未来を拓くソルの物語 第一話 初めての暴力被害

 一歳ウンか月で、初めての暴力被害を体験した。
 なぜ、物心つく前の出来事を断言できるのか。
 その時、何があったか、十六歳の時、母方の祖母に教えられた。
 高一の秋に祖父が亡くなると、親戚関係は揉めに揉め、争いの終わりは見えなかった。否応なく巻きこまれ、振り回されて、疲れ果てた私は学校をさぼりがちに。祖母も祖母で、心が定まらないらしく、自宅と我が家を行ったり来たりするようになっていた。
 よく祖母と差し向かいで、小学生の夏休み、おじいちゃんちへお泊りに行った時、寝しなにせがんだのとはまるきりちがうお話に、耳を傾けた。
 かつて、本当は何があったか。身内のちょっとしたスキャンダルをチラリと暴露して、自分の手柄をさりげなく添える。祖母の内緒話は、好奇心を大いにくすぐった。
 とりわけ自分が登場した話は、あれこれ詮索するまでもなく……両親と祖父が、祖母本人さえ、うんざりするほど耳に吹き込んでくれた、昔語りにリンクしていった。
 一九六〇年、法務局に勤める三十五歳の父が、長期研修で東京に出張中の出来事。「s子,キトク」の急報に帰宅したというから、私が死にかけたのは本当らしい。すんでのところを、最後の手段であるペニシリン投与と高額の代金を惜しまなかった祖父に救われた。
 これは、家庭内の美談でこそあれ、秘密なんかではなかった。
 ほんの赤ん坊に命のやり取りをさせた、憎むべきは肺炎だが。なぜ罹ったか、誰も口にしなかった。医師も含めた周囲は、乳児に付き物の危険、くらいに見たのだろう。
 秘密を握る、たったひとりを除いては。
 ついに、打ち明ける日がやって来た。祖母は、母が私を風呂水漬けにしているところを危機一髪で救い出したという。もっとも「S子ちゃんのママは、それくらいしつけに熱心」と言い添えたのだったが。
 突き付けられた事実と、自分自身のおぼろだが強烈な記憶を考え併せて、前後関係をつけてみると……まちがいない、肺炎の引き金は母の折檻だ。
 低学歴に見合わない出世を果たしたのは父の才覚だが、きっかり二年ごとの転勤と家族ぐるみの引っ越しは欠かせなかった。折々、「住んでいた場所」と「自分の年齢」に「出来事」をつなぎ合わせるのは難しくない。
 そうして、暴力初体験の時期を割り出し、「限りなく二歳に近い一歳」まで絞り込んだ。
 ま、推理みたいなもの。

 その後およそ十八年間、母親の暴力に、母親のすぐそばで耐えた。ひたすら耐える以外に、どうしようもなかった。
 中学入学早々、母が手を振り上げた時、私はとっさにボクシングのようなファイティングポーズを取ったらしい。
 びっくり顔の母は、おごそかに宣言した。「もう殴らない」
「ふうん、小さい時は厳しく、大きくなったら自主性を尊重。アメリカ式子育て……か」
 あっさり納得してしまったのは、父が、母の「しつけ」に傍観を貫いて
いたからだ。
 父が母に加担した、記憶に残るたった二度、小学一年と四年生の時は、すごかった。どれくらいすごかったか。
 二人がかりの暴力に、一度目はかろうじて耐えられた。二度目は、私に元々備わる「暴力被害からの復元力」が粉砕された。あまりに抽象的すぎる説明だろうか。
 それはさておき。中学一年以降、殴られなくなったら、暴力はオシマイになったか。そうだったら……人生はどう変わっていたか、思うたび、長いため息を吐きたくなる。
 次回、第2話は「あらためて、はじめまして」11月4日金曜日、掲載予定。

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