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再々々再出発「未来を拓くソルの物語」シリーズ第一作 万博と能登半島地震

序章 再々々再出発のごあいさつ

(一)二〇二四年、一月一日、私は、能登半島地震に、同じ石川県内で遭った。同月十五日、「能登半島地震に、思う」を投稿後。
 音信を絶っていたが、筆を折ったのではない。
 二〇二二年に開始した「ソルの物語」は初回シリーズが頓挫。
 三度目の正直にしたかった前回のタイトルは「精神障害の母、発達障害のある?子、ともに生きて四十余年」
 これを臆面もなく取り下げ、新たな「未来を拓くソルの物語」で再々々再出発する。
 今まで「スキ」を贈って下さったのに期待外れだった方へ「あらためて」
 初アクセスの方へ「今後」どうぞ、よろしくお願いします。

(二)シリーズ第一作は、能登半島地震の話を、一気に投稿する。
 季節の移ろいとともに薄れゆく記憶が、消え去る前に、心残りをなくしておきたい。
「北陸応援割」の旅行先は、被災地のどこからどこまでが対象か。
 全国版の関連ニュースが、ある日、「北陸四県」と伝えた。
 北陸は「富山、石川、福井」三県で、「新潟を含む」言い回しは初耳。
 ゴールデンウイーク、特典を利用して金沢旅行というシニアカップルが「少しでもお役に立てれば」にっこりコメントする映像に、心が沈んだ。
 観光はじめ地域産業の復興ほか「○○、△△が再開されました」など「がんばろう、能登」にふさわしいトピックばかり、クローズアップされる。

(三)我が家の暮らしは以前通りなのに、私の老いた身はなぜか、地震を境にぐんと弱ってしまった。
 二〇二〇年から先年まで続いた新型コロナ禍同様、弱り目にたたり目。
 二〇〇八年リーマンショック後、「薄日」「回復基調」「踊り場」の形容をくり返した日銀が、近ごろは株高や大企業の賃上げをもてはやす――さすが、雲の上に住む方々の見解だ。
 市井の風景は、ぜんぜんちがう。
 八〇年代バブル崩壊後から、ずっと。
 大企業未満の事業者と個人は、活況にほど遠いなかで命脈を保つべく、健闘を重ねながら、唯一右肩上がりに増える公的負担金に、生存の余地をじわじわと削り取られてきた。
 大方の台所事情は、現時点でも、厳しさを免れていない。
「がんばりは不要」という人を除いて、ラクラクがんばる人は、ひとりもいない。
 被災状況に関わらず、「北陸応援割」をテコにしよう……という発想はわかる。
 十人十色、百人百様、千差万別の苦境、苦しみを超えて、心身、暮らしの立て直し、事業の再開を図る人に、心底からエールを贈りたい。
 でも、いちばんの気がかりは、存在しないわけがない、置き去りにされる人たちだ。

《第一部》

第一章 カネの件

(一)五月初旬、被害が甚大だった地域は、まだガレキに埋もれている、と聞いた。
 六月三日、能登に震度五の地震があって、傾いていた家屋が五軒、倒壊。
 数日後、「作業が進展」と、にわかに報道されたけれども。
 公による解体、撤去の段取り「全体」はどうなっているのか、まったく伝わってこない。
 被災当事者へは、周知されているのだろうか。
「公にじゅうぶんなカネがない、人手もない、しかたない」
 とおっしゃるなら、リング状のドーナツにある穴、のような事実を見落としている。
「旅行できるカネとヒマ、生気がある人」に、公費で追い銭をしてやる。
 算出方法のあいまいな「経済効果」や百年一日式「国家の威信」を掲げて、オリンピックや万博など、貧乏ヒマなしの半病人には縁のないお祭りに、国庫から巨費をつぎ込む。
 急ピッチの万博会場建設には、残業規制の法律を曲げても、人手を投入しようとする。

(二)カネの件について、もっと広く、重たくいうなら。
 国家財政は、国会議員、政府閣僚、高級官僚、政策の「下請け!」先――具体的には最大手の広告代理店や大中の経営コンサルタント会社など、へ。
「費用、対効果」を度外視した高額報酬を惜しまない。
 宇宙開発、国産飛行機開発、海外への原発売り込みからクールジャパンまで、いったいいくつの国家肝入りプロジェクトが、また特定企業へのばく大な事業資金支援が、ろくに実を結ばないまま、雲散霧消していったか。
 これらの事実は、アンタッチャブル、かもしれないが秘密ではない。
 全般的に、開けっ広げなくらい野放図、無軌道なカネづかいが。
 国民の血税はじめ、どっさり、ずっしりの公的負担金を、際限もなく、次から次「死にガネ」に変えていく。
 天にも届きそうな借金の山を築いて、築いて、築き続ける――絵に描いたモチのような経済理論で煙に巻き「ノープロブレム」擁護する専門家も、いるにはいるが。

(三)「事実無根」「どぎつい表現」を疑う方へ、参考までに以下を。
『国費解剖 知られざる政府予算の病巣』日本経済新聞社編(日経プレミアシリーズ)
『追跡 税金のゆくえ ブラックボックスを暴く』高橋祐貴(光文社新書)
 近々、こっそり?「クールジャパン」政策が再始動するそうで、大あわての緊急追加。
『日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー』ヒロ・マスダ(光文社新書)お急ぎの方は、キネマ旬報No.1846(2020 8月下旬号)を。
「特別企画 クールジャパン政策を斬る! 日本映画の“明るい”未来のために」……「経産官僚の暴走と歪められる公文書管理」

(四)権力府に関わる既成事実、万博など公私の利害がみっしりからみ合う決定事項は、けっしてくつがえらない。
 としても「大規模な天災は二度と起こらない」「国家の大イベントと重なることもあり得ない」前提で社会を運営するのは、危なっかしい。
「これから」のために「これまで」を省みて、必要な方針転換を図ってこそ、「より、生存にふさわしい社会」になっていく。
 シュプレヒコールを上げたい「そのための民主主義、であーる!」が。
 あいにく、「絶対の正解」に則って営まれる日本社会は、民主主義との相性が悪い。
 最たるところが「目上の命令やあり方に、是非もなく従うべき」上意下達のルール。
 万が一にも破るなら、日本人は「命と引き換えにする」くらいの覚悟を要する。
 大げさ、時代錯誤、偏見?
 まっとうな主張、反論、真摯な異見と視点、憂い、命がけの訴え――「公論」になり得るものが、鼻であしらわれ、見下される。
 そしる、たたく、あざ笑う、底意地悪い言説がサイバー空間をのし歩く。
――いわく、取るに足りない「愚痴」
 ナマケモノか負け犬、落ちこぼれ、弱虫の「不平不満」
 鳥のように大空から見渡せたら、わかるのに。
――「なるほど、だから」閉塞感にロックされて、お先真っ暗。
 イノベーションも、不発ばっかり。

第二章 カネだけでは解けない問題

(一)被災者が、行政窓口について苦情を訴えた、という風聞を耳にした。
 情報の真偽をたしかめるすべがなく、話半分以下に聞きながら、さもありなん、と思う。
 私自身の、窓口の役人にまつわるまだ生々しい傷心の出来事を話したい。
 大脱線になるが、安全な迂回路を設けるつもりで、ていねいに進みたい。
 話をぐっと狭く、身近なところへ縮めて。
 我が家の「昨年までのカネ事情」に的を絞って、「ソルとは何者で、どんな人物か」自己紹介を兼ねたい。
 その前に、もうしばらく、ガレキについて考察を続ける。
 いまどき「カネがなければ、マトモに生きられない」が。
「カネさえあれば、すべてうまくいく」とは、そそっかしいにもほどがある早とちりだ。
 カネだけでは解けない問題など、いくらでもある。
 国家財政に巣食う病気は代表格、大金を積めば治療できる、というものではない。
 わたくし事。私の精神障害、我が子の発達障害?問題は、カネ「以外」に力点を置くことで、完全治癒、完全解消にこぎ着けた。
 ほかに、少子化対策も、的は人間、親と子の命だ。
「徹頭徹尾、ゆゆしき問題!」と決めつけたら、きめつけっぱなし。
 かれこれ二十年以上、成果を生まない「対策項目(とりもなおさず)予算を、増やす(要は)国民にさらなる負担金を強いる」ワンパターンに固執。 
 この体たらくで、いつ、どんな活路が拓けるというのか。

(二)「ガレキの片付け」も同じ、と思う。
 まず「カネ」「人手」次いで「土地建物の所有者(居住者全員が亡くなってしまった場合、とくに困難な)確認」等。
 できない理由ばかり列挙する、公が事を進められないのも道理。
 かんじんかなめを、置き去りにしている。
 それは、地震発生の瞬間までホームグラウンドだった場所に、戻ることのかなわない、ひとり、ひとりの命の「これから」だ。
「これまで」通りに暮らせない、生きられない……言うに言われぬ思いを抱えて、新たに先行きを拓くことは。
 地の底からクモの糸をたぐって、地上まで登ろうとする……不可能にも、等しい。
 第一、どこで「再出発」すればいいのか。
――「ここに住み続けたい」「安全な土地に移りたい」「ほかの人、多くはどうなのだろう」
 自分の思惑ひとつでは、計りきれない。
「これが正解」「この選択ならまちがいない」というものもない。
 宙ぶらりん状態の苦しみは、想像するに余りある。
 人それぞれ条件の良し悪しに差はあっても、将来、未来への不安に大きなちがいはない。

