爪噛みメモ。認知の歪みと、自分を受け入れること
爪を噛まなくなって、もう結構たつ。
いまも左手の親指は、利き手じゃないからなのか、一番目につきやすいからなのか
たまーにやってしまうけど、それでもセルフネイルで綺麗にしておけばほとんど手を口に持ってくことがなくなった。
他の爪は順調に伸びている。
※ちなみにいまはこんな感じ
もう少し長かったんだけど、先日友達とたけのこを掘りに行った時に中指の爪が折れたので、
全部みじかくした。
長年の爪噛みでそもそもの爪が小さかったり、正直形は綺麗じゃないのかもしれないけど
でも人前に出る時に手を隠さなくていいとか
ふとみた時に噛んでないな自分、えらい、って思えるのでけっこういい感じです。
もう噛まなくなって半年くらい経つんだけど
なんで噛まなくなったのか
一番大きいのは自分の認知の歪みに気付いたってこともあるかもしれない
私はすごく極端思考で
なにか問題が起こると、すべて自分が悪い…!って考える
本当は自分だけで問題の根本が解決するわけないし
要因なんて自分だけで決まらない。特に仕事とか、恋愛も、なんでもそう。
なのに自分「だけ」罰する癖がとにかく根強い。
相手も原因があるんだろう、でも最大の要因は自分。
去年の今頃もそう。
転職活動に失敗しまくった私は、この仕事を続けるためには夜間専門に行ってもう一度一から勉強する「しかない」のでは?
なんならもうセンスないから辞める「しかない」?
実際のところ、たとえば県内に仕事がないなら県外にいくとか
フリーランスでまずやってみるとか
いろいろ方法はある。可能性は無限にあるのに
なぜかそれしかないって思ってしまう。
これしかない!ってすがるような気持ち。
わかるよ、そのときはそれしか見えないもんな
結果的に私は専門に行かなかった。そもそも願書が間に合わなかった。(大学の卒業証明書が必要なんだけど、それがコロナで取り寄せるのに1ヶ月かかる)
そこでもうなんか萎えた。どうでもよくなっちゃって。
このご時世に紙文化。しかも1ヶ月って笑
バカバカしいよなって、なんか本来のところじゃないところで萎えた。
でもそこでどうでもよくなって
もういいや、フリーランス(というか無職)に一回なろう、って謎に腹をくくった瞬間だった。
結果的にそれが私にとっては正解だった。
フリーになってからも
ちょこちょこ認知の歪みは現れて
これしかない!→いやいや、そんなことないよ
って状況があって、そのたびに周りの人に助けられた。
いろんな人の話をきくことで、自分の頭の中の世界だけが全てじゃないんよって気づくことができた
それに、自分は思ったほどなにも持ってないわけじゃないし、十分できているのにできてないと思い込んでいて、周りから褒められても素直に受け取れない。
それを、そうなんだって、まず受けとる。
仮にもしなにかトラブルが起こっても
私のせい→本当にそう?って
自分で自分に問いかけることで、自分だけを責める気持ちを減らす
そうやってだんだんと自分を責めないように、攻撃しないように、罰しないようにした結果
あまり爪を噛まなくてもよくなった
今日、仕事でちょっとしたカウンセリングを受けさせてもらったんだけど
薔薇は百合になれないという話だったんだよね。それがすごく腑に落ちて。
薔薇も百合もそれぞれ個性が違うけど
どっちもすごくきれいな花
なのに、百合が薔薇をいいなと思っても、薔薇にはなれない
百合も十分きれいなのにね。
私はいままでこうでなきゃだめだ(でもこうはなれない)という後ろめたさがずっと心のどこかにあった
たとえば、周りにいる女性らしくて、パートナーに恵まれている人。ちゃんと男性を立ててあげて、料理も上手で、やさしくて…
私は女性としてこうあるべきなんだろうけど、こうはなれない。
料理は下手だし、命令されるのがきらいだし、
女性らしい服装やメイクは好きだけど、それほど突き詰めてるわけではないし、性格が女性らしいかと言われると全然そうじゃない。
世間的に求められる?ふんわりとした女性像と私は違う
(優しそう、と言われるけど優しくはない笑)
だから私はずっとひとりぼっちなのかな?って
頭の片隅に常にあった
でも薔薇は薔薇であることが魅力的だし、
薔薇が「百合になれない…!」って落ち込んでたらなんか可哀想だよね、あなたからはまさにそれを感じるって言われたんですよ。
※厄介なのが、いいなぁって思うのって自分にない部分なので、なれないものをいいな、理想だなってどうしても思ってしまうこと(⌒-⌒; )
人を見て素敵だなと思うのはいいんだけど、自分が持ってるものも認めてあげる
認知の歪みに気づくことや、自分を受け入れること
爪噛み改善にかなりいろんな気づきが得られた日でした。
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