未来を拓くソル「精神障害の母、発達障害の?子、ともに生きて四十余年」  第6話 力関係の不等式

(一)一生にいっぺん、訪れるかどうかの救い


 今からちょうど四十年前、大学病院精神科外来で。
 名も知らぬ小学生とすれちがった一瞬が。
 心を病み、疲れ果てた二十四歳の私に「絶対、治る」決心をさせました。
「一瞬に秘められた救い」といっても、その場は、それだけです。
――わずか数分後の展開は、奇跡にして、人生最大の分岐点。
 そう読み解くまで、ゆうに二十年はかかりました。
 一生にいっぺん、訪れるかどうかの救い、だったのです。

(二)脳裏に刻まれた印象――インプレッション


 もちろん、出来事としての記憶は、時とともに薄れました。
 しかし、「脳裏に刻まれた印象」は、今も……くっきりしています。
 カッコつけて、英語をカナ書きすれば「インプレッション」
 マイ、ウルトラ・スペシャル・インプレッションは。
 お先真っ暗な日。
 ABどちらの先行きがマシか、迷い悩んで眠れない夜。
 決まって「ほら、ここ」「生きられるのは、こっちだよ」
 誘導灯かナビよろしく、「救われる方向」へ手招きします。
 だから人生の通常モードが「板子一枚下は地獄」でも死を免れたわけ。
 逆だったらコワイ、と思いませんか。
 あいにく私の脳ミソは。
「虐待、イジメ、DV、パワハラ」の記憶もバッチリ保存しています。
 すなわち、順に「親、教師、元配偶者と舅姑、同僚のち上司」から受けた暴力のインプレッションは。
 よりによって窮地にあえぐ時、私に何とささやくか。
「ざまあみろ、さっさと破滅しやがれ!」ですからね。
 近年やっと(印象相手、ではありますが)追っ払えるようになりました。
「うるさいよッ、汚い口を閉じて、とっとと失せな!」

(三)生死を分かつほどの何か


 精神科医のがなり立てる声は、診察室の外までダダ漏れ。
 何と答えているのか、気配ひとつしない母親。
 らちもない二人を置き去りに出てきた子が。
 こちらに向けた、射抜くような目。
 そのせつな、たしかに私は何かを読み取っていました。
 とはいえ、後々、生死を分かつほどの何か、です。
「生きられそうにもない」状況に陥るたび。
 あざやかに浮かび上がる印象を、命がけで読み解いた……なかから。
 とくに大切と思う三つのあらましを、物語ります。
 今回はひとつ目だけ。

(四)力関係の不等式

「不登校……なら、精神科へ行け!」とはまた。
 ぶっ飛んだ、ランボーな発想。
 当時、世間の多くは、親のしつけが「なっとらん」本人は「けしからん」
 あっさり一刀両断していた、と思います。
 どの道、三歳前の子どもを持つ身には、遠い世界の話でした。
 はからずも「生」の登校拒否児と遭遇した、私の反応は。
――スゴイ、勇敢!――
 胸すくような、意思をたたえる目、行動力のみなぎる姿。
 それがあまりに場違いで。
 拍手かバンザイでもしたいくらいの高揚は、あっけなくしぼみました。
――しょせん、「学校をサボる子」
 踏みにじられて、オシマイ。――
 と思うと「かわいそうで」「かなしくて、つらくて」
 いよいよ大泣きする、醜態を隠せなくなる「自分」に身構えたのです。
 が、いきなりしゃっきり。
 その子より倍はトシを食ったアタマで、無意識に読み取っていたもの。
 今は、カンタンな数式で表せます。
 左辺「登校拒否に対する世間の目」+「問題視すれば事足りる学校」+「肩書はスゴイが、有害無益な精神科医」+「責めても、我関せずの父親」+「以上、全員の顔色をうかがう母親」
 右辺「十代そこそこの問題児」
 したがって、「左辺>右辺」
 ほかでもなく、これは。
 古今、人間と社会が、地球上にあまねくはびこらせる「力関係の不等式」
 その一例です。
 昔々、私が感知した力の差は、不等号でつなぐのも心苦しいほどでした。
 想像してみて下さい。
 ここまで「有力な辺に立つ」また「無力な辺に立たされる」自分を。
 次回、二つ、三つ目は、一週間前後を目標に、掲載予定。
 

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