(三)かんじんかなめを押さえた上で。
 公と被災者がありきたりな関係「行政として、何をしなければならないのか」「行政は、何をしてくれるのか」を続けることは。
 最善、次善の結果にもつながらない、と考える。
 カネ、人手、法律関係ほか問題山積で仕事に忙殺される側は、腰が重たくもなる。
 それで失望をくり返す側は、地震の衝撃を受けて月日も浅い心身に、はかりしれないダメージを負う。
 ガレキの片付けについて、行政はろくな見通しを伝えてくれ「ない」――行政として、はっきり伝えられることが「ない」
 自力で片付け、ボランティアの助けを借りても、まったくはかどら「ない」――行政全体が、どう進めるべきか決められてい「ない」
「ない」を凝視しすぎると、「立ち直る」「支援する」どちらも、早晩、無力感の袋小路に行き着いて、苦しみが物事の進捗に勝ってしまう。
 ならば、というわけで。
「公は強く、個人は弱い」力関係にモノをいわせた「支援」を強行すれば、被災当事者の立ち直る力は、人生もろとも、殺がれてしまう。

第三章 明日と未来に豆電球を灯す

(一)被災者、行政官に限らず……ありとあらゆる人が「私はこんなにも無力である」現実に縛られて。
 しばしばフリーズしながら、ついに身動きできなくなるのを避ける方法は「ある」
 受け身のしかめっ面、泣きっ面をかなぐり捨てて、主体的な取り組みを始めればいい。
 さっそく「エベレスト登頂」級の困難にアタックするのは無謀だが。
 ごく小さな不便を取り除く、「実は、困ってしまって」と打ち明けられたら、嫌悪、恐怖、無視せずに、あたたかい言葉を返す……くらいなら。
(エイ、ヤアッ)勇気ひとつで何とかなる。
 ただし、何に挑むにしても。
 ゆめゆめ「疲労感と万難を排して、犠牲的精神を全開にする」なかれ。
 苦もなく越えられる低いハードルをひとつ、ふたつ。
 越えれば越えるほど、自ら何かする心地良さと、自分がそれほど無力ではないことを、実感できる。

(二)そこで、こんなアプローチ方法を考えてみた。
 部外者には「ガレキ」でも、当事者には、日常と人生のなごり。
 立場を一にする被災者同士が、「片付け」を切り口にして、思うあれこれを話し合う。
 話し合うなかに、可能性や希望の粒、カケラが浮かんで見えれば、物心両面の支柱――先行きのヒント、アイディア、今を生きる救い、になり得る。
 観光、製造、伝統工芸などの産業、農業、漁業ほか、組織や団体を形成する領域の全体については、復興に向けた地道な動きが伝えられるので。
「この」話し合いへの参加資格は、何を代表するのでもない「個人」
 子どもの参加は大歓迎――参加の意思があれば、年齢不問。
 子どもはふだん、めったに言い分を聞いてもらえないが。
 大人が独り合点しているよりはるかに、暮らすこと、喜怒哀楽と愛憎、フェアとアンフェア、つまり生きることを、しっかり見つめ、考えている。
 何といっても、生命力!にあふれている。
 感じること、思うこと、望むこと、流暢に話せないのはむしろ自然。
 大人側に聴き取る姿勢と根気さえあれば、子どもの発言は。
 必ずや、被災者個人と地域社会の。
 再生、復興に関わる人、遠くからでも心を寄せる人の。
 日本社会全体の。
 明日と未来に豆電球を灯す。
 古老の主体的参加はなおさらウェルカム――首をかしげる人は、自画自賛になるが、耳の穴かっぽじって、よくお聞き。
 地に足つけて暮らし、生き抜いて、たしかに培われた、腰の強い、「人の智恵」ほど、この世で、ハイテクに勝るとも劣らず役立つものはないから……ね。

(三)「最初は、各自の思いを話すだけ」の会合。
 たいしたカネをかけずに始められる。
 行政には、コーディネーター役を務めてほしい。
 生死の境を生きる人間の葛藤、激しい喜怒哀楽。
 参加者同士の感情、意見、利害の行き違い、など。
「かえって、つらい」場面を助ける、たしかなスキルがあれば理想的だが。
 とりあえず、やる気があればいい。
 現に生きている、生きようとする老若男女の「肉声」――他人や社会に対する取り繕いが入り込まない「絶望、希望」
 その「表出」を助けることができれば。
「役所内の力関係」
「仕事内容と分担及び責任の所在が、あいまい、にしてもデタラメすぎる」
「上位の役所、そのまた上位官庁の、建前(言ってるコト)と本音(やってるコト、やってるふり)のギャップ」ほか。
 掃いて棄て、吐き棄てても、棄てても、きりがない。
 いかがわしさ、鬱屈を、「くそ食らえ!」と思えてくる。
 目の前の「この、その、あの人……人を支え、助けたい!」願いが上回ってくる。
 話し合いに立ち会うほど、支援の具体的な勘所もわかってくる。
 それと連動して、当事者の日々に、かすかな順風が吹き始める。

第四章 おとぎ話のような話

(一)能登半島地震対応の現実は。
 行政、ボランティアとも「大急ぎ、ぶっつけ本番、できる人が、できることを、不便、不都合、苦しみを圧しながら、手探りで進める」
 ありていにいって、泥縄式。
 支援に駆けつけられない者は、募金箱にいくらか投じるのがせいぜいだ。 
 復興目的の増税があれば(ウソ、いつわりなく、被災者の助けになりますように)はかない祈りを込めて、応じる。
 いくたび大災害を経て、日本社会は、同じ轍を踏み続けるつもりか。
 出発点から考え直そう。
 地震発生以来、諸問題を痛感し、解決の視点を養っているのは。
 問題解決の動機をいちばん備えているのは。
 将来、未来の防災対策に向けて、もっともふさわしい助言者は。
 誰なのか。

(二)勇敢にも生きのびている全被災者に、最高の敬意を払いたい。
 老いた人から幼い人までが、各人ごとの、さまざまな底力を「悠々と」活かして、まず自分、次に社会の「これから」を創造できるように。
「主役は当事者」
「行政、立法、司法に携わる人、専門家は脇役」の位置づけで。
「個人の生活、人生再建」「社会規模の復旧、復興」を相補うものとして。
「スムーズに」「可能な限り、心地良く」支援できる「きわめてシンプルな」システムを、大枠から細部に至るまで。
 この際、構築してしまおう――今後の見直しはあり、だ。
 そこに、市井の人間が「ムリなく」協力できる仕組みを、ぜひ設けよう。
「今回は」実践しながらの構築、難業にはちがいない。
 関わるすべての人が、ミッションを「適量ずつ」分担して、「互いに」支え、助け合い、ほんの半歩、一歩、二歩と進んでいけばいい。
 ゴールインは、荒唐無稽な夢、ではけっしてない。
「連携」前提のプロジェクトに、魂を吹き込もう。
 連携を促すセンス(さあ、力、心、頭を合わせよう)とスキル〈それがダメでも、別の方法を知っているよ〉は必須。
 何につけて、誰彼自分に対して「カンペキを求めない」寛容も。
 要するに「柔軟性に富む創意工夫」「根気強い試行錯誤」の二本立てが。
「復興という復興」の成否を分ける。
 天災人災、規模の大小を問わず、人間・社会が災禍に直撃される事態は、今後、いくらでも起こり得るのだから。
「入魂済み」の備えがあれば「憂いなし」というわけで。

(三)おとぎ話のような話、と思われるだろうか。
 では「カネがなければ、マトモに生きられない」現実に戻ろう。
 いまどきは、富裕層から底辺層までのオールドからヤングまでが。
 良き人、悪しき人、すごく偉い人、まるきり普通の人、強運の人、凶運な人、何に当てはまるか?の人、どの人も。
 カネがもたらす悲喜こもごもに、間断なくさいなまれている。
 私の場合、カネの問題は、「人生」「考え」にどう影響したか。
 なかでも「公」直接的には行政窓口との関わりが、何をもたらしたか。
《第二部》第五~十三章を。
「来歴(一部)」
「思想(概観)」の自己紹介に費やした後、能登半島地震で被災した人の話につなげる。

《第二部》

第五章 万事休す

(一)noteへの投稿を始めた、二〇二二年十一月。
 家計について、本当のことをさらけ出すと。
 来月?来々月?その次?こそ、破綻する?「過去三十年のうちでいちばんのどん底――六十三年の生涯、最大の危機」に直面していた。
 なぜか。
 無一文で放りだされた、三十七歳での離婚は、DVの延長線上にあった。
 と、気づいた時には、ワーキングプアを遍歴していた。
「地方都市での通勤に欠かせない」自家用車の車検代や保険料ほか収入でまかなえない支出は、クレジットカードからの借入とリボ払いに頼った。
 働きながら特殊な機械加工技術を習得して、四十五歳、ガテン系、女子?正社員に。
 五十代半ば、年収はかろうじて三百万円台に届いたが、心身をズタボロにするパワハラ「込み」の報酬といえた。
 この間、我が子は、小学二年生からの自閉症疑惑を引きずったまま、三十路に突入。
 十五歳で母子家庭のひとりっ子になって以降、アルバイトいっぺん、したことがない。
 大卒後の十年間は、まったくの無収入。
 三十四歳で小説家の職を得、それから八年間の平均年収は二十六万円。
 というところで、私が定年退職を迎えた。

