だとかなんとか)
この市街地が広がる現象(土木用語?ではスプロール)は車の利用が圧倒的に多い地元もその典型例に当てはまります。これは、店が「顧客が時間に左右されない車での移動が好まれる」というニーズを先に読み取って中心街から郊外に移転し、顧客がわざわざ時間ごとの駐車料金を計算することなく娯楽を受けるようになり、その結果を他店が見て郊外に転出するという循環を繰り返した結果とみられます。
このように、郊外(特に幹線道路沿い)に集まることで、最初は「●●地区にある〇〇店」だったものが、「●●地区」そのものがいろんな娯楽が楽しめる「百貨店」と化してしまったと思われます。そうなると、「とりあえず遊びに行きたいな」→「あそこらへんに行けばなんでも楽しめるでしょ」という気楽に行ける地区となったのでしょう。
データと私見をごちゃまぜにしてしまい、申し訳ございません。
しかし、私も中心街に服を買いに行ってもただでさえ少ないメンズの服は高級品以外は置いておらず、中心街から郊外のショッピングセンターに直行するバスで行ってしまうので、人のことは言えません。
百貨店の閉店によるショックを受けた半分書きなぐりのような文章はこのくらいにしておいて、次に、都市計画を専攻し、地方財政と道路や橋の維持管理に携わらせていただいた身としての私見を述べさせていただきます。
私は、小学高学年くらいから都市計画マスタープランを読み漁っていましたが、読んでいて感じたのは「中心街は自治体の顔だから税金を投入してでも活性化しなければならない。」という文言についてです。最初はそうなんだと思っていましたが、「自治体の顔だから税金で投資する」って税金のそもそもの用途としてそれは理屈に合っているのか?と疑問を感じるようになりました。
そんな疑問にもやもやしつつ、大学に入ってからは「公共経済学」、就職してから仕事で使うために「地方財政学」、「会計学」を勉強してきました。ここで、なんでまた経済とか会計とかに手を出してるの?とおもわれたでしょう。似たようなことを言われたこともあります笑。しかし、土木事業の出資割合を税金で大半を占める以上、税金の使い道やお金のめぐり方については意識しなければならないと思っています。実際に、大学で専攻していた時も交通需要予測においては経済学の論理を使って予測式を立てていましたし、消費者余剰と社会的余剰などについて学んでいました。
税金の使い道と自治体が投資するべき目的についてはいろいろと議論がされており、永遠の課題となりそうなので、ここでは割愛させていただきますが、自治体の「顔」とか「玄関口」ってなんだろうという問いについてはまだ自分なりに納得のいく答えが出ていません。
現在の中心街活性化計画や立地適正化計画を拝見すると、街をある地域に集約することの意義は、少子高齢化および人口減少社会において、インフラの維持管理費を抑えること、車を運転できない高齢者が大半となる社会において公共交通を維持する(冗長な路線は人件費や燃料費がかさみます)ことと文言が変わってきている印象です。そのため、自分のもやっとした部分は解消されているのかもしれません。
しかし、税金の投資する意義について「顔」や「玄関口」とは具体的にどんな効果をもたらすのか、人間というのは主観的な面もあるので、そういった効果が隠れているのかもしれません。
ただ、どうしても、津波や地震のときにみんなが好きな場所に暮らして、道路や橋の安全性を確保するのは難しいと思います。地方債の発行でしのぐという方法もあるでしょう。ここでは、財政や経済については独学で勉強中なので専門家にお任せするとして、経験を積んでいくうちに「まち」というのはいろんな要素が複雑に絡み合っていて、ある要素を良くするとほかの要素が悪くなるという時計の中身のようなシーソーゲームなんだなと思います。以上、長文となってしまいましたが、いったんこれで終わらせてひきつづき私見というか愚痴というか思ったことを吐き出させていただきます。
ありがとうございました。
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