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【エッセイ】理解しようとする気持ちと想像力を持ち、優しい世界に

24時間テレビを観ている時、全盲の方の1日に密着している映像を見た。

彼女は物心ついた時から目が見えずに生きてきて、今は事務職として働きながら、YouTubeを通して自分の生活を発信しているという。

通勤など、どこかに移動する時は、点字ブロックや横断歩道についている音を頼りに街を歩く。
でも、時には点字ブロックが付いていない道を歩くことや、音がない交差点を勘で歩かないといけないこともあるとのこと。

「交差点で目印の音がない時どうするんですか?」

「勘です。車の音を頼りに進みます。」

普段の日常が危険と隣り合わせの世界はどんな世界だろう。
確実に不安や絶望に襲われてもおかしくない状況の中にいるはずなのに、彼女の纏っている空気に負のオーラは無かった。
それどころか、希望に満ち足りていて、溢れ出るパワーを感じた。

「風通しのいい社会を目指したい」

真っ直ぐに言葉を放つ。

「過去、就職活動をしていた時、受けている会社に試験の問題を点字に変えてもらったり、合理的配慮をしてもらえないか?と連絡をしたところ、後日電話が来て、そもそも英語ができることと大学院出てることが条件ですし、、、と言われた。自分は英語もできて大学院も出ている。視覚障害者だからそんなことできるわけないと思われている。偏見があると思った。」

得意の英語を生かし、外国の方への支援をする事務職として働きながらYouTubeで、色々な人へ情報を届ける。
全て自分で完結できるわけではないけど、メイクもコーディネートなど自分で出来ること積極的に取り組む。

「自分が発信していくことで、視覚障害を持っている人への理解が広がればいい」
彼女は話していた。

私も、確かに知らないことで、気付かぬうちに他者を傷つけてしまうこともあるよなと思った。

人は、自分やもしくはとても近い人が同じ状況にならないと自分ごととして捉えることが出来にくいと思う。
私もそうだったし、私自身が誰かにそう感じたこともある。

私は、過去、精神的に追い込まれた経験がある。
正直、自分がそうなるまで、同じ状況の人の立場を理解できておらず、ましてや追い込まれてしまう人に対して、「どうしてそんなことで諦めてしまうのか、努力や忍耐が足りないのでは?」と口には出さなくても心の中では思っていた。
きっと態度や言葉の端々に出ていたと思う。

でも、自分がどうしようもない状況になってから、そういう事ではないことに気づいた。
自分がなんて酷いことをしていたのだろうと怖くなると同時に、どれほど深く謝罪の気持ちを持っても足りないかもしれないと思った。

自分が同じ立場になってから、気づいてもムシが良すぎることも分かっている。
過去、私が思ってきていたことや行動や発言は変えることができない。

それでも、今の自分とは違う立場や考えの人の立場を知ることや、その人の目線に立って想像を巡らすことの大切さに気づいた。

だから、これからは相手と同じ目線に立っていきたいと思うし、自分以外の事を知ろうとしたり、想像しようとする人が増えることで、優しい世界になっていくと思う。

「理解し合って、やっていくことが大切」
という彼女のスタンスに、改めてそう思った。

何ができるかは分からないけど、私も相手を理解し、想像できる社会になっていくために、まずは近くにいる人へこれまで以上に『理解しようとする気持ちと想像力』を持ち接するようにしようと思う。

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