(二)貯金ゼロ円で、借金アリの生命保険ナシ。
 ひと休みする間もなく再就職を図りながら、寸志に毛が生えたような退職金と失業給付で、二〇一九年をしのいだ後。
 遠隔地に住む実姉にSOSを発信。
 妹の離婚を機にどちらからともなく音信が途絶え、私は、両親の介護、看取り、葬送を丸投げする、という不義理を働いてきた。
 しかし姉は、二〇二〇年と二一年の二年間も、家計を支援してくれた。
 三年目の二〇二二年は、新型コロナ禍で、小説執筆の取材もままならない子が、フリーランサー向けの給付金を受け取れた。
 その年末は、子に、まとまった収入が発生する「はず」だった、が。
 夏の終わり、いきなり、問いつめられた。
「ぜんぜん書けてないって、わからないの?」
 ぜんぜん……わからなかった。
 三年間の支援を糧に、小説が完成間際、だからイライラしている。
 そう信じて、大部分の家事を引き受け、大いに気を使いながら、夜間の物流センターへ、パート勤めに行っていた。
 作品完成と収入が後にずれるなら、家計はどこまで耐えられるだろう。
 私はうつうつ、子はピリピリ、親子の間がぎくしゃくするうち、あっという間、初冬になって、ある日とつぜん、知らされた。
「何年も、歯痛をガマンしてきた」
「右の耳がおかしい、耳鳴りがする、よく聞こえない」
 万事休す。 
 
(三)定年後の一年間は、健康保険(退職から二年間の)継続制度に加入して、年間三十数万円の保険料を納めた。
 笑うしかないことに、毎月きちんきちんと納付すれば、自分たちが医者にかかるカネは残らなかった。
 二年目には納めるカネがなくて脱退……無保険に。
 定年後、二つ目の職場になった物流センターで、時には日付が変わるまで(これが六十歳過ぎの仕事?と思いながら)重荷を運ぶ。
 それで、手にする月収は、物量の多寡によって十万円前後を揺れ動く。
 国保に加入して納付が発生すれば、暮らしは……「健康も」脅かされる。
 子に、言い渡した。「病院に行きたい時は、自分で手続きしなさい」
 私自身は、ビクビク、身をひそめるように生きた――病気になったら、ケガをしたら、「国民皆保険制度」に見とがめられたら、どうしよう。

(四)わたくしの肝っ玉は、誇張でなく、ナノサイズ。
 万年不眠に陥りつつ、離婚直後に聴覚を失った左耳、五十代に失明しかけて視力の乏しくなった右目をかばいながら、奥歯のキレイに欠けた歯を食いしばって。
 ゼイハア、よたよたする心身を、何としても瓦解させまいとした。
 親ががんばれば、子もがんばる「はず」
 なんて思っていると、必ずしっぺ返しがある。
 とうの昔にわかっていて、また、外した……私のバカ、バカ、バカ、バカバカ大バカ!
 歯痛、難聴に呻吟する子を伴って市役所を訪れ、受付で教えられた税務課の窓口に向かい、なりふりかまわず嘆願した。
「これこれ、こんな事情で、国民健康保険税を月々千円の分割払いにしてもらえませんか」

第六章 サバイバル魂

(一)私にとって千円は「ラッキーナンバー」「お守り」「困った時の神頼み」を意味する。
 三十七歳で離婚後、以前の世帯収入を元に算出されたような?住民税の納付書が届いた。夫が自営業者、私は専従者だったので、国民健康保険税と国民年金の通知も来た。
 合計すると、月ウン万円……職も定まっていないのに。
 かわりばんこのように滞納の知らせが舞い込むと、落ち込んで、死にたくなったが、三十六計、無視を決め込んだ。
 とうとう……来月の生活費にめどが立たなくなり、駆け込んだ即決のアルバイト先で、一か月だけの雇用期間が三か月目に入ったころ。
 山のように溜め込んだ督促状を片っぱしから開封した。

(二)「納めなければ、老後は暗い」
 ばっちり脅し文句が、得意満面?封筒に印刷された、国民年金のお知らせには「○年以内であれば、滞納期間について月二万円ずつの分納が可能です」とある。
「ご冗談。フルタイム働いて、手取りが十万円ちょいの身には、不可能です」なんて、誰がわざわざ、お返事してやるものか。
 市役所には電話をかけ、あいさつも事情もすっ飛ばして、申し入れた。
「市県民税と国保の滞納分、月々千円の分割払いにして下さい!」
 ふだんイジイジ、うじうじ、ジメジメしている私のなかから、ほんの時たま、サバイバル魂、とでもいうべき何かが飛び出してくる。

(三)電話の相手は、打てば響く太鼓、みたいに「ハイ、わかりました」
 ホントにそれだけのやり取りで、かつて見たこともない、手書きの納付書が届いた。
 最初の束がなくなって連絡を入れると、「前任者から話を聞いています」とのこと。今度は、印刷された納付書が届いた。
 バイトで足かけ二年目の四十一歳、ジャスト二〇〇〇年、パートに昇格。
 有給休暇を取れるようになってすぐ、返済計画書(のようなもの)をまとめて、離婚後初、窓口を訪れ、少しばかり身の上を話すと、応対した職員は言った。
「何か事情があるのだろう、と思っていました」
 低収入でも働く足場が安定するにつれて、ラクラクではないが、分割額を増やし、ウン十万円をぶじ納め終えた。

(四)このちっぽけな成功体験は。
 真っ暗闇同然の人生に、ひとつきりのハイライト。
 大卒間際「残してある奨学金を返済に充てるから、一年間だけ、食べさせて」と言った子が、三年、五年、七年、若くなくなっていくシングルマザーのスネをかじるうち。
 案の定、泣きついてきた。
 月賦の一万数千円と半年ごとに払う六万円を各一回、肩代わりしただけで、家計は傾き……思い余って、アドバイスした。
「月々千円の分割払いにしてもらいなさい」
 子が交渉すると、快諾されたものの、さすがに二千円ずつ、と決まった。
 家計から毎月二千円、子に収入が発生するとまとまった額を返済し、二百万円を超える奨学金「も」完済――ハッピーエンドだったらよかったのに。

(五)六十三歳にもなって、また「千円分割」のお願い。
「大丈夫、ここの市役所には神さまが住んでいるから、大丈夫」
 自分で自分に言い聞かせ、自分で自分をなだめすかし、自分で自分の背を押しながら、恥ずかしさとおじけをふり払って……いざ。
 窓口にいた職員は。
 イヤな顔ひとつしないで、ややこしい事情に耳を傾けてくれた。
 国保未加入期間の滞納分(え? 保険を利用できず、医者にもかからなかったのに?)は、「当面、不問」
 今から加入する分も、「月八千円前後の減額措置」
 という条件で、素早く手続きを済ませてくれた。
 子は治療を受けられ、私も「どうにかして、生きていく」望みをつなぐことができた。

第七章 傷心

(一)それから一か月と経たない、二〇二二年の師走。
 子が公的給付「三か月計十八万円」の受給を申請する運びになった。
 ハローワークへの登録は必須条件――何回経験しても憂うつ、生まれて初めてならなお。
 遠巻きに案じていると、「終わったよ」さっそうと戻ってきた姿が、やけにまぶしかった。
 その制度を一緒に探してくれた社会福祉協議会(社協)のていねいな指導を受けて、万端整えた書類の添付資料に、申請窓口の市役所、生活支援課で不備を指摘された。
 求められた資料を少なからず苦労して手に入れ、再提出すると。
 窓口の役人は「おかあさんの最近三か月の平均収入が、支援基準を260円オーバーしているので、申請が通るかどうか、わかりませんね」
 社協に再相談すると、「ああ、そうですか」残念でしたね、という感じで話はおしまい?
 初め、我が子が公に頼る申し訳なさを口にしたら、「堂々と支援を受けて下さい」と励ましてくれた、同じ社会福祉士の人が。
 私には、二重の傷心だった。
 黙って、引き下がる、申請を、あきらめる、以外、我ら親子にできることはなかった。

(二)明けて二〇二三年の桜もいつか散り、クレジットカードからの借入は上限に到達。
 一度も使ったことがなくて、八十万円超も残っているショッピング枠で、食料、日用品を購入していた――返済額は増えてしまうが。
 何とか生きているところに、自動車税の納付書が届いた。
 私が三十年近く通勤に用いている軽自動車は。
 地球環境に優しくない「罪に罰」で、割高の一万数千円。
 市役所に電話をかけ、この税金に限っては、天地神明に誓って生涯ただ一度の分納「月々三千円」をお願い。
 すんなり受理された「わかりました」という声に、聞き覚えがあった。「その後、おじょうさんの具合は良くなりましたか」あ。
「はい、おかげさまで、すっかり良くなりました。がんばってます、二人とも生きてます!」
 元気いっぱい返事しながら、涙がにじんだ……去年の相談を、覚えていてくれた。
(救われた)と思えるから、生きていける。
 二か月後、家計は、奇跡的にも起死回生の方角に舵を切ったが、その話は、シリーズ第二作にゆずる、予定。

(三)秋、自動車税の分納を終え、ホッとしていると、同額の納付書が半年分も郵送されてきた(手ちがい、かな?)
 通知に記された、受け付けてくれた人とは別の職員に問い合わせると。
 名乗ったなりに、「あなたは考えちがいをしているッ!」
(え?は?)おろおろしながら、ガンガン説教調の話をつなぎ合わせると。
「自動車税の分納後、ほっかぶりを決め込んだ」のが、考えちがい。
 正しくは、「間を空けずに、自ら申し出るべきだった」「三千円(またはいくら、いくら)のゆとりがあるので、次は、国民健康保険税の滞納分を分納させて下さい、など」

