「第一部 絶望退治に出かけよう」 第二章 心が壊れた
――「未来を拓くソルの物語」
シリーズ第二作「絶望退治に出かけよう」――
(一)心が壊れた
今から四十余年前、二十四歳の真ん中ごろ、心が壊れた……たとえば、こんなふうに。
運転中(ガクン)小さくない衝撃に、凍りつく。
あわてて車を止め、飛び出して、道路と周辺をたしかめて、たしかめて、またたしかめて、たしかめる。
よくある、くぼみを踏んだのにすぎないが。
いくら(誰も、はねなかった、倒れていない)事実をなぞっても、ムダの上塗り。
人を轢き殺してしまったかもしれない恐怖は、毎度、後を引いた。
万事に(失敗/やり忘れを、した/してしまう?)恐怖でいっぱい。
しかたなく、今日やるべきすべてを、一挙手一投足(洗面、トイレ)まで、書き出すようになった。
そんな……恥ずかしい自分が、ありとあらゆる他人に「筒抜け」なのは、つらかった。
ひとりで家にいると「監視されている」のが、ひしひしと感じられる。
一瞬も見張りを怠らないのは誰と誰々か、はっきりしている。
母親は、五百キロ離れた実家に住んでいる。
舅も、姑と一緒に、裁判官を務める百何十キロ先の赴任地へ行っている。我が家とスープの冷めない距離にある自宅へは、月一、二回しか戻らない。
実物がそこのカベから睨んでいる、幻覚までは抱きようもないが。
同じ保育所の同じクラスに子ども同士を通わせる、近所のTさんは、ひと回り年上で、抜き打ちのように、チャイムを鳴らす。
「いらっしゃい」動揺を隠すために、いっそう愛想よく「どうぞ、上がって」と言う。
コーヒーを注ぐ手が震えるのをごまかそうとすれば、全身から冷や汗が噴き出す。
まちがいを気取られないよう緊張しながら、たわいもないおしゃべりに必死であいづちを打つうち、本日のスケジュールは、修復不能になっていく。
(二)泣きっ面にハチ
予定を書き出しては消し、書き直しては消して、抜かりなくやろうとすると、夕方は、行く日も来る日も、あっけなく訪れた。
大あわて、上を下へと焦りながら、あれこれすべてを一気に片付けようとするから、まちがう危険は、実際、どこまでも高まった。
ある日のまだ午前中、ごみ収集車が行き過ぎていく音にハッとして、書き半端のメモを放り出し、ごみ袋を引っつかむと車に飛び乗った。
その地区の収集順など知らないが、とっさに、よくも悪知恵が働いた。
ずっと離れた集積所にひた走る途中、(なぜ団地に……?)
思った次の瞬間、歩道に乗り上げていた。
普通車に体当たりされた衝撃は、操作――アクセル、離した? ブレーキ、踏んだ? ハンドルは、まっすぐ?――の記憶ともども、きれいに消し飛んでいる。
一九八〇年代初め、いかにも昭和らしい、ちっこい軽四は。
狭い歩道を器用に何メートルも走り抜け、ガタン、ゴトン、減速しながら、うまい具合に停止した。
たちまち、人、人、人……が寄って来て、無遠慮な視線に囲まれた(もしもし、聞こえてますよ)「どれどれ、死んだか」
おあいにく、かすり傷の流血ひと筋なく、自力で車外に降り立つと。
横道の一時停止におかまいなし、ノーブレーキの猛スピードで突っ込んできた男は、市役所の職員と名乗った――とても、暴走族には見えない。
五十がらみ、たぶんショック状態の私に、泣き言を聞かせる「今日は出張だが、寝坊して」「任意保険は、昨日切れていて」
翌々日、背の高い見知らぬ女性が、フラリと玄関先に現れた。
肩まで届かないソバージュ風が外向きに跳ね返る、髪はぼさぼさ。ヒザの出たジャージ姿で、素足にサンダル履き。そばかすだらけの黒ずんだ顔に、うつろな目をしている。
「これ、おわびの」お菓子、と聞こえたが、後で開けたら、輪島塗のお箸。
「実は私も……昨日、トラックに追突されてしまって」
「はあ?」
情けなさは自前で間に合っている。
