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「絶望退治に出かけよう」      第一部 精神科の光と影 第三章   ドクターショッピング――始まり

――「未来を拓くソルの物語」シリーズ第二作
「絶望退治に出かけよう」第一部「精神科の光と影」――
☆おことわり
「第一部」のタイトルを変更します。
前回まで「絶望退治に出かけよう」
今回から「精神科の光と影」

(一)始まり


 やむにやまれず、県立精神衛生センター、心の相談窓口に駆け込んだ。
 受付と事務所がひと続きの、イスもテーブルもそっけない場所で、私の話を聞きながらメモを取った、年上そうだが若い男性は言った。
「ドクターの面接を受けた方がいいでしょう」
 案内された先、広々とした応接間……風だが、「人と人が話をする」用途にしては、人気の絶えた部屋で。
「焦りをつのらせる身には」永遠に、待った。
 やがてドアが開き、ドクターは女性、ずっと年長、とわかった瞬間は、ホッとした。
 ところが「ここの所長」と名乗った後、ひと言二言、交わしたかどうか。 
 その人は、いきなり。
「もう二十四、子どももいるくせに、いい年をして、あなたはね、甘えているだけよッ!」
 カミナリでも落とすように、言った。
 茫然自失、アタマに来た、泣きたくなった……ということはなかった。
 どう話せばわかってもらえるか、もう必死。
 しかし、口を開くと、速攻さえぎられてしまう。
 とにかく私は、甘やかされたくて、病気のふりをしている、のだそうだ。
 家族の病歴を尋ねて、「紹介状を書くから、内科の検査を受けなさい!」
 命じてしまうと、目は口ほどに「さっさと出て行け!」
「二度と来るな!」と言われたように思ったのは、被害妄想か。
 始まりのゴングが聴こえたとしても、ドクターショッピングなんて、まだ、コトバも知らなかった。

(二)精神科へ


 相談窓口では、手に負えないのだろうか。
 意を決して、精神科へ、それも、公の病院だったら安心、と考えた。
 いつか里帰りした時、薬剤師になっていた中学、高校時代の友だちに話を聞いていた。
 最初の就職先は私立の精神病院で、一年勤めずに辞めたのは、入院患者をクスリ漬けにする、片棒を担ぎたくなかったから、という。
 いざ、国立病院へ――自宅から車で四十分も走れば着く。
 総白髪の医師が初めに何と言ったか、自分はどう答えたのか。
 無言でカルテを書く、白衣の後ろ姿を拝むこと、数分。
「じゃあ、おクスリを出しておきますね」
 え、話は始まってもいないのに、おしまい?
「うつ病、のようなものですか」
 食い下がったが、返事は「え、ま」
 その夜。
 いくつ目の?新しい就職先から、夫はいつ帰るのか、見当もつかない。
 オレンジ色、三角形の小粒を次々口に放り込み、カラにしても、不安は収まらなかった。
 そこで、ウイスキーを足したか、足さなかったか。
 部屋が、楕円を描くように、ゆっくり回っていた。

(三)薬物の過剰摂取


 深夜の何時? 聞き慣れたエンジン音がした。
 玄関へすっ飛んで、夫が鍵を差すより早くドアを開けて。
「おかえりイッ!」
 めいっぱい元気に、出迎えた。
「もらったおくすい、のんじゃっちゃ、カラっぽよおお」
 実際のろれつは、もっとあやしかった、と思う。
「えへへへへえ」
 まったく妙な根性、ヤバイ時ほど平気を装い、陽気になっちまう。
 夫は、一瞥をくれたかどうかで、寝床に直行した。
――あれ、ドラマなら、あわてて救急車を呼ぶよ、ねえ?――
「ねえ、ねえM男さん、ねえねえ」
 ナシのつぶてに泣きたくなったが、泣くのに回す水分はなかった。
 嘔吐未満のもうれつな吐き気が襲ってきて、ずるずる鼻汁とダラダラ脂汗、よだれにまみれながら、ひとりで家じゅうを転げ回った、
 あくび混じりの涙を流しても、流しても、まどろむことさえできない。
 ヘトヘトになった朝、床にだらしなく伸びていると。
 夫は、ネクタイをしめながら見下ろして、言った。
「自業自得、だろ?」
 冷血漢は、それきり、視界から消えた。
 薬物の過剰摂取、次なるステージは?
 何十秒おきか、目の前が真っ暗になる。
 子どもをそばに置き、一日じゅう平気なふりをするなど、したくてもできない。
 意識が遠ざかる間合いを承知で車を走らせ、ぶじ、保育所に送り届けた。
 超のつく危険行為に、誰ひとり気づかなかった。
 その午後から一週間近く、カチ殴られるような頭痛が続いた。

(四)あなた!それでも精神科医?

 およそ二週間後、国立病院を再訪。
(第二章「心が壊れた」で話したように)「人を轢き殺したかもしれない」恐怖症にかかっていて、しかもヘロヘロのヨロヨロ。
 這うような思いで運転し、到着したのは十二時十分前。
 初めふつうの口調だった受付係は、精神科の患者と知るなり声を荒げた。
「こんなギリギリに来て、どういうつもりかッ!」
 診察窓口にカルテを出すと、看護婦さんが。
「あなた、何しに来たのッ!?」
 それでも受診を許されて、クスリの件を話し始めると。
 前回とちがう、五十代ほどの医師は、しまいまで言わせなかった。
「あなたは病気ではないッ! 私は、病気とは認めませんッ!」
 今度の今度はカッとなった。
「バカは、死ななきゃ治らない、って言うんですかッ!?」
 すると先生、「死んでも治るとは限らないよッ!」
――何ソレ? 仇でもにらみ殺すような目。――
 今なら、パンチをお見舞いしてやる。
「あなた!それでも精神科医?」

(五)ほがらかに退散


 しかし、売り言葉に買い言葉のボクシングをやりたくてに来た……のではない。
 幸い、と言うべきか。
 わずかな沈黙の後、対戦相手はイスを蹴って立ち上がり、カーテンで仕切られた向こうに消えた。
「君、頼むよ」という声がするので、すき間からのぞけば。
 白衣の袖をまくり上げた医師は、その腕を看護婦さんに差し出している。
 太い注射のなかみは栄養剤、と、その時は思ったが。
 ひょっとすると鎮痛剤……まさかココロに効くクスリ?
 後で知った、医者のなかで、いちばん多く自殺するのは精神科医。
 知らなくても、感じることはできた。
 この人が、誰かを治す、まして癒すのは、不可能だ。
 丸イスに沈み込んでいると、さっき鬼の形相だった人が、背中にそっと手を当てた。
「さ、あなた、もう、おしまい、ですよ」
 まさしく、白衣の天使。
――ソウ、モウ、オシマイ。――
 でも、元気(に聞こえるよう)に、答えた。「ハイ!」
 ちゃんと立ち上がって、鼻水を拭いた。
「アリガトウゴザイマシタ」
 なるべく、ほがらか(に見えるよう)に退散した。
 次回、第四章「ドクターショッピング――心が墜落した」に続く。
 二週間以内に投稿予定。


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