(四)国民皆保険制度下で、未加入は「違法」?
 貧困ゆえに未加入で、保険証なし、医者にもかからなかった期間の保険料を滞納扱いするのは「合法」?
 何たること、困窮者の生存を脅かすのが、社会保障……?(ああ)
 嘆いても、恨んでも、口には出せない。
「国保の滞納分については、勤め先から提出される源泉徴収の書類などで収入が把握され、別に沙汰があるもの、と思っていました」
「八月は親子してコロナに感染、丸々二週間、日銭を稼げませんでした」
「さすが流行性感冒、インフルエンザ同様、生きた心地がしなかった」
「でも、手ごわいカゼ、くらいで医者にかかる、という選択肢が、我が家にはないのです」
「互いに(おーい、大丈夫かあ)(生きてるかあ)(せめて、何か、飲もうよお)病床から声をかけ合うことで、どうにか死なずに済みました」
「やっと出勤できると思ったら、車が回復不能な故障を起こして……車がなければ、長い長い田舎道を通勤できません
「急遽、格安の中古車を購入しようにも、福祉制度の融資にさえ門前払いされて――車はぜいたく品だそうで、大ピンチだったのです」
「何とか家計を立て直そうとがんばっていますが、目先を延命できるようになっただけ」
「先行きは定かでなく、納税を優先させれば命取りになりそう……怖くてたまりません」

(五)電話口で、こんな文章をまとめるようには、説明できなかった。
 私のモソモソした受け答えは、けしからん言い訳か屁理屈に聞こえた……とにかく、相手の逆鱗に触れたのだろう。
 誓っていうが、こちらが暴言や近いものを吐いたから、理不尽なカスハラを働いたから、お返しされたのではない。
「生活に困っているのは、みなさん、同じなんですよッ!」
 瞬間、私は死にたくなって、それをそのまま口にしたが。
 すぐに謝って引き下がり、現在も、分納を続けている。納付書の束が尽きたら、けっして忘れず、何さておいても連絡を入れなければ。
 勇気をふりしぼって、告白する。
 けんめいに生きのびたことを、さっさと死んでしまわなかったのを(恥ずかしい)と思う――思わされるのは、二度とゴメンだ。

第八章 心身に深手と死のリスク

(一)行政の窓口が、またもやハートに傷を刻んだ……秋が過ぎて。
 二〇二四年の正月早々、能登半島地震が起きた。
 五日後、私は六十五歳、公的にも高齢者になったが、ふとした拍子に思い返してしまう。
 彼らは、おそらく、子と同世代。
 市役所の神さまにちがいない職員の立場が、実はまずくなったのではないか、気になる。
「迷惑かけてくれるな」
「キサマの生死など、知ったことか」といわんばかりの二名も。
 真っ赤な顔の苦しげな表情、本人にも刺さりかねないトゲトゲの声。
 まともに見聞きしては、(このやろう、ガブッ)かみつくわけにもいかなかった。
 困窮者の真ん前に立たされる自治体の役人が。
 一名を除いて、ひとりならず、非情無情の無礼千万。
「たまたま」ならば、おのれの運不運と思う方が、話は早い。
 国会、政府による社会運営と司法判断は、公平公正。
 国家財政は、裏表なく健全。
 公的負担金は納得のいく額で、人心もおおむねほがらか……でも、この「ぐうせん」は起こるのだろうか。
 平時は、人命軽視か無視か蔑視。
 非常時、正真正銘の尊重へ光速で「変(へん)身(しんッ)!」なんて。
 仮面ライダー(私が知るのは初代だけ)じゃあるまいし、ムリムリ。

(二)ひとケタの年ごろから五十代が終わるまで、順に親、配偶者、上司から痛めつけられていた間じゅう、私は、命からがら、周囲に訴えてきた。
「お願い、助けて!」
「え、助けられない? 助けたくない? なら……助けなくていいから」
「助ける代わりに? 心を、踏んだり、蹴ったりするのはやめて!」
 袖振り合うなかに、聞き入れるひとり、いなかったのもムリはない。
 その昔、こっそりふるわれる暴力は、無いモノとされていた。
 訴えたいことは、ぼんやりした思いにすぎなくて、本当は、声どころか、言葉にもならなかった。 
 何かというと、すぐ、傷ついてしまう。
「出来損ない」の自分を自分で恥じ、罵り、憎みながら、どうにか、暴力との折り合いをつけていた。
 今や二十一世紀が四分の一近く過ぎて、私もいいトシになった。
「二十も年下の役人に剣突食わされた」心の被害を証明する、音声や映像を添付すれば、正式な苦情として処理される可能性はある、が。
 スマホはおろかケータイも所有したことのない私には、出来事と傷ついた心を「説明、公開」するだけで手一杯。
「できるようになった」それでじゅうぶん、とも思う。

(三)「時代遅れ、非力、弱腰、後ろ向き、愚か」
「老いて貧する、下流老人になったのも当然の帰結」
「自業自得、自己責任の範ちゅう」
「不運は不運でも、結局は、能力、努力不足の根性曲がり」
 等々、バッシングに傷つく余地はもう残っていないので、言い添える。
 物心つく前から「これを食らえ」「これでもか」「これでもか」
 雨あられの暴力をしのぐうち「落命しない」智恵とスキルは身についた。
 襲いかかる暴力が「青天の霹靂」では、ひとりの例外もなく、心身に深手と死のリスクを負う。

第九章 弱者、強者

(一)致命スレスレの状況を生きのびようとして、「後回し」「ないがしろ」にされる。
「罵倒」「蔑視」もされる。
 残念無念、これは、日本社会にありがちな現実だ――命に危険の及ぶ母国から逃れて、または仕事と収入を求めて、活路を見出すべく来日した非エリート層の外国人には、日常茶飯のリスク、といえるだろう。
 そこで私は、「社会的に弱い立場の人間が、他者、社会、公からどう扱われて、いっそう困窮するか」告発する。
(弱者だけに関わる話)と聞き流す向きには、警告する。
 たとえば、父祖から資産や社会的地位、壮健な心身や才覚才能を受け継いだ。権力府や超優良企業に職を得た。事業や投資に大成功した。学界の頂点に上り詰めた、など。
 人間社会の単なる「既成事実」――熟慮やさまざまな働きの結実である以上に、ぐうぜんと野心の産物――に支配された生存環境は。
 そこに存否のかかった(ヒトだけとは限らない)モノたちにとって、いかに危険か。

(二)超絶・危ないのは、強者が強者であり続けるための「力比べ」
「政治的な(政界限定、ではない)闘争」と「カネをめぐる競争」が行き着くところ。
 二十世紀以降、今日まで。
 世界じゅう多くの国が、最新兵器を次々使用する「リアル戦争」に、直接巻きこまれるか深く関わり、なおかつ「経済戦争」に駆り立てられてきた。
 なれのはて、地球はすでに、生存にふさわしい場所、といえなくなりつつある。
 フェイク扱い、知らぬが仏、いくらでも自由だが。
 ひとつ、想像力を働かせよう。
「SDGs」「脱化石燃料」「ネコも杓子も、デジタル化」エトセトラが奏功すれば。
 地球そのものは、破綻を免れるかもしれない、が。
 生存を脅かされた弱者が斃れるそばから、新たな弱者を、どこまでも、果てしなく必要とする社会。
 いいかえると、社会的な力関係が命を牛耳る、この上もなく不愉快で理不尽な、危険きわまりない生存環境は。
 あいかわらずそのままだ。

(三)「だって、ほかに社会運営の方法を知らない」という方へ、参考までに以下を。
『デンマークを知るための70章【第2版】』村井誠人編著(明石書店)
 昔「アンデルセンの人魚姫」今「高負担、高福祉」で名高い国。
 そのリアル――ライブに近い――を垣間見ることができる。
 デンマークとデンマーク国民にとって、民主主義は。
 世界へアピール、セールスするための「表看板」
 形式に堕しがちな「多数決の原理」以上のもの。
 試行錯誤、創意工夫しながら、「より、生存にふさわしい社会」へと変貌していくための、実効性を備えた社会システムになっている。
 私の読み取ったところによれば。
 歴史に培われた人智を重んじる先人が、民主主義に魂を吹き込み、それが二十一世紀までバトンタッチされてきた。

第十章 ヤワじゃない、命の真実

(一)「告発、警告……ずいぶん尖ったおばあさん」と思われるだろう。
 描き出したい核心は別にある。
 まずは「脅かされた命の真実」
 天災――自然のふるう暴力に遭ってさえ、他者、社会、公があたかも結託して空気のようにかもし出す「自力と自己責任によって再起するべき」価値観にノックアウトされるならば。
 これまで人と世に信頼を寄せてきた命は、どうすればいいのか、どうなるのか。
 そんな思いを一度もしたことのない人は、命が受けるショックを知りようもない。
 しかし命は、絶望のどん底、袋小路でさえ「生きよう」とする。
「未来を拓くソルの物語」が、全編を通していちばん伝えたいのは。
「ヤワじゃない、命の真実」

