未来を拓くソル「精神障害の母、発達障害の?子、ともに生きて四十余年」 第4話 ソル流、子ども――人間の取扱説明書(5/7回)
(十五)暴力検出器
――毎度、モノローグ。
アタシ、暴力検出器。
自分への暴力、だけじゃない。
生物以外、モノだろうと酷い目に遭ってると、針が激しく揺れる。
発信源の遠近を問わず、暴力らしくなく、ミクロサイズでも、反応する。
自然の脅威を別として、人がふるう暴力くらい、恐いものはない。
義務やチャンスに駆られるや、人は、自然に暴力をふるえる。
ゆえに人のつくる社会は、家庭から国際エリアまで、基本的に暴力装置。
暴力対策の道徳、ルール、法律なんか、カマキリのカマにもかなわない。
不滅の発想「武装すれば安心安全」も、本性は暴力礼賛。
社会は、恐がるくらいで、ちょうどいい場所。
と思いながら、生きてる、アタシ、オカシイ?
外界からの刺激、とりわけ他者の言動に敏感すぎる。
激しく動揺して、深々と傷つく。
痛みを延々と引きずるのは、死んだ方がマシと思うくらい、つらい。
死にたい、のとはちがう。
命を処分すれば、一切合切の痛苦から解放される。
でもそれ、自分への暴力……いちばん恐ろしい。
アタシには逃げ道もない。――
(十六)イイトコ取りだけでは、生きられない
私のトホホな性質も、悪いばかりではありません。
神経質で「ない」人なら、ふり向きもしない(だろう)ごくささいなモノゴト、出来事、現象、風景に、「スゴイ、きれい!」
ほんの一瞬でも、あなたに会えたことが。
生きている、ただそれだけが。
「楽しい、うれしい、ありがたい……最高の贈り物!」
思うに人並みの何十・百・万倍も感じ入れば、天にも昇る心地。
でも、間を置かず墜落の気分を味わい、感情の起伏にもだえるのがオチ。
いつからか、身にしみてわかっていました。
イイトコ取りだけでは、生きられない、と。
「じゃあ! どうすれば、生きられる?」
この疑問でアタマがいっぱいになる時。
どうやら私は、屁理屈をこね始めるらしいのです。
(十七)暴力の温床
人と世に圧倒的な存在感を誇る「モノの見方」
たとえば。
けなされ、打たれても、へこまない・壊れない人間は「立派・健全」
「民主主義」「SDG’s」の看板さえ掲げておけば、命と地球をはてしなくムチ打っても、政治と経済活動の基本路線は「正しい」
ムダな迷い(同調できたら、生きやすくなる?)が生じるたび。
脳内の何かが、どういうやり方かわからないけれども、きっぱり警告してきます。
(都合ノ悪イコトヲ軽視、無視スルノハ、ヤッパリ、イイトコ取リ)
(尻馬ニ乗ッタラ、ソレコソ、ヤバイ!)
暴力行為に「寛容すぎるあり方」こそは、ハイ、「暴力の温床」です。
たとえば。
「なくなってほしい、なくそう!」切なる声をあざ笑う。
貧困、差別を煽りたてる言論。
虐待、DV、イジメ、ハラスメントを体よくシカトする慣行。
こんな所業も、政財界を後ろ盾にしていたり、違法ではなかったり。
「通り一遍の批判」では太刀打ちできない、したたかさがあります。
それを「寄らば大樹/許せない」いずれと見ても、ココロは、早晩、忘却の彼方。
こうして、デイリーの暴力さえ、やすやす、うまうまと容認、温存されてしまうのです。
比較にならない破壊力を備えて、命、生存環境をあからさまにじゅうりんし放題する、戦争を、人間・社会が、なくせないのも、道理。
(十八)「こんな世界」に生まれて…………生きていく?
それでも、生きていくつもりならば。
過敏さは、案外まっとう。
「強み」かもしれません。
「こんな世界」でも、「つきつめれば、平気」な性質は。
生きていく上で、本当に有利でしょうか。
あくまで他人の、命に関わる危機を見聞して。
礼儀にかなうべく心を痛め、ことさらの同情、支援を寄せる。
ばくぜんと、「コワイ?」くらいに感じる。
気にならないか、気にしない。
「単に不運」「自業自得」「迷惑な存在」はたまた「利益追求の好機到来」と思う。
暴力との親和性にちがいはあっても、その時、その場、限りの反応に落ち着ける人は、信じて疑いません。
――我が身は「マトモ」かつ「安泰」、なぜなら。
過去現在、人と世が求めて、認める「能力」「努力」を備えているから。
最新テクノロジー、経済や政治など強い力への「追随」に怠りないから。
この延長線上に、未来は、拓けるだろう・拓けるべきだ。――
安定的な神経系に恵まれた、とおぼしき人間は。
リアルな危機がおのれに迫って初めて。
大あわての大急ぎ「どうすれば、生きられるか」
考え始めるのにちがいありません。
万一そうなったら。
あるいは、先祖の無神経が子孫に祟ったら。
打てる手はごく限られるでしょうが、必ずや生きのびてほしいと(皮肉でなく)思います。
他人様については。
感傷的、鈍感、常識一本槍、非情無情、カネもうけ最優先だろうと、どうにもしようがありません。
正義、正論、真実、善意……どんなにイイコトも。
ムリ強いは、ハイ、まぎれもなく暴力ですから。
どうにかできる……可能性に満ちているのは、自分だけ、というわけで。
(十九)リスク評価、対処プラン
感度、超良好の神経系に恵まれながら、凡人のかなしさ。
お荷物扱いの辛苦に進退きわまって、私はどうしたか。
暴力検出器が作動したら、腹を据え、とことん自問自答することにした。
だいたい、こんな具合です。
――実際にこうむる「心理、肉体、経済」的、各々の危害はどれほど?
危害を受け流す、できなければガマンする、できなければ闘争、できなければ逃走する?
どれがベストで、現実的?
ムリならベター、ムリなら、何がグッド?
もっと上手い、別の手はない?
「即!~ゆっくり」どのタイミングで手を打てばいい?
あえて、答えを出さず、何もせずにおく?――
外界からの刺激に、「つい、見境なく、大げさに、反応してしまう」性質は変えられませんが。
「リスク評価」と「対処プラン」!
(のようなもの、しょせん)で補強すれば。
「重荷」あらため「本領発揮」の道が、拓けそう。
そうそう、暴力検出器の針がふり切れそうな時。
ワーッとなりかけたら、深呼吸ひとつして、自分に、必要なだけ、言い聞かせる。
「あわてないで、落ち着いて、焦らないで、大丈夫だよ」
これが習慣化するにつれて、パニックと格闘する時間は激減、現在はほぼゼロに。
☆6/7回につづく。
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