被害者、加害者、その妻までもが、類は友を呼ぶように、そろって泣きっ面にハチ。
(三)事実を述べたまで
その人はなぜか、近所の奥さんが定期的に冊子を押しつけてくる、何とかいう宗教団体の話を始めた。
つまり、家庭内の苦衷をたっぷり匂わせた後、「最低限の修理で手を打ってほしい」本題に入った。
車体の右前部が大破して、どこのガラスがこなごなに砕けたのだったか。
修理後、初めて洗車とそうじをすると、フロアマットの下からひとかたまりのカケラが出てきた。
警察は呼んだが病院へは自分で行き、ムチ打ちは全治どれだけだったか。
右首筋をしめつけながらアタマのてっぺんへ突き上げる痛みとは、終生の付き合いになった。
事故からどれだけ経ったころだったか。
具合を問われて、首に湿布と包帯を欠かせない、そのままを口にしたら、舅は言った。
「これだから女はな、裁判でも引きずるんだ、相手が気の毒になるくらい」
ほら、また……迷いも、疑いもない。
事実を述べたまで、と言わんばかりの口調は、職業柄か。
(四)追い討ち
最初に聞かされたのは、結婚一年後で、出産から二か月ちょっと後の、正月だった。
暮れも押しつまってから、夫が、遠方に住む無二の親友を泊りがけで招く、と言う。
こっちの都合「子の世話で手一杯」は?
姑の助け舟を期待したが、「イヤな顔せんと、気持ちよく迎えてあげまっしね」ピシャリとたしなめられてしまった。「それよか、S子さん」
「きんとんつくるなら、さつまいも、あげよか」
(は? 実家では買うモノ)
なのに、あわてて料理本「あたらしい家庭のおせち」とか何とかを手に入れ、世にも難解な(水あめと格闘する)レシピに手を出して、しまった!
舅の追い討ちは、もっと凄かった。
可愛い次男坊を身近に置きたいばかりに、買い与えた新築、ごく近所の平屋へ。
元旦早々、妻、東京から帰省した長男とその嫁、隣県の大学に通う末娘、同居する妻の母親を引き連れて、乗り込んできた。
「新米、採れたて」同然の主婦が、総勢八名のもてなしに、台所で七転八倒、四苦八苦の真っ最中、初めて育てる子が泣いた。
「M男さん、ごめん、オムツ、見てやって」
いつも通りを口にしたら、「おいッ!」
「大黒柱は、ドンと座っているもんだぞ!」
舅以外、誰ひとり、声を上げなかった。
松の内も過ぎ、熱を出した私がこたつで大の字になっていると。
夫は、先行きあやしい転々転職の第一歩を……ろくな相談もなしに。
とまどう間もなく呼び出され、夫婦そろってはせ参じると。
渋面の舅が、私に詰問した――息子に、ではなかった。
「どういうつもりだ、転職なんて」
そばに控える姑も、私に詰め寄った。
「なぜ、反対しなかったの?」
おかげで、たぶん、ほやほやな家庭の営みは、すでに根底からひっくり返っていた。
(五)命令
夫が「仕事に必要で英会話を習いたいから、ラジカセがほしい」と言う。
それは、おねでだりでなく、命令。
実家の母に電話で愚痴ると、かみつくように「浮気されるより、マシでしょッ!」で、ガチャン。
でも、でっかい最新機種が、空でも飛ぶように、送られてきた。
追いかけるように届いた、母の手紙の文面を、忘れた日はない。
「おまえはもう、そちらの人になったのだから。
M男さん、お義父さん、お義母さんの言うことをよく聞いて。
可愛がられる妻、可愛がられる嫁になりなさい」
子を授かった時、私たちは二十三と二十一で。
夫だけは、家計の収支も何のその、まだ遊びたい盛りの衝動と情熱を全開にできた。
転職から一年弱。
仕事、「不可分」の遊び、両方に、それはエネルギッシュに明け暮れた。
職場は進学塾(同じ年ごろの仲間、独身男女とサークルを作って、会長に就任。今週はアウトドア、来週は飲み会)と、妻にバレないよう。
「週末、生徒を引率して、キャンプに行く」でも、こんな梅雨時に?