(二)命はすさまじいまでに健やかだ――とにかく、生きようとする。
 そこに吹くのがたいてい順風なら、命は、生きるために作用できる。
 ところが、逆風に吹かれっぱなしでは……命に、あからさまな「狂い」が生じる。
 大きく分けて「他に害を及ぼす」か「自らを傷つける」ようになる。
 命を「直に」損ねる「他害」「自傷」の行為自体は、運悪く行き合わせた他人にさえ一目瞭然。他殺、自殺に発展すればなおさらだが。
「命」の逸脱に「意識」がどう関わっているか――制御不能と作為、いずれなのか――は、本人にも判然としない。
 これは、以下に挙げる「実に、さまざまな」他害、自傷すべてにいえる。

(三)日常にありふれた他害、主に心を傷つけるイジメやハラスメントは、往々にして「あった」「なかった」見方が分かれる。
「自分自身に向けられる」イジメは、自傷にほかならないが、ほとんどの人は(そんなの、あり?)と思うだろうし、本人もまずもって自覚できない。
 まして、軽重いろいろな事故がもたらすケガ。
 及び「わざと、なる」などあり得ない病気は。
 不運、または何かしらの原因による結果である「はず」……でも。
 一例に、私の、幼時から小学中学年までの、目ぼしい傷病歴を挙げる。
 二歳前の臨終間際まで行った肺炎に続いて、腸のヘルニア(手術)、転んで眉間に裂傷(縫合)、自「転」車との衝突事故(擦過傷だらけ)、盲腸炎(手術)、軽度とはいえない熱傷。
 記憶をていねいに発掘、再構成すると、どの時期も両親の不仲がエスカレートしていて、母親のしつけは異常に暴力的だった。
 ヤケドの半年前は、担任教師から私への、執拗なイジメが起きてもいた。

(四)これは、我が子が職場で聞いてきた、同僚の、以前の勤め先での話。  
 めちゃくちゃキツイ先住社員がいた。週たった二日の勤務だが、ある日、頭髪に、十円大の脱毛を、発見!
 命はこんなにも繊細。
 同時にタフで、めいっぱいガマン強い。
 四六時中逆風を浴びようと、意識が「何が何でも耐える!」覚悟なら、命は、狂うこともなく、付き合ってくれる。
 そしてこれは、定年後の職場で、私が目にしたもの。
 夜間の物流センターで直属の上司だった四十代のA係長は、「朝の八時前から翌朝の三時過ぎまで」という勤務もめずらしくなかった。
「コンプライアンス、命!」の上場企業だから、記録はもちろん、本人の手で、改ざんされていただろう。
 うつろな目をいつも遠くに向けていて、備品の置き場とかカンタンなことを尋ねても、返答までの間が異様に長かった。
 深夜の休憩室。電気も点けずに自販機のカップめんを食べている後ろ姿に、ハッとしたことがある。
(どんな家庭生活か)老婆心はうずいたが、いかにも(家族――子どものために、がんばっている)風情。

(五)ある繁忙期、ギリギリの人出で回す現場には殺人的、ともいえる物量が入ったり出たりして、働くみんなが右往左往の七転八倒、四苦八苦……係長と、六十ちょっと手前の現場監督は、見る見るやつれていった。
 高速道路を何十分も走った隣県との境に自宅がある、と聞いていたから。
 ある日、心配が口をついて出た。「帰り道、大変でしょう?」
 A係長は、苦笑いしながら「ハンドルの上でね」突っ伏して寝そうになるのだと、身ぶりを見せてくれた。
 どんな時も声を荒げず、母親ほど年上の私には、いちばん近い駐車場をあてがう、くらいのいたわりを示しながら……その人は、ありとあらゆる仕事に忙殺されていた。
 三年勤めて「辞めます」と言ったら、ていねいな話し合いを設けた後、気持ちよく見送ってくれた……その後、ぶじでいるのだろうか。

(六)「意識」がそれほどがんばるなら、「命」は二人三脚してくれる。
 けれども命は、意識の奴隷にはならない。
 多種多彩な不調をタイムリーに表して、せっかくの努力が台無しにならないよう、意識へ、自重や自制、自省や自愛を促しもする。
 命の協力と配慮を、意識が「一顧もしない」あろうことか「うっとうしがる、目の敵にする」と。
 降り積もっていく(がんばりすぎ、ガマンしすぎ)を、命は、重大な事故や不治の病に仕立て上げるかもしれない。
 瀬戸際に追いつめられてさえ、命は、創意工夫に富んでいて、サプライズに満ちている。
 命の一途さを知れば知るほど、命を愛さずにはいられなくなる。
 だからこそ、想定外、無関係の人にも及ぶ「他害」おのれにひたすら残忍な「自傷」
 いずれも「命が命を損ねようとする」狂気は、かなしすぎる。 

第十一章 社会規模の暴虐


(一)あらためて、命にとっての順風、逆風とは何だろう。
 基本はおさえておきたい。
 他人の命を、軽んじ、虐げてはいけない。
 デキが悪い、態度が悪い、弱くて組み敷きやすい、気に食わない、憎んで恨んで殺しても飽き足りない、まちがったこと・危ないことをしている、どんな命も。
 暴力をふるう、最悪の命であっても。
「問答無用!」で踏みにじってはいけない。
 迷惑、苦痛、被害をこうむっている――その恐れがある。
 言いたいことがある。
 ならば「暴力以外」の方法で伝えよう――「緊急避難」を除くが、「緊急」の拡大解釈は厳禁だ。
 それからもうひとつ、他人に対する……以前、以上に念入りに、肝に銘じてほしい。
 自分の命を「煮ようが、焼こうが、私の勝手」扱いするのは、絶対にいけない。

(二)個々人のふるまい以上に。
 社会、なかでも公的機関が、成員の生殺与奪をほしいままにすることは、理由のいかんによらず、けっして許されない。
 たとえば、過酷な徴税を「次々」合法化して、「毎年」過去最高の税収を上げ、そっくり放漫財政につぎ込む。
「堂々と」冤罪をつくり、法の下の平等を侵す。
 独善に「迷いもなく」正論の皮をかぶせて、戦争のリスクを煽り立てる。
 立法、行政、司法、外交など、社会運営の根幹をなすルーティンワークが「不正」に依って立つあまり。
 自らに託された生存、命を、ベルトコンベヤー上を流すように、苦境、苦しみ、危機へと陥れていくのは、正気を失った、危険な社会だ。
 社会規模の暴虐は「他害、自傷」を誘発して、多発、増殖、蔓延させる。
 多くの命が狂気を忍ばせるほどに、社会――地球に次ぐ決定的な生存環境は、すさみ、弱り、壊れていく。
 歯止めがかからない場合、社会の破綻は不可避、人も多くが破滅に追いやられる。

(三)すでに一回、完全に破綻した、我らが社会の「歴史」――八十年経って、まだ生傷かもしれない過去を、どうか、虚心坦懐に省みてほしい。
 先の世界大戦――日本的には、日中戦争と太平洋(大東亜)戦争で。
 とくに一九四一年以降。
 大日本帝国の権力府と武官文官、メディアと勇ましき言論人は、あたかも江戸幕末にタイムスリップした。
 錦の御旗「尊王」を掲げて「攘夷」よろしく、米英軍との交戦を「至高の行為」に祀り上げた。
 これを仰ぎ見る民間、市井人は、わずかな例外を除いて「バンザイ」三唱するか、沈黙して従った、逆らえなかった。
 よこしまな動機、野望とは無縁の大半が「我も、我も」飛び乗ったのは。
 ブレーキ装置をつけ忘れた、暴走の運命を避けられない、欠陥列車のようなものだった。
 結果、日本社会に託された「命という命」また「不運な命」はどうなったか――「日本人の命だけ」ではなくて。

(四)過去を反面教師として、現在を省みたい。
「戦争の世紀」と形容された二十世紀が遠くに去っても。
「悪の枢軸国」を最・重大視して「軍備と同盟の強化」を強訴する人々は、国内外に少なくない。
 わたくし事、武力衝突や紛争、戦争、テロ行為のあふれ返る世界を六十余年もながめていれば、国際関係に潜む危機は容易に見て取れる、それでも。
 先の大戦で暴走したのは、ひとり、日本社会だけではなかった。
 アメリカは。
 日本人全員が(乳幼児も)戦闘員であるとして、全土すべての命を「ほぼ、平等に」殺戮対象とした――沖縄在住の命は「より、いっそう」
 連合国有志で降服を勧告していたくせに。
 大急ぎ完成させた史上初の核兵器を、鼻高々、躊躇もせず、敗戦間際のボロボロな日本へ、広島に、長崎に、計二発も投下した。
 たちまち核兵器開発と保有の競争、原子力発電が世界へ広がって。
 地球は、その功罪「戦争の抑止力」「無限のエネルギー」「核被災のリスク」「核廃棄物問題」がぶつかり合う場所に変わってしまった。
 さらに、戦時下のドイツ政府、国民が強行した、ユダヤ民族とマイノリティ、社会的弱者へのジェノサイドは。
 今しも、イスラエル国からパレスチナ民族への攻撃に大義を与えている。
 それがまた、敵の反撃に大義となっていく。

第十二章 普遍、命の継承

(一)前世紀の日米独限定、と、今世紀のどこそこ遠い国だけ、ではない。
 有史以来、人類は、けんめいに生存を図るかたわらで、命への蛮行に勤しみ、明け暮れてきた。
「個人間の暴力」と「社会規模の暴虐」は、タマゴとニワトリの後先を競うように関わり合って、連綿と、今日この日まで続いている。
 また後者は、近代以降、やすやすと国境を超えて世界規模の応酬へ転じ、連動や連鎖をしながら、くり返された。
 そして私は、尽きることない暴力が、すべての命を分け隔てなく、のっぴきならない地点まで追い込んだ時代に、生まれ育ち、生きている。
 過去に創られた現在と、現在が創っていく未来のはざまで。
 長々、深々、歴史に学び、やっと、この「現実」をつきとめた。

(二)「この世から戦争がなくなるまで、万全の軍備を怠るべきではない」
 これこそは「現実」で「ほか一切合財を圧倒する」と主張する人たちは。
 私にとっての現実を、一刀両断するのだろうな。
――「笑止千万」
「世迷言(よまいごと)ダラダラ言う愚痴」
 でも、私たちは、生存環境を共有している。
 言い切るのは、忍びない――「しょせん、水と油」 
 歓迎される、と思えないし、勝手と無礼も承知だけれど。
 戦争にしがみつく「心」を分析することが、たったひとつ、私に可能なアプローチだ。

(三)そういう「心」のずっと奥底……他人はもちろん、当人も、生半可なアクセスのかなわない深淵には。
 十中八九、「絶大なる力」に恋い焦がれる、感嘆まじりの狂気が息づく。
 万能感、勇ましさ、いさぎよさ、うやうやしさに満ちた……「ああ、誉れ高き戦争よ」
 解放感、開放感、高揚と歓喜に満ちた……「ああ、輝かしき戦後復興よ」
 二個ワンセットの「夢よ、もう一度……何度でも!」
 もっとストレートには「戦争のない世界なんて、つまんないよ、ねえ」
 この狂おしいまでの渇望の前では。
「命なんか、どうでもいい」というわけか。
 いつどんな逆風に遭って、命に狂いが生じたかは、人それぞれでも。
 無邪気に熱狂「戦争? いいネ! イケイケ他害、ドンドン自傷!」する心はどれも、そっくり、シンプルに作用する。
 健全と不健全がひっくり返った――倒錯した「命」がそそのかすと。
 突き動かされた「意識」は正気も本気、強固な信念「戦争の必然性、合理性、重要性は永久不変!」に基づいて、断固たる弁舌をふるう。

(四)この手にあっさり共感、心酔する、席巻される……類は友を呼ぶ「心」を、少数派、とはいえない。
 しかし、この世にある命が残らず「命なんか、どうでもいい」と思えるだろうか。
 ニュートラルな命は、「愛国心、ナショナリズム」でなく「普遍、すなわち命の継承」に立脚している。
 果たしてどちらが、真理か。
 より深謀遠慮に基いていて、強いか。
 最終的に「勝つ」のか。
 命に圧勝するには、命を、最後のひとつまで絶やすしかない。
 外敵という「生存のリスク」を回避、排除するため。
 人間は、長らく、「戦って、死ぬ」リスクを冒してきた。
 けれども、理科系天才君たちが核兵器を生み出した後。
 武器産業の開発、生産・サービス、営業・販売活動、いわゆる戦争ビジネスが、常軌を失って久しい。
 戦争は、とうに、生存確保に有効な選択肢、といえなくなっている。
 それでも、戦争の「延命」を図りたいならば。
 降参させる相手は、外敵ではない……命だ。
 暴論にしても論外、である以上に、やっぱり、かなしすぎる。

第十三章 二十一世紀、どう生きる?

(一)多くの生命体が、個体の生死を超えるべく、生殖に賭ける。
 また、個体同士の協力関係や群れをつくる。
 なかんずく、私の知る限り、ヒトだけは、生殖を超越した活路を求めて、図抜けた社会を形成。
 たゆみなく発展させることに、生き残りを賭けて「きた」
 今も、賭けて「いる」
 これは「生存(生きるため)の戦略」
「破綻、破滅(苦しみ、死ぬため)の戦略」ではない。
 したがって、戦争は、遅かれ早かれ、生存環境から取り除かれていく。
 ただし、人類が賭けに勝ち続ければ、の話……未来の歴史家には、ぜひとも物語ってもらいたい。
――「昔々、戦争が生きる糧をもたらす、と考えられた時代があった」
 遠くない将来、戦争を地中深く埋め、歴史の地層に眠らせてやりたい。
 もうそろそろ、弔い、葬送の心づもりくらい、始めたい。

(二)世界じゅう大多数の「意識」が、ひたすらまっすぐ、生存戦略にかなう創意工夫と試行錯誤を始めたら。
 世界じゅう古今東西南北の戦没者と非業の死を遂げた命は、初めて(ホッ)草葉の陰で、胸をなで下ろすにちがいない。
 どっこい、テキもサルもの、ひっかくもの。
 戦争を愛好する理由に「戦争をなくすための戦争」や「世界平和のための戦争」を挙げる人たちは、とにかくしたたかでガンコ、おっかない。
 そこで、ダメ押しの一発。
 かけがえのない祖国を。
 戦争擁護派の命もひっくるめて、おとしめたい、のではない。
 ついつい……「命を二の次にする」悪い癖。
 なぜか……「暴力をふるう、ふるわれることに恍惚となる」変態。
 きわめつき……「破綻、破滅に突き進む」宿命?
 これらを克服できるかどうかは、「全人類が直面している」と知る人も知らない人も、「免れること、まかりならぬ」
 超絶ムズカシイ夏休みの宿題、みたいなもん。

(三)命を粗末に扱うことは。
 誰彼、社会、世界、地球にとっても「命取り」とわかってほしい。
 ひるがえって、「大切にしよう、健やかなまま、めいっぱい活かそう」と意識する時。
 命がどんな底力を発揮して、自己と他者の生存、また生存環境にどれほど貢献するか。
 これを味わわずに生きて、死ぬのは。
 富裕層、中間層、下層、底辺層のどこに属して、どんな主義主張、嗜好を有する、どの人にも一生の不作。
 さあ、二十一世紀(も残り三分の二)を、どう生きる?
 私はさっそく夢を見る。
 ハイテクが、支配勢力から縁の下の力持ちに。
 経済活動の的が、利潤追求から生存希求へ。
 社会が、力(各種)の差や力関係ではなく命に根ざす場所へ。
 ゆっくりと、かくじつに、変身を遂げたら。
 どんな未来が拓けるだろう。
 夢を現実に近づけるべく、たった今、私にできるのは物語ること。
 命への処遇いかんが、個人から人類、社会、世界から地球までの明日を「悲惨」にも「希望でいっぱい」にも変えていくこと。
「未来を拓くソルの物語」は。
 この後も、手を変え、品を変えて、物語っていく。

《第三部》

第十四章 二十一世紀、日本の社会環境

(一)二〇二四年五月に入ったなり、ローカルニュースが、被災した人のリアルを、めずらしく、よけいな解説や飾り言葉抜きで、伝えた。
「いちばん困っていることは何ですか」レポーターの問いに。
「水、やね」
 仮設住宅の前に腰を下ろす、私と同じ年ごろの男性が答えた。
 え……ライフラインの復旧も、まだ……だったのか。
 以下は、一月十五日の投稿文にも書いた、自分の体験。
 右足に三度の熱傷を負い、最初の手当てがまずくて細菌感染を起こしたのは、小学四年生の三学期、一九六九(昭和四十四)年――そんな大昔に、私は助かった。
 地震発生時にヤケドした、能登に生まれ育った五歳の子は。
 地元の医療機関で治療の必要なしと判断され、全身状態が悪化しても見放された。
 ヘリコプターを飛ばせば、たぶん二十分もかからない先に、金沢医科大学の熱傷センターがある。
 医療、通信ほかありとあらゆる分野がハイテクを誇る。
 政府は少子化対策の予算増額をもくろみ、識者と善男善女も手放しで賛同する。
 それでも二十一世紀の社会と人間は、幼い命を救わなかった。
 と思ったら、水も?

(二)私がヤケドした、たしか前年、当時住んでいた青森県は十勝沖地震に見舞われた。
 給水車が来て、子どもなりに、自衛隊員がビニール袋に入れてくれる水を運んだ。
 正確には覚えていないが、断水は一か月も続かなかった。
 地震の規模がちがう、としても、アスファルトの道路に亀裂が入って、大きくうねった、恐怖そのものの景色は……記憶ちがいだろうか。
 件のローカルニュースは、「間もなく復旧予定」とは告げなかった。
 専門家は――私が読んだ新聞では、東京大学の先生が――復旧困難な複数の具体的原因を解説する。
(では、ムリもない)素直に納得したいところだが。
 ピンボケ映像でごまかされたような、不快感ばかりが残った。
 事実はそうかもしれないが、真実はもっと根深い、と感じる。
 二十一世紀、日本の社会環境は、不気味なまでに、どこか壊れている――二十世紀より遅れている、というのでないならば。
「生後すぐ、親の手で、安心、安全な生存環境を奪われた」のが運の尽き、だった私も、飲み水と生活用水に見放されたことはない。
 水については、大多数の日本人が同じ、と思う。

(三)有形無形、さまざまなハンディを負って生きる時、他人の無視や蹂躙にもまして、何がつらいか。
 私にとっては、誰か、みんな、大勢と一緒にいても(ひとり)と感じることだった。
 山坂越えてたどり着いた老境で、築き上げてきた、生きていく足場を、有無も言わさず奪われる、なんて暴挙が、あっていいはずない。
 しかし巨大な天災は、時も人も選ばず、一瞬の一撃で容赦なく奪った。
 そこに孤立感が追い討ち、と想像するだけで、私はいたたまれなくなる。 
 被災直後は、数えきれない人がなぐさめ、いたわり、励ましてくれた。
 助けてもくれそうだった。
 しかし、ふと気がつけば(もしかして、ひとり?)
 いちばん困っていることは?
 水、やね。
 そう答えた男性の口調は、静かだった。
(突き抜けてしまったのかな)と、私には思えない。