テントを買うから「カネ!」そんなにはないよ、と言うと(プン)
「じゃあ、いい! ばあちゃんに、もらう!」
玄関ドアをたたきつけるように出て行くと、それきり、音信不通。
日曜深夜「その仕事」から帰って。
泥だらけのキャンプ用品一式はともかく、ビールの空き缶、日本酒の空きびんがごっそり混ざったごみ袋を、玄関に放り出されては。
さすがに、おかしい、と思う。
しかし、さっさと寝床にもぐり込んで、高いびき(はあッ)これも命令。
(六)いい奥さん
ごみだけでもポリバケツに、と思って外に出れば、車に室内灯。
半ドアを直しに行って、見つけた。
座席に、サークルの会員名簿と会の規約書。
フロアマットには、泥まみれのラジカセ。
モノがパンパンに詰まって、紙束のはみ出したダッシュボードからは、
私の手紙が出てきた。
実家の祖母と、マタニティーブルーの時、「コーヒーを飲みにおいでよ」と電話をくれたイトコの奥さんに宛てて、昨年末に書いた。
近所にポストがなく、まだ首のすわらない子を連れ歩けず、大雪も降ったから、夫に投函を頼んだ手紙だった。
こんな月日を送ったあげく、ある日とつぜん、夫は出勤しなくなった。
一日じゅう頭から布団をかぶって、ウンともスンとも言わない。
「これから、どうするの?」
尋ねるのにも疲れて、つい、言って、しまった!
「私が、働きに行く」
跳ね起きた夫は、破顔一笑、「おまえって、ホント、いい奥さんだな」
力の限りに私を抱きしめた。
以後、私は明日にも折れそうな大黒柱になったが、主婦業、妻業、嫁業も、免れたわけでなく、やるべきことには、保育所の送り迎えも加わった。
(七)決めつけ
舅姑はよく、並んで、嫁としての不心得を責めた――あの子がまともに働かないのは「できるふりをする」S子さんのせい。
(そう、私のせい、私がバカで、ダメで、悪いから、こうなった。)
――何とおっしゃる、うさぎさん!
一歳半を保育所に預けて、泣きの涙のひとりぼっち、働く職場でイジメに遭う、どこが悪?――
子がもうじき三歳になるころ、とうとう心が変になり、思い余って姑に打ち明けると。
「あら、どこもおかしくなんて見えないよ」
わずかに日を置いて、舅の決めつけは、唐突に降ってきた。
私は、「ラクをしたい、遊びたいから、次の子を生まない」のだそうだ。
諭したつもりか、「だから、愚にもつかないウソをつく」とでも?
(八)二十四歳は大人か否か
恐怖のかたまりと化した時、私は二十四歳で。
「よしよし、恐くない、大丈夫」と言ってくれる大人を、飢え渇くように求めていた。
その思いは、ひどくはかなく、もうろうとしていた。
たとえ言葉にできたところで、幼児の母親にあるまじき欲望。
そもそも、安心させてくれる大人に、当てはない。
ウイスキーをあおって恐怖を忘れようとしたが、ぜんぜんうまくいかなかった。
「メモ片手にすべてをカンペキにこなし、恐怖に勝つ」アイディアも。
「昼間から飲んでいる?」と気づかれないための、アクロバティックな努力に化けていた。
(マズイ、何とかしなくちゃ)と思うから、心の専門家を頼ろうと決めた。
(でも、精神科は大げさ)それで、県立精神衛生センターの相談窓口を、電話帳で見つけた。
それが、できるせいいっぱい。
二十四歳は大人か否か、一般論には意味がない。
持てるすべてをふり絞った先に、さて、何が待っていたか。
次回、第三章「ドクターショッピング――始まり」に続く。
二週間以内に投稿予定。
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