第十五章 災害関連死

(一)地震とは無関係だが、生死について。
 定年退職後の半年間、介護労働講習で一緒だった五歳上の人に聞いた、リアルな話がある。
 彼女は、受講と並行して、施設に入所する姑を看取った。
 講義が終わって、毎夕、居室を訪ねると「おかあさーん、手を握って」「おかあさーん、足をさすって」「おかあさーん」「おかあさーん」
 認知障害はなかったが、嫁をそう呼んで「子どもみたいでね」そばにいてほしがった。
 下流老人の私とちがって、裕福な家の奥さま――働く必要はない。
「でも」照れたように笑いながら言う。「孫に……プレゼントをやりたいじゃないの」
 料理の腕を活かして、五十八歳からこども園の調理室に勤務。調理師資格もとった。
 交通事故に遭った姑が末期ガンとわかってそこを辞め、強力な痛み止めの処置が必要になるまでは自宅介護をしていた。

(二)向学心と好奇心にあふれる、勇敢で、あかるく、お弁当のおかず「とりからが好きなのよ」を分けてくれる、やさしいその人を、私は、金魚のフンみたいに慕った。
 くり返し緊急呼び出しを受け、駆けつけては、翌日に話してくれた。
「夕方には元気になって、ごはんを食べてくれたんだよ、ゼリーだけどね」
 打ち明けてもくれた。「ばあちゃん、頼む、お盆までこらえてくれ、って思ってるんだ」
 講義はお盆をはさんで二週間休みになる――無遅刻無欠席でひんぱんなペーパーと実技の試験すべてにパスしなければ、修了認定されない職業訓練。
(休みの間に看取りと見送りを済ませたい)その人の率直さが、私は大好きだった。

(三)姑のラストバースデイ、施設の職員全員にショートケーキをふるまってすぐ、事は、彼女の望み通りに運んだ。
 酸素飽和度を測る機器がいよいよ検出不能になって、「お姑さーん、手を握ろうか」「お姑さーん、足をさすろうか」声をかけると。
「ううん、いらない」
 静かにそう言って、間もなく息を引き取ったという。
 末期の呼吸は恐ろしいほど苦しげ、と講義では教わったが、必ずしもそうではないらしい。
 ホッとして、思った。(逝く時はひとり、静か、いいネ)
 でも、姑から嫁へ、嫁から姑へ、心が通い合った上での、静かな最期。
「災害関連死」のいくらかは。
 せいいっぱい生きようとしながら、物心両面の孤立を募らせた果てに。
 静かと見まがう無力感に心身を乗っ取られ、いっさいを自覚できないまま、ひっそり命を閉じていくもの、と思えてならない。

第十六章 ようこそ、死線上へ

(一)たまらなく、つらくて、どうしていいかわからない。
 話してもいいだろうか。
 私の娘が働く職場の同僚――同じ日に、同じ派遣会社から入った人が、このところ休みがち。数日前、現場監督が連絡を取っていた。
「まさか、安否確認?」みんなでささやき合った。
 地震被害の軽微な金沢市内の人だが、地盤のせいで家屋に全壊判定が出た。長年住んだ我が家を去って、避難先のホテルからかりそめの住まいに移り、一か月も経ったかどうか。
 義援金、最少金額五万円の分け前にも与れなかった。子どもさんは結婚してよそに住んでいる――正月二日に訪ねてくる予定だった。
 ひとり暮らし、と前に聞いていた。
 翌日、出勤してきたその人が、娘に、そっと耳打ちしたという。
「お医者さんと相談して、抗ガン剤の治療を受けることになりそう」
 この話に、自分の無力を呪いたくなった――ごめん、あなたをそんなところに追い込んで、ごめん、助けになれなくて、ごめん……。

(二)生死の境――死線上を生きるのが、どんなことか。
 自分事としてわかる――孤立孤独担当大臣とやらに、わかってたまるか。
 ニュースが大真面目で「地域社会にサポーター養成」対策を伝えた時は、
大いなる誤解「ほとんどが本人に起因する、ほぼメンタル問題」に、胸がつぶれそうだった。
 孤立孤独対策は、飛んで火にいる夏の虫、みたいな典型例だ。
 行政府を筆頭とする三権の社会運営に、破格も破格のお粗末、的外れ、デタラメなお仕事が多すぎる。
 まぎれもなく、そのせいで。
 日本に生きる人の「生きること」が、少なく見積もっても五分五分の確率で、イコール「苦しむこと」になり果てている。
 そこにあるのは、心の持ちようによる苦しみ、ではない。
 幼少期から老齢期まで一貫して「困窮、貧困の高リスク」と隣り合わせて生きる社会環境、ズバリ「苦境」がもたらす苦しみだ。
「絶えざる苦境、尽きない苦しみ」に、心の傷が乾くヒマもないのに。
 孤立を避けて、悪質な孤独に陥らない、ゆとり、なんてあるだろうか。
 奮励と――富裕層から中間層の上、中層までには、想像を絶する――努力の甲斐もなく、リスクが現実化すれば。
「ようこそ、死線上へ」と相なる。
 公――自らが、凝りもせず創造に励む「苦境」には、まったくおかまいなしで。
「苦しみを傾聴するボランティアをあてがってやれば、孤立、孤独から脱出する」その上で「マトモな人間なら、困窮、貧困も克服する、はず」とか?
 あさはかな企図に。
 マトモな判断力を持つ人間には「少額」ではない予算を、投げ棄てようというのか、その対策は。
「小さな親切、大きなお世話」にしても、タチが悪すぎる。

(三)以上の話が、幸いにも他人事である人は。
 困窮、貧困を遠目にながめて「大変? でも、意外に笑顔、元気そう」
「とくに助ける必要はない」と断じる。
 いまいましくも、苦境、苦しみの訴えに耳を汚され(五月蠅いッ!)カンに障れば、説教を垂れて、追い払う。
 たとえば「もっと、身の丈に合った生活をしたらどうですか」
「徹底的な節約に励めば、貯金くらいできるでしょう――出先でペットボトル一本買うのも厳禁です」
 そんなものが、不運に遭遇しない奥の手、起死回生の決定打、ならば。
 どうして?
 地上から「困窮、貧困」が、「孤立、孤独――カネの問題を伴う、とは限らない」も、なくならないのだろう。
 日本ほど豊かな社会に。
 TV画面で「おふざけ、はしゃぎ、ひとかどの人物のコメント、旅行とグルメ、ショッピングとスポーツ情報」が踊り狂う、社会の水面下に。
(もしや、増えている?)懸念、疑念、(下手すると、明日は我が身になる)不安、恐怖がさざめいているのだろう。
 それでも「問題はあるが、致命的ではない」楽観――ぬるま湯――錯覚に浸っていられるのは。
 空から爆弾が降ってこない、おかげさま。
 その点において日本は、世界一、二位を誇れる国だから。

(四)何もかもに知らぬふりを決め込む、公、人々の「助ける必要はありませんね」判定に、両手の指では足りない回数分、出くわしてきた。
 いつもいつも、人類が重宝してやまない心の作用――「どんな困難、苦しみ、痛みに襲われていても、あなたは平気」と信じてしまう。
 その実、他人の不幸にいちいち心を痛めなくて済む、すぐれて便利な「まやかし」――を、ひしひしと感じた。
 いつか、アタマのなかに「他人は平気、バイアス」という言い回しが出来上がっていた。
 とはいえ、うっかりすると自分自身も。
 我が身ではない誰かについて。
「あなたは、いさぎよい、がんばりやだ――私のような根性ナシの弱虫、文句タラタラの屁理屈屋ではなくて」
「あなたは、心身にたいした不都合も無さそうだ――私とちがって」
 あなたは「まだ若い」「あかるい」「パートナーと友だち、盆暮れ正月とGWに訪ね合う親きょうだいにも、恵まれている」
 だから「私ほど苦悩して、痛がり、さびしがり、泣きたくなることもない」と決めつけている。
「うらやましいなあ」と感じている。

(五)「多くの高齢者が、労働市場から足を洗えない」社会情勢に対して、ひと回りも年下のコメンテーターが、TVからにっこり。
「お元気そうですねえ。働くことは、生きがいでもあるのでしょう」
 判で押したようなお愛想を口にすると、一も二もなく、罵り倒すことにしている――「偉そうに、世間知らずの人でなしめッ!」
 しかし、「平気、と見られるならば、平気を装うべきである」
 そう信じ合う人、人、人の間を、「お願いです、助けて下さい!」と叫んで、触れ歩くわけにもいかない。
 しかたなく、口をつぐむ。
 困窮、貧困地獄に堕ちた者ほど、耐えに耐える。
 風前の灯の下、なけなしの笑い、楽しみ、やすらぎ、癒しを見つけながら、何とか、すさまずに暮らそう、壊れずに生きようとする。
 けれども、がんばれば、がんばるほど……助け合わない人と世から、真綿で首を締められるがごとく、ジリ貧になっていく。
 時に、生よりも死の方がだんぜん好ましい、と激しく思ってしまう。
 老いるにつれ、ふわふわした夢想のなかで、不慮の死は「過酷な労働から救い出される」ただひとつの望み、せつなの願い、と化す。

第十七章 万博と能登半島地震

(一)「水、やね」のニュースのすぐ後は、全国版のあかるい話題。
 大阪万博が必要とするボランティア、予定の二万人に対して、五万人を超える応募があった。
 記者会見する大阪府知事の、強張った(ちっともあかるくない)表情に、拍子抜け――もしかして、つらい? なら、いっそ、やめちゃえば?  
 そんなことは、どうでもいい。
「万博に夢を膨らませる五万人」と「仮設住宅前にぽつねんとたたずむ男性」の落差に、打ちのめされてしまった。
 万博と能登半島地震。
 どちらに社会的な勝ち目があるかは、火を見るよりもあきらかだ。

(二)我らが生存を託する日本社会は。
 自分だけ、家族親族、仲間内、属する組織、団体のみの「おトク――もうけ」「夢」「安寧安泰」をせっせと追いかける、若年者から高齢者までのために。
 また、「生まれつき、天災、人為」がもたらす「ハンディ」及び「失敗」のどれとも「生涯、無縁である」保証書付きの人間を「想定して」 
 昨日までと今日同様、明日以降も、無邪気に営まれていく。
 日本社会では。
 社会保障が、世間体ならぬ世界体をはばかる、ほんのお飾りにすぎない――中間層以上にのみ手厚い制度設計で、下層以下は、原資を拠出する要員に位置づけられている。
 不運な人間と弱者は「例外中の例外で、ごく少数」の「かわいそうな人か邪魔者」という扱いになっている――もちろん、これは本音。
 建前には、きれいごとがこってり盛られてある。

(三)宇宙のこちらにいて、宇宙のあちらと自分をつなげることは、たしかに不可能だ。
「国内も同じ、あっちとこっちは異次元ですよ。
 生きようにも、マトモに生きられない同胞なんか忘れて、世界規模のフェスティバルに参加、熱狂しましょう!」
 メディアを含む公が、まことしやかに命じる、この正解に従えば。
 社会・人類に訪れる未来はまるごと安全な「はず」――「はず」と表現される内容は、私の経験上、かなりの高確率でハズれる。
 信じるともなく信じて、疑う余地もない「妄信」くらい、生存を脅かすリスクはない。

(四)強い地震を何年も経験してきたとはいえ。
 地震の専門家が「予言」しなかった未来に。
 ほかでもない自分が、住まい、暮らし、あるいは家族、総じて人生を……根こそぎにされる明日に。
 能登に生きる誰が、カンペキに備えられただろう。
 地震で亡くなった人の伝えたいことがわかる、気がする。
「どうか、同じ轍を踏まないで」
「私の無念を、あなたのこれからに役立てて」
「剥奪の憂き目を見た」命にとって、いちばんの救いは何か。
 これは断言できる――二歳前、母親の手で風呂水に沈められ、九死に一生を得たので。
 最高の救いは、以後、誰も、二度と同じ目に遭わない方向へ、人と世が、きっと動いてくれる、と信じられることだ。
 今のところは、見果てぬ夢、であるけれども。

(五)直接の関係者はともかく、外野の多くは、起きたなりに心をかき乱された悲劇的出来事を、さほど経たずに心から消し去っていく。
(自分も、明日、涙を流すかもしれない)ことが、一瞬もアタマをよぎらない――なぜなら、私はこんなにがんばっていて、将来への備えも怠りない、から。
 深刻な話は苦手、めんどうなことを考えたくない、気持ちは私も同じ。
 でも、困窮の渦中、知らんぷりを決め込んでいると。
 すぐさま死神が玄関のチャイムを鳴らして、死亡同意書を差し出した。
「あなたの予定日は明後日です。ここにサインを」
 たとえれば、そんな人生。
 気がつくと(よくもまあ)自分で自分にあきれるほど「考えに考えて、生きる」習慣が出来上がっていた。
「考えながら、生きる」のは、想像するほどうっとうしくない……時に、胸が躍る。
 地震発生後、日本じゅうたくさんの人が、能登に心を寄せてくれた。
 同県人として、心からの「ありがとう」……と、ワガママを申し上げる。
 ふたたび、思いをはせてもらえないだろうか――気長に、じっくり、広く、大きく、ご自分を含む、すべての「命」へと。
 

終 章 「ありがとう、能登」

(一)何とか省のエライ役人が「能登のような過疎地にカネをたくさんつぎ込みたくない」本音をもらしたとか――フェイクなら救われるが、行政の今日的スタンダードにも思える。
 能登の復興は。
 私が(一月十五日、noteに投稿した文中、勝手に)描いた、未来へのリアルな夢をめいっぱい羽ばたかせた、希望だらけの青写真を、一瞥もせずに、進んでいく。
(自分にできることは何もない)失意に膝を屈しつつ……(くそ、くそくそくそッ、泣くもんか!)
 私は、行儀と口が悪くて、あきらめも悪いおばあさん。
 この「物語」を伝えておきたい。
「情報」としては、とうに承知だろう。

(二)能登半島の珠洲市には、一時、原子力発電所建設予定地の「一歩手前」まで進んだが、市政選挙を通じて、みごとに引き返した実績がある。
 おかげで、あの恐ろしい地震に(原発施設が)真下から突き上げられずに済んだ。
 そうでなければ、私の住まいは避難区域に入っていたかもしれない。
 北陸新幹線が予定通り福井まで通じる日は、まちがいなく来なかった。
 よその土地の人に、ゴールデンウィークの北陸を楽しんでもらうこともできなかった。
 万博への参加国から、出展取り止めが相次いだ可能性は低くない。

(三)「多くが戻りたがらない(だろう)しょせん、僻地だから」
「投じたカネが、ろくなカネを生まないから」
 こんな理由で斬り棄てるには、あまりに惜しい、「生きた民主主義」が、能登半島の果てにある。
 彼の地で培われた人智は、「瞬間、最大風速」としても、カンペキにはほど遠い社会システム「民主主義」に、デンマークも顔負けの……魂を吹き込んだ。
 それが、ぐうぜんにも、地域、地方、日本、世界までを網羅する、二〇二四年という近未来を「不幸中の幸い」につなぎとめた。
 このこと、ひとつでいい、どうか、半永久的な記憶に留めてほしい。
 悠久の時とともに在る、この星の底から湧いてくる自然現象を。
 体験「できた」人たちは、これからどう生きていくのか。
 体験「できなかった」人間と社会は、どう関わっていくのか。
 命ある限り、見つめ続ける……私なら。
 復興キャンペーンに、こう名づける。
「ありがとう、能登」

(四)能登半島地震後すぐ、図書館で『近世の巨大地震』矢田俊文(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー463)という本を借りた――中世編もあるらしい。
 いわば学者さんの研究発表――文部科学省による「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画」の一環でもある。
 おもしろい読み物とはいえないが、それだけに、強く胸を打つ箇所がきわだつ。おススメの頁を、一部だけ挙げておく。
《52~55ページ》《132~143ページ》
 日本社会が、いかに巨大地震に見舞われ、被災してきたか。
 ハイテクツールひとつない時代。
 それでも人々は、衝撃や喪失を超えて復興、再生を図るとともに、信頼性のある情報を集め、詳細な記録を残した。
 なぜか。
 この先、天災と向き合っていくために、先人の「伝言」から学ぶことは、思いのほかたくさんある。
「日本は火山地震列島」と耳や口にしても、実感できる人は大多数を占めないだろう。
 心構えの一助として、この本の存在を知っておいてほしい。

(五)「南海トラフ地震」予測において、常日頃、周到かつ人目を引くCG画面など示して、大々的な威信をのぞかせる自然科学系の研究は。
 能登半島地震発生については、まったく用をなさなかった。
 対する、地味目も地味な人文科学――歴史学的アプローチの存在と有用性を、私は、この本で初めて知った。
 英語で歴史はヒストリー、「ヒズ、ストーリー(彼の物語)」と読めば、差別的ととれなくもないが。
 歴史が過去の「物語」であることに異論はない。
 わたくしこと、ソルも、過去から今この時までを自分と関連づけながら物物語ることで。
 いちばんに望む「生存にふさわしい未来」の可能性を、鋭意、開墾していきたい。
 願わくは、シリーズ第二作以降もお楽しみいただけますように。

《予告と後記》
 次回「未来を拓くソルの物語」は、第二作の第一部。
「絶望退治に出かけよう」
 三か月後、以内をめどに、投稿(すべて)予定です。
 というのも。
 序章で、少々弱音をもらしましたが。
 現在、体力、体調が過去最低……最悪寸前。
「人生」かける「トシ」
 かける「骨身を打ち砕く、あいかわらずの現場労働!」
 かける「合法にして横暴かつ冷酷無比な、公的負担金と行政!」
 トドメの「地震」
 イコール、くたびれ果てた心臓に、ヒビでも入ってしまったみたい。
「医療に助けを求める」選択肢は、今も宇宙の彼方にあって。
(マジ、もう、ダメ、かもよ)観念しかけること、しばしば。
 だけど「先人」のひとりとして、どうしても「伝言」を残したい。
「ノ~ミがリュックしょって、フジ(不死)登山~♪」の心意気――あくまで、魂レベルでは。
 しぶとく活路を拓きながら、必ず投稿します。
 ぜひまた、読んで下さい。
 応援して下さい。

 


 

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